1983年春、東京から西鹿児島まで普通列車の旅⑧
2017-09-05
さて、前章では阿久根にかなりこだわってしまったが、実際、阿久根はある意味私のお気に入りに街でありそして駅でもある。あの、ローカル的な出水~川内間は特に「本線」と名乗っているから(当時)尚更愛着が湧いてくる気がしてならなかった。そんな感性がもうすでに中学生の私にあったのだから不思議だ。いや、恐らく旅を重ねていくうちにこうした事がひとつひとつ体に心に刻み込まれ、そして染み付いて現在があるのであろう。私は何となくそう感じる。

現在は「薩摩川内市」に属する川内。この駅も新幹線が停車するようになって様変わりした事だろう。川内より鹿児島までは再び鹿児島本線を名乗る現在であるが、なぜ「肥薩おれんじ」にならなかったのか・・・それは新幹線と深い関係があると聞いた(「続きを読む」参照)。
さて、そうこうしていると、まもなく伊集院に。そう、後ほど鹿児島交通制覇後に再び立ち寄る「聖地」になる駅であろう。というか、気がついたら阿久根付近にいた時よりやたら乗客が増えている。そう、そうなんだ。もうすぐ西鹿児島という事で、鉄道本来の役割をしっかりと果たしている風景である。
伊集院を過ぎ、レールの波が扇状に広がっていくといよいよ西鹿児島に到着した。その時間14時11分。東京を23時25分に出発し、はるばる西に向かいながらとうとう西鹿児島に翌日の14時に到着という、とんでもない時間と体力が消耗されていった。「ヤッター!とうとう普通列車で鹿児島の地に足を踏み入れた!感動!!」と、嬉しさのあまり「青春の握りこぶし」をホームで連れの友と握り合った。そして感動のあまり涙が溢れ出す・・・
いや、実際は違った。

現在の鹿児島中央に到着!ついにやった!と感動に浸る時間も暇もない。この時は単なる乗り換え駅に過ぎなかった。私は更に枕崎に向け指宿枕崎線に乗り換える。その時間3分!
現実は・・・伊集院付近から車内が混み合っていく中、目指す鹿児島交通へは指宿枕崎線に乗り換えなければならない。指宿枕崎線の出発時間は14時14分、なんと3分の待ち合わせだ!私たちはすでにドアの手前にその身をあずけていた。列車が西鹿児島に着くと早速指宿枕崎線のホームに向かい猛ダッシュ!すでに出発ホームはアナウンスで確認している。一目散に跨線橋を駆け上がる。乗り換える指宿枕崎線の普通列車はすでに我々の座る座席などなく、不用意に空いたスペースに身を寄せるしかなかった。それでも枕崎まで向かわねばならない。そう、旅とは楽しい事ばかりではない。ある時にはこうした試練もむかえなければならない。というか、私の旅はこうした試練ばかりなのかも知れない。もちろん、計画段階ですでにこうした試練はわかっているのであるが・・・

1978年訪問時の西鹿児島。「にちりん」のDC版は、当時、日豊本線の宮崎~鹿児島間が非電化だったためである。バックには583系の姿が。昼間は「有明」として活躍していた。
さて、皆様は「青春18」についてどう感じ、そしてどういう印象をお持ちであろうか。もちろんこの切符の使い方は人それぞれで「18のみ」の場合もあれば、何かの切符と並行して「18」も使用する場合もあろうと思う。または現地に飛行機で向かい、現地で18を使うという事もあろう。人それぞれの使い方、人それぞれの旅。バリエーション豊かなこのきっぷを考えた当時の担当者は凄いと思うし、そして偉大であろう。その事はJR化された現在でも廃れずに活躍している姿を見れば一目瞭然。
ただ、残念なのは夜行普通列車の定期便が姿を消してしまった事。そして多くの鉄道路線が廃止という名のもとに姿を消してしまった事。「18」を使うのに、このふたつの楽しみが失われた事は実に重大かつ大きい。そんな中、皆様にとって「18」とはどういう存在なのであろうか?私にお知らせくだされば幸いである。そして皆様の意見を参考に新たな18の旅が発見できれば素敵であるし、そして私自身も新たな旅を探しに旅に出ることになろう。もちろん「青春18」を使って・・・

