「フルキヨキ」とは
2018-01-01
新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
さて、新年早々昨年の話で申し訳ないが、昨年の11月3日に私は「豊田真奈美引退試合」を観戦しに横浜は大さん橋ホールに出向いた。
豊田真奈美と聞いてピンと来たらあなたは相当熟練の女子プロレスフリークであろう。そう、私は久々に女子プロレスを観戦しに行ったのだ。恐らく20年以上振りくらいのため、現在活躍する現役レスラーはほとんどわからなかった。
ちなみに試合形式であるが、なんと1人一分勝負で50人と試合をするという、何とも無謀な、そして過去に前列がないであろう引退試合となった。

全く記事内容と関係ない写真の目白押しなのは新年恒例の事。今回のこの記事の写真は全て「ダイナミック✩トナカイ」の提供でお送りしよう。ご覧の「たざわ」は1983年頃の盛岡である。
だが、新陳代謝が激しいこの業界でバブル期に活躍したレスラーが今だに頑張っているのは実に素晴らしい事。25歳定年制という言葉が懐かしいくらいに現在でも現役を続けているレスラーは非常に貴重な存在であろう。中でも堀田佑美子や井上貴子などかつての全女仲間が現役で豊田真奈美の対戦相手として出場したのは実に感慨深い。中には男子のレスラーも登場。豊田真奈美の人間性がこの事ひとつとってもお分かりになろう。
実は、正直言ってこの大会の切符は手に入れたものの、試合当日まで観戦するかどうか悩んでいた。それは、試合の約一週間前に妻が骨折で入院してしまったのだ。経過はそれなりに順調であるが、やはり後ろめたいものがありなかなか会場に行くのに踏ん切りつかずにいた。だが、豊田真奈美の引退試合はこの日しかない❗との思いから、結局港・横浜に向けハンドルをきった。
この大会で特に感じたことは、とにかく豊田真奈美が「女性」という事。これは私個人の意見であるが、女性は「先輩・後輩」や「師匠」「友人」などの、いわゆる「絆」というものを前面に出してくる生物であるということをものすごく印象付けられた。
男の場合、恐らく照れからくるのか、それともプライドからなのかわからないが、女性ほど感情を表に出さないのではなかろうか。よく子供の頃「男の子なんだからメソメソしないの!」とか「男の子なんだからやられたらやり返すんだ!」など、何かにつけて「男なんだから」とよく親などに言われた記憶が皆さんもおありであろう。この「男」という単語にはいったいどんなキーワードが隠されているのであろうか。勿論十人十色、人それぞれ感情的な部分には違いはあろうが、やはりその事については逆に女性の方が顕著に表れていると思う。

こちらは1983~1984年頃の上野駅での撮影であろう。恐らく「クラブ活動」での撮影と思われる。ちなみにそのクラブ活動とは「鉄道研究クラブ」といい、私が中学生時代に所属した学校のクラブ活動であった。何度か紹介しているが、改めて報告すると、ダイナミック✩トナカイと私はこのクラブ活動の先輩・後輩の間柄であり、そして良き盟友でもあった。
豊田真奈美は私と2年しか年齢の違いがないが、彼女のファイトスタイルでよくぞここまで、この時代まで現役でいたと感心してしう。だが、やはり身体的に限界を感じ引退となってしまうわけだが、気持ち的には勿論現役続行の部分が100%であろう。
そういえば、よく定年したサラリーマンなどが定年後にやる事がなく、自分自身を見失う的な話を聞いたことがある。また、ニュースなどで、例えばお盆休みなどで長期休暇中にも関わらず丸の内のオフィス街にスーツ姿で「何となく仕事に来てしまった」みたいな事例も観たことがある。
私はそれについて否定も肯定もするつもりはない。それよりも私が言いたいのは「やることがある」という事は幸せなんだなという事が特に最近強く感じるようになった。そしてやるだけの環境や体力的なものも大切なんだなというのがかなり重要である事に最近気づいた。そしてそんな自分を更に将来に向け維持しなければならないであろうと思うようにもなった。

