新春ジャイアントシリーズ① 宗谷本線の魅力に迫る
2018-01-05
宗谷本線は、言わずと知れた日本最北端の鉄道路線である。そして多くのレールファンがその魅力に惹きつけられ、そして魅了されている事であろう。2017年夏、それこそウン十年来の夢であった宗谷本線の各駅巡りが具現化した。
最近の私のブログは「駅めぐり」的な記事が非常に多くなったが、逆に言えば「線の旅」から「点の旅」ができる環境になったという事である。

JR北海道的には、そしてレールファン的には非常にオーソドックス的風景な駅であろう下沼であるが、交換設備が外された駅も少なくない。
私が中学生の頃は「いい旅チャレンジ20000km」のキャンペーン中で、それこそ多くの鉄道路線を乗り潰さなければならなかった。「乗り潰さなければならなかった」とはなんか義務感みたいな印象で、実際に内容のある旅をしているのかどうか疑問に思う部分もなくはないであろう。当時は「ワイド周遊券」という切符があり、例えば北海道などは20日間有効で北海道の国鉄全線と国鉄バスの一部が利用でき、更に特急列車の自由席も利用できるという優れものであった。もちろん急行列車も急行券無しで利用できるので、夜行急行列車の宝庫であった北海道では非常に重宝した切符であった。
散々北海道行きの計画は作りまくったが、結局全て御蔵入りとなってしまい、結局国鉄時代に北海道へ訪問できたのは白糠線廃止情報を受けた1983年のみであった。

素敵な駅舎に建て替えられた美深。とは言え、私の記憶だと美幸線が健在の時は既にこの駅舎であったので30年以上前にリニューアルされた事になるが、そうとは思えないくらいのメンテナンス感。
そんな時代から約30年くらいが過ぎ、ようやく自身のやりたい事がわずかながらでも実現させるタイミングが作れるようになり、今こうしてその記憶を綴ろうとしている訳であるが、やはり国鉄時代にも経験したかったというのが本音かも知れない。だが、こうして時を越え現在の宗谷本線を巡る事が出来る自分は、ある意味幸せな事であろう。今回も駅めぐりの記事が多くなろうと思うが、最後までお付き合いいただければ幸いである。

宗谷本線の要衝駅である名寄であるが、構内の側線はかなり撤去されてしまった。名寄以北は将来的に存続問題が囁かれているが、個人的には是非とも永遠な交通機関として活躍して欲しい気持ちである。

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最近の私のブログは「駅めぐり」的な記事が非常に多くなったが、逆に言えば「線の旅」から「点の旅」ができる環境になったという事である。

JR北海道的には、そしてレールファン的には非常にオーソドックス的風景な駅であろう下沼であるが、交換設備が外された駅も少なくない。
私が中学生の頃は「いい旅チャレンジ20000km」のキャンペーン中で、それこそ多くの鉄道路線を乗り潰さなければならなかった。「乗り潰さなければならなかった」とはなんか義務感みたいな印象で、実際に内容のある旅をしているのかどうか疑問に思う部分もなくはないであろう。当時は「ワイド周遊券」という切符があり、例えば北海道などは20日間有効で北海道の国鉄全線と国鉄バスの一部が利用でき、更に特急列車の自由席も利用できるという優れものであった。もちろん急行列車も急行券無しで利用できるので、夜行急行列車の宝庫であった北海道では非常に重宝した切符であった。
散々北海道行きの計画は作りまくったが、結局全て御蔵入りとなってしまい、結局国鉄時代に北海道へ訪問できたのは白糠線廃止情報を受けた1983年のみであった。

素敵な駅舎に建て替えられた美深。とは言え、私の記憶だと美幸線が健在の時は既にこの駅舎であったので30年以上前にリニューアルされた事になるが、そうとは思えないくらいのメンテナンス感。
そんな時代から約30年くらいが過ぎ、ようやく自身のやりたい事がわずかながらでも実現させるタイミングが作れるようになり、今こうしてその記憶を綴ろうとしている訳であるが、やはり国鉄時代にも経験したかったというのが本音かも知れない。だが、こうして時を越え現在の宗谷本線を巡る事が出来る自分は、ある意味幸せな事であろう。今回も駅めぐりの記事が多くなろうと思うが、最後までお付き合いいただければ幸いである。

宗谷本線の要衝駅である名寄であるが、構内の側線はかなり撤去されてしまった。名寄以北は将来的に存続問題が囁かれているが、個人的には是非とも永遠な交通機関として活躍して欲しい気持ちである。

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コメント
ダイヤモンド☆トナカイ様
にわか者様
コメントありがとうございます。現在、宗谷本線は支線を持たない本線となってしまいました。かつては天北線を始め、羽幌線や美幸線、名寄本線や深名線など乗り潰し泣かせの路線が多数接続してましたね。特に天北線はかつては宗谷本線でしたから、何となく因果な何かを感じます。
特に深名線は他線との接続が悪く、限られた列車に乗らなければ乗り潰しの効率が悪くなる印象でした。しかも朱鞠内での待ち時間がやたらもったいなく感じ、ハッキリ言って深名線はほぼ1日~半日がかりだったような気がします。結局現役時代の訪問は実現しなかったのですが、同じ時代を過ごしたと言うことで、ある意味納得材料になるのかもしれません。
特に深名線は他線との接続が悪く、限られた列車に乗らなければ乗り潰しの効率が悪くなる印象でした。しかも朱鞠内での待ち時間がやたらもったいなく感じ、ハッキリ言って深名線はほぼ1日~半日がかりだったような気がします。結局現役時代の訪問は実現しなかったのですが、同じ時代を過ごしたと言うことで、ある意味納得材料になるのかもしれません。
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美深に名寄・・・
ナウいヤングなテツにとっては、何でもない途中駅かもしれないですが・・・
我々世代にとっては、交通の要所でしたからね。
何もかも懐かしいです。