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新幹線と鹿児島本線川内~鹿児島の関係
インターネットなどで鹿児島本線の川内~鹿児島(鹿児島中央)間がなぜJRのまま残ったのかという理由についていろいろ書かれているが、ある筋によると、九州新幹線(鹿児島ルート)を宮崎まで延伸する際に、鹿児島中央からだと、ご存知のように桜島をバックに新幹線の鉄路が途切れており、在来線と十字クロスの形で交差する。となると桜島側に橋または海底トンネルなどで鹿屋方面に抜けなければならず、非現実的となる。そこで川内~宮崎間を標準軌に改軌してミニ新幹線を運転させようといういう構想があったらしい。恐らくウィキなどにはこの事は記されておらず、あまり知られていない事柄であると思われるが、もし実現したとして、採算性的にどうなのだろうという疑問が残る。この構想によると川内~鹿児島中央間は2種類の新幹線が別々の路線を走る事になるし、川内では福島や盛岡などに見られる分割・併合作業が発生するので若干の改良が必要であろう。果たして皆様はこの構想をどうお感じになられただろうか。

現在は「薩摩川内市」に属する川内。この駅も新幹線が停車するようになって様変わりした事だろう。川内より鹿児島までは再び鹿児島本線を名乗る現在であるが、なぜ「肥薩おれんじ」にならなかったのか・・・それは新幹線と深い関係があると聞いた(「続きを読む」参照)。
さて、そうこうしていると、まもなく伊集院に。そう、後ほど鹿児島交通制覇後に再び立ち寄る「聖地」になる駅であろう。というか、気がついたら阿久根付近にいた時よりやたら乗客が増えている。そう、そうなんだ。もうすぐ西鹿児島という事で、鉄道本来の役割をしっかりと果たしている風景である。
伊集院を過ぎ、レールの波が扇状に広がっていくといよいよ西鹿児島に到着した。その時間14時11分。東京を23時25分に出発し、はるばる西に向かいながらとうとう西鹿児島に翌日の14時に到着という、とんでもない時間と体力が消耗されていった。「ヤッター!とうとう普通列車で鹿児島の地に足を踏み入れた!感動!!」と、嬉しさのあまり「青春の握りこぶし」をホームで連れの友と握り合った。そして感動のあまり涙が溢れ出す・・・
いや、実際は違った。

現在の鹿児島中央に到着!ついにやった!と感動に浸る時間も暇もない。この時は単なる乗り換え駅に過ぎなかった。私は更に枕崎に向け指宿枕崎線に乗り換える。その時間3分!
現実は・・・伊集院付近から車内が混み合っていく中、目指す鹿児島交通へは指宿枕崎線に乗り換えなければならない。指宿枕崎線の出発時間は14時14分、なんと3分の待ち合わせだ!私たちはすでにドアの手前にその身をあずけていた。列車が西鹿児島に着くと早速指宿枕崎線のホームに向かい猛ダッシュ!すでに出発ホームはアナウンスで確認している。一目散に跨線橋を駆け上がる。乗り換える指宿枕崎線の普通列車はすでに我々の座る座席などなく、不用意に空いたスペースに身を寄せるしかなかった。それでも枕崎まで向かわねばならない。そう、旅とは楽しい事ばかりではない。ある時にはこうした試練もむかえなければならない。というか、私の旅はこうした試練ばかりなのかも知れない。もちろん、計画段階ですでにこうした試練はわかっているのであるが・・・

1978年訪問時の西鹿児島。「にちりん」のDC版は、当時、日豊本線の宮崎~鹿児島間が非電化だったためである。バックには583系の姿が。昼間は「有明」として活躍していた。
さて、皆様は「青春18」についてどう感じ、そしてどういう印象をお持ちであろうか。もちろんこの切符の使い方は人それぞれで「18のみ」の場合もあれば、何かの切符と並行して「18」も使用する場合もあろうと思う。または現地に飛行機で向かい、現地で18を使うという事もあろう。人それぞれの使い方、人それぞれの旅。バリエーション豊かなこのきっぷを考えた当時の担当者は凄いと思うし、そして偉大であろう。その事はJR化された現在でも廃れずに活躍している姿を見れば一目瞭然。
ただ、残念なのは夜行普通列車の定期便が姿を消してしまった事。そして多くの鉄道路線が廃止という名のもとに姿を消してしまった事。「18」を使うのに、このふたつの楽しみが失われた事は実に重大かつ大きい。そんな中、皆様にとって「18」とはどういう存在なのであろうか?私にお知らせくだされば幸いである。そして皆様の意見を参考に新たな18の旅が発見できれば素敵であるし、そして私自身も新たな旅を探しに旅に出ることになろう。もちろん「青春18」を使って・・・