こちらも同じく「クラブ活動」の一環と思われる。1980年代の上野駅は非常なくらい頻繁に在来線の特急列車の行き来は激しかった。東京駅とは全く違う「北の玄関」のカラーが特異に放たれていた当時は、ある意味「メッカ」的存在でもあった。
豊田真奈美は引退したが、今後の活動などをまだ明言していない。果してプロレスよりも楽しいこと、やりたいことが見つかるのであろうか。それとももう既に決まっているのであろうか。
私は今後も鉄道と関わっていくであろうし、それが私のやりたい事でもある。そしてこのブログのテーマでもある「鉄道全線」はまだ乗り潰していない。勿論、その気になれば全線制覇できなくもない。だがあえて私は残してある。その理由は・・・その理由は皆様にお察しいただくとしよう。

こちらはダイナミック✩トナカイの単独行動によるものと思われる「くろしお」である。JR化後は「オーシャンアロー」なる新生特急が登場。国鉄派の私にとっては実に斬新なネーミングであった。
豊田真奈美の引退試合はとても素晴らしい興行であった。1人1分間で50人(正確には54人)との試合。試合というよりもお世話になったレスラー、お世話したレスラー達への別れの挨拶的な内容であった。豊田らしい・・・実に豊田らしい。後輩や先輩、そして同期との素晴らしい絆。
一足早く会場をあとにした私は、会場からかなり離れた位置にある駐車場に向かった。途中、山下公園を経由するが、桟橋から見る夜景はいつになく素敵だった。三連休の夜ということもあろう、桟橋には多くのカップルが夜景に向かい寄り添っている。ひとり駐車場に向かう私は「いったい自分はこの場所でひとり何をしているのだろう・・・」という思いが頭の中をかすめる。いや、今日は豊田真奈美が素敵な思い出をくれた。かつての仲間が、そしてライバル達が今日は笑顔で祝福してくれた。「ファイトスタイルを変えたりいろいろなキャラを演じるレスラーもいるけれど、私は豊田真奈美しか演じる事ができない。」これは後日にCSで放送された自身の引退試合のゲスト解説で述べたコメントである。勿論要約してあるが、内容的にはこんな感じである。
器用・不器用よりも最後まで豊田真奈美を演じる事ができた豊田真奈美は羨ましいし素晴らしい。

こちらは1984年頃の福井駅である。まだ地上時代の駅はカーブしたホームが特徴で、高架化された現在でもそのカーブしたホームが引き継がれている。私が北陸に初めて訪れたのは2006年頃であったので、国鉄時代に訪問できたダイナミック✩トナカイが実に羨ましい!
私自身、最後まで「ダイヤモンド⭐トナカイ」を演じる事ができるのであろうか。いや、演じる事が重要ではない。重要なのは鉄道が好きかどうかであろう。
桟橋から山下公園へ続く歩道には、かつての貨物線が転用されている。そこから見る夜景は実にロマンティック。かつて貨物列車に独占されていたのは実にもったいない!たった2本の鉄のかたまりにも、場所によりいろんなドラマが凝縮されている。そんなドラマを追い求め、今年も旅に出るのだろう。

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村
さて、新年早々昨年の話で申し訳ないが、昨年の11月3日に私は「豊田真奈美引退試合」を観戦しに横浜は大さん橋ホールに出向いた。
豊田真奈美と聞いてピンと来たらあなたは相当熟練の女子プロレスフリークであろう。そう、私は久々に女子プロレスを観戦しに行ったのだ。恐らく20年以上振りくらいのため、現在活躍する現役レスラーはほとんどわからなかった。
ちなみに試合形式であるが、なんと1人一分勝負で50人と試合をするという、何とも無謀な、そして過去に前列がないであろう引退試合となった。

