1983年春、東京から西鹿児島まで普通列車の旅⑦
2017-08-30
ますます雨が「土砂」になってきた九州地方であったが、鹿児島交通を訪問する頃にも当然ながら現地は雨であろう事が確定材料になるのに充分説得があった。
電化区間をDCにゆられる光景は、ある意味今も昔も変わらないであろう光景の中、今度は出水で乗り換える。今でこそ新幹線のホームができてかなりイメージが変わったが、それまでの出水は規模的に中間駅とさほど変わらなかったというのが私の印象であった。割りと地味な部類の印象が、一気に新幹線の停車駅になろうとは!この時の訪問時にはそんな素振りも見せなかった出水であったが、随分と立派になったものだ。

かつては山野線を分岐していた水俣。新幹線は隣の新水俣に任せてあるので、ある意味国鉄時代の面影が今も残っている事であろうと思う。いつかはその確認作業をしてみたいものだ。
さて、その出水から先、新幹線はなんと阿久根を無視して川内へと行ってしまう・・・これってちょっと残念だと思いません?もちろん、ルート決定の際に阿久根をどうするかは考えたらであろう。当然ながら阿久根に寄れば所要時間や走行距離に影響が出てくるだろう。だがやはりなんらかの形で阿久根と新幹線をが共有してほしかった。例えば新阿久根みたいな単独駅とかでもいいと思うのは私だけであろうか。

多分出水で撮影したものと思われるが、編成の長さからしてもしかしたら基山とかだったかも知れない。いずれにしても今回紹介している旅にて鹿児島本線のどこかの駅で撮影されたものである。出水から先は再び電車による普通列車に乗車。
であるが、やはり私は在来線の方が好きだ。現在、運営会社はちがうが、ある意味「阿久根らしさ」がまだ残っていると思う。ただ、鹿児島本線の八代以南は単線と複線が共有する区間であるから、時には列車交換で待ち時間が発生する場合もある。私が初めて鹿児島本線のこの区間を通ったのは1978年8月である。そのときは583系の特急「有明」で西鹿児島から熊本に向かった。そう、583系の座席特急バージョンだったのだ。リクライニングはできないものの、独特の開放感がまたいい。

そして出水は現在新幹線が停車する。現在の様子はいずれ訪問する機会があれば行ってみたいが、国鉄時代は分岐する路線を持っていなかったので私的には地味な印象であった。だがその地味さが後年になり好きに。
その時以来の訪問であったのである意味懐かしかったが、それ以上に両親と一緒の訪問と、自らが仲間ひとり連れての訪問とでは一際精神的な違いが明白であろう自身の成長が身に染みてわかるシーン。今でもこの区間の事を思うとそんな事が思い出される。そう、私のレール旅とは、ある意味自身の成長を測る「ものさし」なのかも知れない。

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電化区間をDCにゆられる光景は、ある意味今も昔も変わらないであろう光景の中、今度は出水で乗り換える。今でこそ新幹線のホームができてかなりイメージが変わったが、それまでの出水は規模的に中間駅とさほど変わらなかったというのが私の印象であった。割りと地味な部類の印象が、一気に新幹線の停車駅になろうとは!この時の訪問時にはそんな素振りも見せなかった出水であったが、随分と立派になったものだ。

かつては山野線を分岐していた水俣。新幹線は隣の新水俣に任せてあるので、ある意味国鉄時代の面影が今も残っている事であろうと思う。いつかはその確認作業をしてみたいものだ。
さて、その出水から先、新幹線はなんと阿久根を無視して川内へと行ってしまう・・・これってちょっと残念だと思いません?もちろん、ルート決定の際に阿久根をどうするかは考えたらであろう。当然ながら阿久根に寄れば所要時間や走行距離に影響が出てくるだろう。だがやはりなんらかの形で阿久根と新幹線をが共有してほしかった。例えば新阿久根みたいな単独駅とかでもいいと思うのは私だけであろうか。

多分出水で撮影したものと思われるが、編成の長さからしてもしかしたら基山とかだったかも知れない。いずれにしても今回紹介している旅にて鹿児島本線のどこかの駅で撮影されたものである。出水から先は再び電車による普通列車に乗車。
であるが、やはり私は在来線の方が好きだ。現在、運営会社はちがうが、ある意味「阿久根らしさ」がまだ残っていると思う。ただ、鹿児島本線の八代以南は単線と複線が共有する区間であるから、時には列車交換で待ち時間が発生する場合もある。私が初めて鹿児島本線のこの区間を通ったのは1978年8月である。そのときは583系の特急「有明」で西鹿児島から熊本に向かった。そう、583系の座席特急バージョンだったのだ。リクライニングはできないものの、独特の開放感がまたいい。

