エキサイトシリーズ⑧ なぜか南幌延で思い出した事
2018-04-10

全く私事で申し訳ないが、私に初めて彼女ができたのは中学3年の時であった。
同じクラスの娘であったが、私も人並みに恋をしようと当時は思ったのであろう。同じクラスの仲良かった女の子に相談して告白する一大決心をしたのだ。その女の子と私の好きだった女の子とは特別仲良かったというわけではなかったが、他にどうすればいいのかわからず、いわゆる「キューピッド役」になってもらった。
確か音楽室だったか放送室だったかに放課後に呼んで連れてきてもらっていよいよ告白タイムとなった。そしてキューピット役の女の子から「早く言いなよ」みたいに言われ私は好きだった女の子に想いの全てをぶつけた。
「これこれこうで・・・」
すると意外な言葉が返ってきた。「これってドッキリみたいな感じにからかわれてるの?」
ハッキリ覚えてないがなんとなくニュアンス的にこんな感じの第一声だったと思う。
「いや、そんなんじゃなくて本当なんだけど」
多分、キューピッド役の女の子もフォローいれてくれたと思う。そして・・・
「実は私もあなたの事を・・・」
と言われ唖然としてしまった。つまりお互いに好意を抱いていた「両想い」ということであった!意外な言葉に私はどうしていいかわからなかった。まさかそんな事を言われるとは思わなかったので私自身信じられなかった。
やがてふたりは付き合うようになったが、彼女が「二人きりで会うのは恥ずかしい」みたいな理由から、最終的に二人きりで会った事は結局一度もなかった。必ず4対4とかのタッグマッチで私の家で遊んだのを覚えている。
そしていつしか自然消滅みたいにふたりの関係はフェードアウトしていった。いや、もしかしたら私が振られたのかも知れないが、付き合っている頃に私は白糠線廃止情報を受けて北海道へ向かっている。そして帰郷の際に私は彼女に「白い恋人」をお土産に買っていった。


こうした駅っていつも踏切のそばにあるよねっ!的なシチュエーションであるが、現在、存続問題で揺れているのは周知の通り。
今考えたらなんとも子供らしい経験であるが、やはり中学生だけに恋愛経験は愚か、人生の経験も少ないため対応の仕方がわからなかった。お互いに異性と付き合うというイベントが初めてだった(と思う)ので、お互いにどうしていいかわからなかったと思う。今となってはいい思い出だ。
実はその後に後日談があり、確か私が20歳くらいの時に彼女から久々の電話があった。懐かしかった。色々話をしたが、今ハッキリ覚えている一言が「なんか軽くなったね」と言われた事であった。「えっ?」て思った。多分、電話があった当時はレールファンは休業中で、音楽その他多方面に向け、ある意味「青春」をしていた事を伝えたのがそういうイメージになってしまったのかも知れない。まぁ、でも彼女から連絡があるって事は何となく嬉しかったし、増して付き合った当時はお互いに何も知らない、話した事もないところからのスタートだったので、それを考えたらいい意味で発展したという事であろう。







踏切のそばにある、ホームは木の板張りでできている等、かつて仮駅であった条件が揃っているが、ここは開業当時かられっきとした駅である。幌延の「南」とはいえ、眺め的にはバッチグーじゃないですか?
今、この平成の世の中になって当時何を思っていたか本人に聞いてみるのもいいかなと思ってしまう。今彼女はどうしているのであろうか。年齢的に孫がいてもおかしくない。が、そんなことを考えているのは私の方だけかも知れない。私的に失恋とはあまり思い出したくないものであるが、この恋愛に関しては妙に懐かしく、そして嫌な感じがしない。むしろ素敵なメモリーとして貴重な宝物となっている。と言うか、失恋とかというより自然消滅的にお互い離れていった記憶なので後腐れないというか嫌なイメージが私には無い。いや、向こうはどう考えているのかわからないが・・・もしかしたら私の事を「あんなのなんで好きになったのかな」みたいに思っているかも知れないが・・・



これが冬季には活躍するんだよねッ!的な建築物であるが、レールファンから見れば素敵に見えるが、地元の方にしてみたら強い味方であろう。
さて、本題に入ろう。安牛から幌延までは比較的短い距離間で駅が発生する。つまり幌延に近づくにつれ周辺の利用者も増えてくるため・・・というのは過去の話である。隣の安牛もここ南幌延も、天塩川を挟んだ対岸には比較的大きな集落があると聞いた。
対岸では列車を利用しにくいよな~と普通に考えてしまう。実際にここ南幌延は存続問題で揺れているらしい。というより、宗谷本線自体が今後の行方も気になる。

駅前一等地はこんな風景である。残念ながらJRの収入源にはならないであろうが・・・
なぜ南幌延の章を書いている時に過去の恋愛の事を思い出したのか・・・私にもわからない。ただ、北海道という地は初めて訪問したのが中学3年生の時で、ずっと訪れてみたかった地であり、そして白糠線廃止情報を受け、当時唯一北海道の国鉄時代を経験できた時期でもあった。そしてその背景にそんなプライベートな恋愛話もあって、私にとって1983年とはある意味ターニングポイントであった気がする。そんな当時の国鉄的風景を今も尚残している宗谷本線を今訪ねていると、やはりそういった過去を思い出すのは自然であろう。そしてもっとレールファンを続けていれば国鉄時代に宗谷本線を始め北海道全線を経験できたかも知れない、ある意味悔しさみたいなものも感じる。であるから、やはり経験出来る時に経験するのが一番いい。「来年にしよう」とか「いつか必ず」ではその時できるかわからない。だから思い立ったら即行動!これが最近における私のポリシーでありセオリーである。

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コメント
ダイヤモンド☆トナカイ様
にわか者様
コメントありがとうございます。
「モテ期」があったなんて羨ましいですね。私にモテ期はなかったし、容姿では周囲より絶対に劣っていたと思っていたので「笑い」ではないけどかなりメンタルな部分で攻めようと決めてました。
中学生時代はたまたま運が良かったのかも知れませんが、北海道初上陸と重なり今でも思い出深いです。
恐らくほとんどの人が通る道だと思いますし、ある意味、思い出は昔のままにしておいた方が良い場合もあることでしょう。
ただ、そんな北海道も、最近になって夕張支線の廃止情報が流れて、私の蒼い思い出とともに消えてしまうのは寂しい限りですね。もっとも昔は夕張「支線」ではなかったのですが・・・
「モテ期」があったなんて羨ましいですね。私にモテ期はなかったし、容姿では周囲より絶対に劣っていたと思っていたので「笑い」ではないけどかなりメンタルな部分で攻めようと決めてました。
中学生時代はたまたま運が良かったのかも知れませんが、北海道初上陸と重なり今でも思い出深いです。
恐らくほとんどの人が通る道だと思いますし、ある意味、思い出は昔のままにしておいた方が良い場合もあることでしょう。
ただ、そんな北海道も、最近になって夕張支線の廃止情報が流れて、私の蒼い思い出とともに消えてしまうのは寂しい限りですね。もっとも昔は夕張「支線」ではなかったのですが・・・
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学校の帰りに呼び止められて・・・
その子以外にも、あれこれあり・・・
今にして思えば、あの時が人生のモテ期だったとでもいうのだろうか・・・
高校の時もあれこれありましたが、大学生になってさっぱりの状態に・・・
そして・・・いまだ独身・・・
いいだ!私は鉄道が恋人であり、生涯の伴侶だ!!(涙)