全く記事内容と関係ない写真の目白押しなのは新年恒例の事。今回のこの記事の写真は全て「ダイナミック✩トナカイ」の提供でお送りしよう。ご覧の「たざわ」は1983年頃の盛岡である。
だが、新陳代謝が激しいこの業界でバブル期に活躍したレスラーが今だに頑張っているのは実に素晴らしい事。25歳定年制という言葉が懐かしいくらいに現在でも現役を続けているレスラーは非常に貴重な存在であろう。中でも堀田佑美子や井上貴子などかつての全女仲間が現役で豊田真奈美の対戦相手として出場したのは実に感慨深い。中には男子のレスラーも登場。豊田真奈美の人間性がこの事ひとつとってもお分かりになろう。
実は、正直言ってこの大会の切符は手に入れたものの、試合当日まで観戦するかどうか悩んでいた。それは、試合の約一週間前に妻が骨折で入院してしまったのだ。経過はそれなりに順調であるが、やはり後ろめたいものがありなかなか会場に行くのに踏ん切りつかずにいた。だが、豊田真奈美の引退試合はこの日しかない❗との思いから、結局港・横浜に向けハンドルをきった。
この大会で特に感じたことは、とにかく豊田真奈美が「女性」という事。これは私個人の意見であるが、女性は「先輩・後輩」や「師匠」「友人」などの、いわゆる「絆」というものを前面に出してくる生物であるということをものすごく印象付けられた。
男の場合、恐らく照れからくるのか、それともプライドからなのかわからないが、女性ほど感情を表に出さないのではなかろうか。よく子供の頃「男の子なんだからメソメソしないの!」とか「男の子なんだからやられたらやり返すんだ!」など、何かにつけて「男なんだから」とよく親などに言われた記憶が皆さんもおありであろう。この「男」という単語にはいったいどんなキーワードが隠されているのであろうか。勿論十人十色、人それぞれ感情的な部分には違いはあろうが、やはりその事については逆に女性の方が顕著に表れていると思う。

こちらは1983~1984年頃の上野駅での撮影であろう。恐らく「クラブ活動」での撮影と思われる。ちなみにそのクラブ活動とは「鉄道研究クラブ」といい、私が中学生時代に所属した学校のクラブ活動であった。何度か紹介しているが、改めて報告すると、ダイナミック✩トナカイと私はこのクラブ活動の先輩・後輩の間柄であり、そして良き盟友でもあった。
豊田真奈美は私と2年しか年齢の違いがないが、彼女のファイトスタイルでよくぞここまで、この時代まで現役でいたと感心してしう。だが、やはり身体的に限界を感じ引退となってしまうわけだが、気持ち的には勿論現役続行の部分が100%であろう。
そういえば、よく定年したサラリーマンなどが定年後にやる事がなく、自分自身を見失う的な話を聞いたことがある。また、ニュースなどで、例えばお盆休みなどで長期休暇中にも関わらず丸の内のオフィス街にスーツ姿で「何となく仕事に来てしまった」みたいな事例も観たことがある。
私はそれについて否定も肯定もするつもりはない。それよりも私が言いたいのは「やることがある」という事は幸せなんだなという事が特に最近強く感じるようになった。そしてやるだけの環境や体力的なものも大切なんだなというのがかなり重要である事に最近気づいた。そしてそんな自分を更に将来に向け維持しなければならないであろうと思うようにもなった。

こちらも同じく「クラブ活動」の一環と思われる。1980年代の上野駅は非常なくらい頻繁に在来線の特急列車の行き来は激しかった。東京駅とは全く違う「北の玄関」のカラーが特異に放たれていた当時は、ある意味「メッカ」的存在でもあった。
豊田真奈美は引退したが、今後の活動などをまだ明言していない。果してプロレスよりも楽しいこと、やりたいことが見つかるのであろうか。それとももう既に決まっているのであろうか。
私は今後も鉄道と関わっていくであろうし、それが私のやりたい事でもある。そしてこのブログのテーマでもある「鉄道全線」はまだ乗り潰していない。勿論、その気になれば全線制覇できなくもない。だがあえて私は残してある。その理由は・・・その理由は皆様にお察しいただくとしよう。

