エキサイトシリーズ① 旧・天北線と宗谷本線を巡る
2018-03-05
先の新春ジャイアントシリーズでは2014年の普通列車乗車時と2017年のレンタカーによる訪問時とあわせて紹介したが、これより先の稚内までは特急列車とレンタカーによる訪問での紹介となる。
勿論、特急列車は限定された駅しか停車しないため、途中駅はレンタカーによる訪問時の紹介になるが、正直言って、音威子府以北に限らず宗谷本線の、いや、北海道は特に都市から都市までの距離が長く、途中駅は本当に人口希少地帯が多い。そう考えると音威子府や幌延などは超大都会であるし名寄などは政令指定都市のような錯覚に陥る場面も少なくない。

国鉄時代、音威子府~稚内までの鉄路は2通りあった。若いレールファンには右側の路線図は馴染みがないと思われるが、かつての宗谷本線ルートで国鉄時代~JR時代は天北線として活躍していた。写真は音威子府駅構内にある天北線資料室より。
つまり北海道はそれこそ「デッカイドー」ではないが、集落から集落までの距離が長く、そしてその集落こそ貴重な「収入源」となる。私があえてこの場で述べるまでもないが、JR北海道は札幌近郊の路線で経営が成り立ってるようなもので、特に札幌~千歳空港間は貴重なドル箱路線となっている。
宗谷本線もかつてはサハリンに抜ける貴重な鉄道路線であったろう。特にその昔は天北線が宗谷本線を名乗っていた訳だから、今考えると先人の敷設当時の苦労などが甦ってくる感じだ。

音威子府からしばらく無人地帯的な地域を走ってきたので、浜頓別はある意味「大都会」に思えた。現在はご覧の通りに面影を残すが、レール的何かは残っていない印象であった。
今回のシリーズではレンタカー訪問が中心となるが、天北線の模様もあわせて紹介してみよう。先述して飛行場前と山軽は既に紹介しているが、ハッキリ言って天北線沿線は浜頓別を除き超人口稀少地帯の印象であった。特に音威子府~浜頓別は全く人の気配が無い印象で、確かに中頓別などの集落はあるものの、全体的に無人地帯的な印象が強かった。先人はよくこのような地にてレールを敷設したと感心してしまうが、基本的にかつては貨物輸送も担っていた訳で、お客様が旅客だけではない時代もあったのだから経営的には国鉄末期よりも数値的には良かったはずだ。

天北線は今回音威子府~飛行場前までの訪問となった。残りは次回にじっくり訪問してみたい。もちろん美幸線の未成線区間も含めてである。そして飛行場前より問寒別で宗谷本線と再び合流した。
そんな天北線も現在は記憶として我々にメモリーされただけの鉄道になってしまったが、沿線道路は恐らく以前よりも幅員が広がり整備され、それこそ利用しやすい設計になったはずだ。とは言え、正直言って真夜中にこの区間の道を通るとかなり危険を感じずにいられない雰囲気であった。私の訪問は昼間であったから良かったが、ある意味この地にて暮らされている方の苦労もひしひしと伝わってくる雰囲気でもあった。そんな中でかつての鉄道の存在は沿線住民にとってどのように映っていたのであろう。そんな思いを探るべく、音威子府よりハンドルを右に切った。

今回宿泊の地になった幌延。駅前の民宿で一夜を過ごしたが、とても清潔感があり民宿を超えた民宿的印象であった。幌延訪問の際はぜひおすすめいたします!
旧・天北線を飛行場前まで辿り、その後問寒別で宗谷本線に合流する計画を企てたのは先述通り2017年の夏である。予定では音威子府14時頃に出発し問寒別に到着するのが17時頃である。地図上では私の計画はギリギリのギリ、というよりある意味無謀なスケジュールであったが、実際に訪問してみたら、この日の宿となる幌延には全く問題なく余裕で到着した。もちろん、夏場であるから日が長いというメリット含め明るいうちに取材できたのはある意味、達成感的な部分は非常に大きかった。

翌日、更に北を目指す。ゴールの稚内まで全ての駅をめぐりめぐる。途中、北の大地の雄大さを思い知らされる事になるのだが・・・
いつも私は出発直前くらいまで計画を見直したり変更したりする。実は今回も音威子府から天北線の一部をめぐり更に宗谷本線に再び合流して幌延に宿泊する事は本当に出発の2週間前くらいに変更したのだ。それまでは稚内で宿泊をして天北線と宗谷本線を抜かりなくまわるつもりであったが、ある意味この変更は正解であったろうと思う、というより思いたい。もちろん天北線の訪問できなかった区間があるのは勿体無い気もあるが、その部分については旧・美幸線やその未成線を含め改めて訪問してみたい。もちろん時間をしっかりとって・・・

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勿論、特急列車は限定された駅しか停車しないため、途中駅はレンタカーによる訪問時の紹介になるが、正直言って、音威子府以北に限らず宗谷本線の、いや、北海道は特に都市から都市までの距離が長く、途中駅は本当に人口希少地帯が多い。そう考えると音威子府や幌延などは超大都会であるし名寄などは政令指定都市のような錯覚に陥る場面も少なくない。

