エキサイトシリーズ⑩ 幌延はパラダイス
2018-04-20

エキサイトシリーズもこの幌延で千秋楽となった。今回紹介している旅では旅籠の役割として機能してくれたので、じっくりと駅を観察出来ることとなった。というのも、宿泊施設は駅前の民宿で、駅から徒歩で、いや、駅舎から徒歩で25歩くらいであろう距離である。

やはり特急停車駅とあって乗降がそれなりにあった。だが、時間帯によっては無人駅になるなど、昭和の私にはあまり馴染みのない事象なので不思議な感じだ。しかも、この私が宿に着いて駅を観察に行った時間帯は既にそれに当てはまり、「スーパー宗谷」の写真を撮影しながら複雑な気持ちになった。もはや合理化もかなり限界に来ているJR北海道の印象であった。
特急列車からは学生服姿もチラホラ見えて、ある意味かなりリッチな通学風景だなと感じてしまう。



辺りもすっかり暗くなってきたが、まだまだ撮影可能な明るさだ。私の訪問時は駅員の勤務時間外であった。平成の世の中、幌延でさえも無人駅の時間帯があろうとは・・・時代も変わったものだ。
さて、幌延であるが、かつては羽幌線が北西に向け分岐していた。南からくる列車を北で受け止めるとはなんとも興味深い設計であるが、そんな面影すらあまり感じないくらいの薄い印象であった。
羽幌線と聞いて若いレールファンはあまり馴染みがない路線名であろうが、私自身も現役時代に訪問する夢は幻に終わった。最盛期は恐らく昭和30年頃と思われるが、主役は石炭であったろう。ただ、昭和55年頃になると「いい旅チャレンジ20000km」が登場し嫌でも国鉄全線制覇しなければならないわけだから、自ずと羽幌線にもやってくる。
そういったシチュエーションの中で羽幌線を体験できたとしてもある意味羨ましいが、最初から狙ってやってくる者も中にはいたはずだ。「いい旅チャレンジ~」のキャンペーン中私は学生だったので、そうしたローカル線の良さなどが何となくしかわからなかったが、そういう時代を経験したからこそ今になってその良さがわかるようになった。今羽幌線が健在であったなら間違えなく私は訪問しているであろう。ただ、高校に入学してからレールファンから離れた事と経済的に北海道制覇を後回しにしたことで全て計画段階でお蔵入りしてしまった。唯一国鉄時代に北海道へ訪問できたのは、このブログで何度も紹介している白糠線訪問の時のみである。





そしてホームへ。昭和の風景が今でも残るのは嬉しい。国鉄時代にも来てみたかった。不自然なレールの途切れ方は羽幌線の名残であろうか。この駅にはかつて転車台もあった。
ただ、嬉しいのは前述しているが、現在の訪問でもまだまだ国鉄時代か残っている場所が多いので訪問し甲斐がある。ここ幌延もそのひとつであるから尚更だ。










かつて、特に正月などで活躍した某タレントではないが、いつもより多く写真載せてま~す!的な幌延駅の列車交換風景。先に下り普通列車が到着。そして後に上り特急列車が到着した。どちらの列車からもかなりの下車客があった。やはり宗谷本線の要衝駅である事は昔も今も変わらない。

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コメント
ダイヤモンド☆トナカイ様
にわか者様
コメントありがとうございます。
羽幌線の現在はほとんと痕跡がわからないそうです。それこそレールのあった過去を完全に消すかのように・・・
ただ、築別から分岐予定であった名羽線は未成線として各地に痕跡が残っているらしいです。一部は炭鉱輸送で実際に使用されてましたが、廃線マニアの間ではかなりの「強者」らしく、謎が謎をよんでいるらしいです。
羽幌線の現在はほとんと痕跡がわからないそうです。それこそレールのあった過去を完全に消すかのように・・・
ただ、築別から分岐予定であった名羽線は未成線として各地に痕跡が残っているらしいです。一部は炭鉱輸送で実際に使用されてましたが、廃線マニアの間ではかなりの「強者」らしく、謎が謎をよんでいるらしいです。
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羽幌線は国鉄のほぼ最後まで残っていたので、我々の同年代の人は乗車した人も多いかもしれないですね。