こちらはダイナミック✩トナカイの単独行動によるものと思われる「くろしお」である。JR化後は「オーシャンアロー」なる新生特急が登場。国鉄派の私にとっては実に斬新なネーミングであった。
豊田真奈美の引退試合はとても素晴らしい興行であった。1人1分間で50人(正確には54人)との試合。試合というよりもお世話になったレスラー、お世話したレスラー達への別れの挨拶的な内容であった。豊田らしい・・・実に豊田らしい。後輩や先輩、そして同期との素晴らしい絆。
一足早く会場をあとにした私は、会場からかなり離れた位置にある駐車場に向かった。途中、山下公園を経由するが、桟橋から見る夜景はいつになく素敵だった。三連休の夜ということもあろう、桟橋には多くのカップルが夜景に向かい寄り添っている。ひとり駐車場に向かう私は「いったい自分はこの場所でひとり何をしているのだろう・・・」という思いが頭の中をかすめる。いや、今日は豊田真奈美が素敵な思い出をくれた。かつての仲間が、そしてライバル達が今日は笑顔で祝福してくれた。「ファイトスタイルを変えたりいろいろなキャラを演じるレスラーもいるけれど、私は豊田真奈美しか演じる事ができない。」これは後日にCSで放送された自身の引退試合のゲスト解説で述べたコメントである。勿論要約してあるが、内容的にはこんな感じである。
器用・不器用よりも最後まで豊田真奈美を演じる事ができた豊田真奈美は羨ましいし素晴らしい。

こちらは1984年頃の福井駅である。まだ地上時代の駅はカーブしたホームが特徴で、高架化された現在でもそのカーブしたホームが引き継がれている。私が北陸に初めて訪れたのは2006年頃であったので、国鉄時代に訪問できたダイナミック✩トナカイが実に羨ましい!
私自身、最後まで「ダイヤモンド⭐トナカイ」を演じる事ができるのであろうか。いや、演じる事が重要ではない。重要なのは鉄道が好きかどうかであろう。
桟橋から山下公園へ続く歩道には、かつての貨物線が転用されている。そこから見る夜景は実にロマンティック。かつて貨物列車に独占されていたのは実にもったいない!たった2本の鉄のかたまりにも、場所によりいろんなドラマが凝縮されている。そんなドラマを追い求め、今年も旅に出るのだろう。