国鉄時代、音威子府~稚内までの鉄路は2通りあった。若いレールファンには右側の路線図は馴染みがないと思われるが、かつての宗谷本線ルートで国鉄時代~JR時代は天北線として活躍していた。写真は音威子府駅構内にある天北線資料室より。
つまり北海道はそれこそ「デッカイドー」ではないが、集落から集落までの距離が長く、そしてその集落こそ貴重な「収入源」となる。私があえてこの場で述べるまでもないが、JR北海道は札幌近郊の路線で経営が成り立ってるようなもので、特に札幌~千歳空港間は貴重なドル箱路線となっている。
宗谷本線もかつてはサハリンに抜ける貴重な鉄道路線であったろう。特にその昔は天北線が宗谷本線を名乗っていた訳だから、今考えると先人の敷設当時の苦労などが甦ってくる感じだ。

音威子府からしばらく無人地帯的な地域を走ってきたので、浜頓別はある意味「大都会」に思えた。現在はご覧の通りに面影を残すが、レール的何かは残っていない印象であった。
今回のシリーズではレンタカー訪問が中心となるが、天北線の模様もあわせて紹介してみよう。先述して飛行場前と山軽は既に紹介しているが、ハッキリ言って天北線沿線は浜頓別を除き超人口稀少地帯の印象であった。特に音威子府~浜頓別は全く人の気配が無い印象で、確かに中頓別などの集落はあるものの、全体的に無人地帯的な印象が強かった。先人はよくこのような地にてレールを敷設したと感心してしまうが、基本的にかつては貨物輸送も担っていた訳で、お客様が旅客だけではない時代もあったのだから経営的には国鉄末期よりも数値的には良かったはずだ。

天北線は今回音威子府~飛行場前までの訪問となった。残りは次回にじっくり訪問してみたい。もちろん美幸線の未成線区間も含めてである。そして飛行場前より問寒別で宗谷本線と再び合流した。
そんな天北線も現在は記憶として我々にメモリーされただけの鉄道になってしまったが、沿線道路は恐らく以前よりも幅員が広がり整備され、それこそ利用しやすい設計になったはずだ。とは言え、正直言って真夜中にこの区間の道を通るとかなり危険を感じずにいられない雰囲気であった。私の訪問は昼間であったから良かったが、ある意味この地にて暮らされている方の苦労もひしひしと伝わってくる雰囲気でもあった。そんな中でかつての鉄道の存在は沿線住民にとってどのように映っていたのであろう。そんな思いを探るべく、音威子府よりハンドルを右に切った。

今回宿泊の地になった幌延。駅前の民宿で一夜を過ごしたが、とても清潔感があり民宿を超えた民宿的印象であった。幌延訪問の際はぜひおすすめいたします!
旧・天北線を飛行場前まで辿り、その後問寒別で宗谷本線に合流する計画を企てたのは先述通り2017年の夏である。予定では音威子府14時頃に出発し問寒別に到着するのが17時頃である。地図上では私の計画はギリギリのギリ、というよりある意味無謀なスケジュールであったが、実際に訪問してみたら、この日の宿となる幌延には全く問題なく余裕で到着した。もちろん、夏場であるから日が長いというメリット含め明るいうちに取材できたのはある意味、達成感的な部分は非常に大きかった。

翌日、更に北を目指す。ゴールの稚内まで全ての駅をめぐりめぐる。途中、北の大地の雄大さを思い知らされる事になるのだが・・・
いつも私は出発直前くらいまで計画を見直したり変更したりする。実は今回も音威子府から天北線の一部をめぐり更に宗谷本線に再び合流して幌延に宿泊する事は本当に出発の2週間前くらいに変更したのだ。それまでは稚内で宿泊をして天北線と宗谷本線を抜かりなくまわるつもりであったが、ある意味この変更は正解であったろうと思う、というより思いたい。もちろん天北線の訪問できなかった区間があるのは勿体無い気もあるが、その部分については旧・美幸線やその未成線を含め改めて訪問してみたい。もちろん時間をしっかりとって・・・

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コメント
ダイヤモンド☆トナカイ様
にわか者様
コメントありがとうございます。
まさかバースデーの祝福コメントいただけるとは思いませんでした。ありがとうございます。
ただ、「おめでとう」という年齢ではなくなってきて久しいですね。
ただ、我々は旧型客車や国鉄時代の晩年を経験できたり、ミレニアムや昭和➡平成の変化などさまざまなイベントも経験できて、ある意味しあわせかも知れませんね。
プロレスでいうところの、力道山はダメだったけどジャイアント馬場やアントニオ猪木と同じ時代に生きた「生き証人」でもあるわけですからある意味価値もありそうです。
と長くなりましたが、今後とも「鉄道全線完全制覇の旅」をよろしくお願いいたします。
まさかバースデーの祝福コメントいただけるとは思いませんでした。ありがとうございます。
ただ、「おめでとう」という年齢ではなくなってきて久しいですね。
ただ、我々は旧型客車や国鉄時代の晩年を経験できたり、ミレニアムや昭和➡平成の変化などさまざまなイベントも経験できて、ある意味しあわせかも知れませんね。
プロレスでいうところの、力道山はダメだったけどジャイアント馬場やアントニオ猪木と同じ時代に生きた「生き証人」でもあるわけですからある意味価値もありそうです。
と長くなりましたが、今後とも「鉄道全線完全制覇の旅」をよろしくお願いいたします。
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遅くなりましたが、誕生日おめでとうございます。
生まれた年も同じ、生まれた日も一日違うだけ・・・
しかも同じ趣味(すみません。プロレスと音楽は、さっぱりですが・・・)を持ち、時を同じくして国鉄全線完全乗車へ旅立った・・・
こんな人がいたなんて・・・
PCがないため、以前のペースのようにカキコできませんが・・・
今後とも、よろしくお願い申し上げます。