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新幹線と鹿児島本線川内~鹿児島の関係
インターネットなどで鹿児島本線の川内~鹿児島(鹿児島中央)間がなぜJRのまま残ったのかという理由についていろいろ書かれているが、ある筋によると、九州新幹線(鹿児島ルート)を宮崎まで延伸する際に、鹿児島中央からだと、ご存知のように桜島をバックに新幹線の鉄路が途切れており、在来線と十字クロスの形で交差する。となると桜島側に橋または海底トンネルなどで鹿屋方面に抜けなければならず、非現実的となる。そこで川内~宮崎間を標準軌に改軌してミニ新幹線を運転させようといういう構想があったらしい。恐らくウィキなどにはこの事は記されておらず、あまり知られていない事柄であると思われるが、もし実現したとして、採算性的にどうなのだろうという疑問が残る。この構想によると川内~鹿児島中央間は2種類の新幹線が別々の路線を走る事になるし、川内では福島や盛岡などに見られる分割・併合作業が発生するので若干の改良が必要であろう。果たして皆様はこの構想をどうお感じになられただろうか。
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コメント
ダイヤモンド☆トナカイ様
にわか者様
コメントありがとうございます。
ヤングでナウい世代では新幹線の無い西鹿児島を知らない事でしょう。あのとんがり屋根の駅舎は実に印象的でしたが、私の地元・西寒川なんてもっと地味な存在でありましょう。
さらににわか者さんの地元、名鉄のガントレットなどは完全に「日本昔ばなし」ですね。
ヤングでナウい世代では新幹線の無い西鹿児島を知らない事でしょう。あのとんがり屋根の駅舎は実に印象的でしたが、私の地元・西寒川なんてもっと地味な存在でありましょう。
さらににわか者さんの地元、名鉄のガントレットなどは完全に「日本昔ばなし」ですね。
こんばんは
川内~鹿児島中央間の一件は初耳です。宮崎延伸という目論見によるものだったんですね。日豊線末端部の現状を考えると、現状維持のままなんだろうなと思います。
wra様
コメントありがとうございます。
川内~鹿児島中央の件は意外に一般に出回っていない事ですが、ネタ元はあの川島令三氏によるものです。ですが、恐らくwraさんがおっしゃるように、ほぼ実現は無いでしょう。ですが、こうして当時の構想の名残を今でも感じることが出来るのはある意味貴重ですよね。と言うか、これって永遠に続く事ですから、かなりレア物と思います。
というより、正直な話、私的にはウィキなどで調べればわかるような事はなるべくウィキに掲載されている旨を伝え、それよりレアな情報を自身のブログに表現する事によって他の鉄道ブログとの違い的なカラーが出ればいいかなといつも考えてます。
そこに気づいていただいたwraさんは素晴らしいと思います。これからもレア情報を惜しみなく出していきますのでこれからもよろしくお願いいたします。
川内~鹿児島中央の件は意外に一般に出回っていない事ですが、ネタ元はあの川島令三氏によるものです。ですが、恐らくwraさんがおっしゃるように、ほぼ実現は無いでしょう。ですが、こうして当時の構想の名残を今でも感じることが出来るのはある意味貴重ですよね。と言うか、これって永遠に続く事ですから、かなりレア物と思います。
というより、正直な話、私的にはウィキなどで調べればわかるような事はなるべくウィキに掲載されている旨を伝え、それよりレアな情報を自身のブログに表現する事によって他の鉄道ブログとの違い的なカラーが出ればいいかなといつも考えてます。
そこに気づいていただいたwraさんは素晴らしいと思います。これからもレア情報を惜しみなく出していきますのでこれからもよろしくお願いいたします。
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ヤングでナウい私は、そんな駅知らないですよ!
もちろん冗談ですが、そんな世代が増えているんでしょうね・・・