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村
スポンサーサイト
コメント
古きを訪ね・・・
すんや様
コメントありがとうございます。そして新年あけましておめでとうございます。
冒頭より私事で申し訳ありませんが、先月の28日から明けて1月5日まで労働のため殆どPCに触っておらず次の記事も現在のところ白紙状態です。
ところで、いつも私のブログを御覧いただき大変嬉しく思いますが、更に私の記事内容に数多く共感いただき光栄に思います。今回は全くレールとは無縁の記事ですが、たまには「ひとり旅」もいいものだと感じました。
骨折で歩行困難な妻を見て特に「やりたい事ができる環境にいる自分」は幸せな事だと改めて感じました。回復は順調ですが、まだまだ旅には出られそうにありません。
それはともかく、これからも精力的に更新して参りますので今年もよろしくお願いします。
ちなみに「トミー」ですが、豊田真奈美引退試合でもいましたよ!まだまだ現役です。
冒頭より私事で申し訳ありませんが、先月の28日から明けて1月5日まで労働のため殆どPCに触っておらず次の記事も現在のところ白紙状態です。
ところで、いつも私のブログを御覧いただき大変嬉しく思いますが、更に私の記事内容に数多く共感いただき光栄に思います。今回は全くレールとは無縁の記事ですが、たまには「ひとり旅」もいいものだと感じました。
骨折で歩行困難な妻を見て特に「やりたい事ができる環境にいる自分」は幸せな事だと改めて感じました。回復は順調ですが、まだまだ旅には出られそうにありません。
それはともかく、これからも精力的に更新して参りますので今年もよろしくお願いします。
ちなみに「トミー」ですが、豊田真奈美引退試合でもいましたよ!まだまだ現役です。
ダイヤモンド☆トナカイ様
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。
本来であれば三が日にするご挨拶ですが、ガラケーからコメできないため、申し訳ないです。
それと、奥様の骨折の容態はいかがでしょうか?
私事で恐縮ですが、昨年交通事故で肋骨を骨折しました・・・
もう少し(かなり???)遡りますと、高校時代には鎖骨を骨折しました・・・
この時は完治した直後にまず紀勢本線のEF58牽引の鈍行(すでに12系でしたが)を撮影に行き、翌月は北海道へ乗りつぶしに行きました。
骨折といいますと、どうしてもこの2つを思い出してしまいまして・・・
最後になりましたが、奥様が早く回復されますように祈っています。
本年もよろしくお願い申し上げます。
本来であれば三が日にするご挨拶ですが、ガラケーからコメできないため、申し訳ないです。
それと、奥様の骨折の容態はいかがでしょうか?
私事で恐縮ですが、昨年交通事故で肋骨を骨折しました・・・
もう少し(かなり???)遡りますと、高校時代には鎖骨を骨折しました・・・
この時は完治した直後にまず紀勢本線のEF58牽引の鈍行(すでに12系でしたが)を撮影に行き、翌月は北海道へ乗りつぶしに行きました。
骨折といいますと、どうしてもこの2つを思い出してしまいまして・・・
最後になりましたが、奥様が早く回復されますように祈っています。
にわか者様
コメントありがとうございます。
新年明けましておめでとうございます。
早速コメントいただきました「EF58」は非常に懐かしく、国鉄時代の名車のひとつとして記憶に残ります。かつては「銀河」を始め、東北方面の寝台列車野牽引に活躍していましたね。私が乗車した「はやたま」も新宮から天王寺で姿を現してました。
妻に関してはようやく松葉杖無しで歩行できるようになり、思ったより早く回復しているようです。
今年も精力的にアップしてまいりますのでよろしくお願いいたします。
新年明けましておめでとうございます。
早速コメントいただきました「EF58」は非常に懐かしく、国鉄時代の名車のひとつとして記憶に残ります。かつては「銀河」を始め、東北方面の寝台列車野牽引に活躍していましたね。私が乗車した「はやたま」も新宮から天王寺で姿を現してました。
妻に関してはようやく松葉杖無しで歩行できるようになり、思ったより早く回復しているようです。
今年も精力的にアップしてまいりますのでよろしくお願いいたします。
遅くなりましたがあけましておめでとうございます。
北陸は何度となく足を運び多い時で年3回行ってましたが
北陸新幹線開業後はしばらく距離を置くようになり
2度しか行ってませんが
その2度目となった年末年始に富山地鉄の電車旅をしてきました。