そして出水は現在新幹線が停車する。現在の様子はいずれ訪問する機会があれば行ってみたいが、国鉄時代は分岐する路線を持っていなかったので私的には地味な印象であった。だがその地味さが後年になり好きに。
その時以来の訪問であったのである意味懐かしかったが、それ以上に両親と一緒の訪問と、自らが仲間ひとり連れての訪問とでは一際精神的な違いが明白であろう自身の成長が身に染みてわかるシーン。今でもこの区間の事を思うとそんな事が思い出される。そう、私のレール旅とは、ある意味自身の成長を測る「ものさし」なのかも知れない。

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コメント
ダイヤモンド☆トナカイ様
にわか者様
コメントありがとうございます。
ガラケー対応出来なくなったのは残念ですね。しかしながらこうして私のブログをご贔屓にしていらっしゃる方がいるということだけでも大変光栄であり鉄道冥利に尽きると思います。
そして何より我々「同世代」だからこそわかりあえるキーワードで会話できるのも素晴らしい事ですね。特にこれから世代交代が更に加速する中「夜行列車」や「いい旅チャレンジ」みたいな単語が、伝説では知っているものの、実際に肌で経験された方がフェードアウトしていく事でしょう。
そんな中、我々が末長く「生き証人」として語り次いでいければラッキーですね。
にわら者さんのペースで構いませんので、ひとつでも多くの記事に共感していただいて、そしてご意見いただければ幸いと思いますのでこれからもよろしくお願いいたします!
ガラケー対応出来なくなったのは残念ですね。しかしながらこうして私のブログをご贔屓にしていらっしゃる方がいるということだけでも大変光栄であり鉄道冥利に尽きると思います。
そして何より我々「同世代」だからこそわかりあえるキーワードで会話できるのも素晴らしい事ですね。特にこれから世代交代が更に加速する中「夜行列車」や「いい旅チャレンジ」みたいな単語が、伝説では知っているものの、実際に肌で経験された方がフェードアウトしていく事でしょう。
そんな中、我々が末長く「生き証人」として語り次いでいければラッキーですね。
にわら者さんのペースで構いませんので、ひとつでも多くの記事に共感していただいて、そしてご意見いただければ幸いと思いますのでこれからもよろしくお願いいたします!
こんばんは
コメントの大量投稿になり、たいへん失礼いたしております。
2枚目の写真はどうも基山でもなさそうですね。基山は曲線上にホームがありますし、個人的には隣の田代駅じゃないかと思います。
2枚目の写真はどうも基山でもなさそうですね。基山は曲線上にホームがありますし、個人的には隣の田代駅じゃないかと思います。
wra様
コメントありがとうございます。
確かに、多分と言うかほぼ完全に田代と思います。というのも、実は当時の田代の入場券を現在も持っていまして、という事はこの駅に下車したということですから偶然に撮影したフォトでしょう。
それがこうして貴重になってしまうなんて、実感ですね。
というか、この一枚で田代とわかってしまう事が実に地元民的なものを感じてしまい、とても嬉しく光栄に思います。
こうして地元の方のご意見を頂けるのは実に嬉しいの一言です。
当時の旅行程を振り返っても、やはり田代に間違いないでしょう。
確かに、多分と言うかほぼ完全に田代と思います。というのも、実は当時の田代の入場券を現在も持っていまして、という事はこの駅に下車したということですから偶然に撮影したフォトでしょう。
それがこうして貴重になってしまうなんて、実感ですね。
というか、この一枚で田代とわかってしまう事が実に地元民的なものを感じてしまい、とても嬉しく光栄に思います。
こうして地元の方のご意見を頂けるのは実に嬉しいの一言です。
当時の旅行程を振り返っても、やはり田代に間違いないでしょう。
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ついにガラケーからは、カキコ不可能となりました・・・
せかっくの出会いも、ぶち壊しです・・・
残念です・・・
今後はパソコンの使える日のみのコメントになります・・・