福井駅を初めて訪問した2003年秋には
既に仮設ホームで発着してて旧ホームを見ずでしたが
ステーションビルの大衆型の駅舎を見れたのが救いでした。
それから時が流れ今度は新幹線延伸となり
更に表情が変わっていくものと思われます。
旧年と変わらぬご愛顧よろしくお願いいたします。
北陸は何度となく足を運び多い時で年3回行ってましたが
北陸新幹線開業後はしばらく距離を置くようになり
2度しか行ってませんが
その2度目となった年末年始に富山地鉄の電車旅をしてきました。
福井駅を初めて訪問した2003年秋には
既に仮設ホームで発着してて旧ホームを見ずでしたが
ステーションビルの大衆型の駅舎を見れたのが救いでした。
それから時が流れ今度は新幹線延伸となり
更に表情が変わっていくものと思われます。
旧年と変わらぬご愛顧よろしくお願いいたします。
libertyrail樣
コメントありがとうございます。
そして明けましておめでとうございます。
私の場合、国鉄時代に北陸方面は実現しませんでした。当時私の主力は「18」だったので、夜行普通列車の運転が無い北陸地方は妙な空白地帯になってしまいました。福井を始め、金沢や富山など、地上時代の駅は実に魅力で、特に金沢は現在の2倍以上の広さだったと思います。
近年になり北陸方面は何度か訪問できるようになりましたが、新幹線開通後の景色をみてみたいですね。併せて「白山下」などのかつての面影も追ってみたく、ちょっと気持ちが湧いている感じですね。早ければ今夏にでも実現できればいいと思います。
今年もよろしくお願いがいします。
そして明けましておめでとうございます。
私の場合、国鉄時代に北陸方面は実現しませんでした。当時私の主力は「18」だったので、夜行普通列車の運転が無い北陸地方は妙な空白地帯になってしまいました。福井を始め、金沢や富山など、地上時代の駅は実に魅力で、特に金沢は現在の2倍以上の広さだったと思います。
近年になり北陸方面は何度か訪問できるようになりましたが、新幹線開通後の景色をみてみたいですね。併せて「白山下」などのかつての面影も追ってみたく、ちょっと気持ちが湧いている感じですね。早ければ今夏にでも実現できればいいと思います。
今年もよろしくお願いがいします。
コメントの投稿
トラックバック
この記事へのトラックバックURL
http://4190koawazay.blog.fc2.com/tb.php/772-b90a800b
まずは新年のご挨拶ということで、本年もよろしくお願いいたします。
新年一本目の記事としては毎年考えさせられるというか、読者としては新たな年を迎え今後の残された多くはない人生をいかに行きていくか?ということを考えずにはいられない記事だなと感じました。
鉄道関連のブログなのにプロレスやその他あまり関連性のない話題でも、これをきっかけに過去を振り返りそして今後来る未来をどう生きていくか?
そんな、コメントを書かずにいられない記事を提供してくれるから読まずにはいられないのです。
さて女子プロレスというと私は2000年前後の時期、以前のコメントでも書いたような気がしますが「ガイアジャパン」にハマっていた時期がありました。
たまたま当時勤めていた会社の後輩に誘われたことがきっかけでしたが、幼少期にテレビ観戦していたプロレス黄金期の頃とは大人になったせいか「見方」が変わり、試合を通してレスラーのリングに上がるまでのプロセスみたいなものが透けて見えてきたというか、その背景を想像するとただただ凄いなぁという感想しか浮かばなかった、という記憶が蘇ってきました。
初めのうちはせっかくだからとリングサイド席で観戦しましたが、何度か見に行ってみるとプロ野球観戦時の外野席にも似た感覚で、南席の後部から見る方が断然面白く感じました。
一試合完結ではなくそのショー的要素にも視点を向けてみると、やはり出来る限り会場に足を運び観戦したいと思わせる演出に感心したり、そういった意味でも満足度の高いものでした。
(試合前のレスラー紹介の後にある「トミー!!!!」の掛け声が好きでしたよw)
どうもまとまりのないコメントになりましたがそろそろ締めましょう。
「やることがある」のくだりは、おっしゃる通り「幸せ」であると同時に、最近になってとても「贅沢なこと」だと感じることが多くなりました。
正直「やりたいことがない」という状況になったことがないので最近まで気がつきませんでしたが、そういうことなんだと明確に認識することができて、だからこそ残された時間に何をすべきか?という視点が持てるようにもなったと思います。
バイクばかりのここ数年ですが、今年こそは鉄道の旅に復活したいと思っています。