サマーアクションシリーズ ・1983年東北の旅。もっと細かくリメイク版㉓
2018-10-05
荒砥から折返し今泉で乗換え米沢に着いたのが8時丁度であった。折返し米坂線で坂町まで向かう列車は1時間45分待ちの急行「べにばな」である。首都圏では絶対にお目にかかれないローカル急行であり、米坂線を経由するあたりも憎い。米坂線といえば、季節によっていろいろな沿線風景をみせてくれる事は地味に有名で、近年では旅番組などで度々紹介されている。だが、当時の私にしてみたらそんな沿線風景よりも米坂線を制覇する事が重要であったため、昨夜から未明にかけての宿泊施設の関係からなり疲労が蓄積されていた。キハ58に身を預けた私は安心しきったのか、すっかり夢の中へと導かれていた。

画像はウィキより現在の米沢駅。新幹線開通後ホームは若干リニューアルされたが、基本的に昔の面影がまだ残っているようだ。米坂線ホームも何となく懐かしさを感じる。
米坂線に関して全く記憶はないが、熟睡してたという記憶や記録はしっかりとある。残念ながら夏真っ盛りの沿線風景はみれなかったが、快適な車内でバッチリ疲れをとる事に成功した。いくら若いといっても疲れるときは疲れる。
そんな急行「べにばな」に乗っても列車の終点までは乗れなかった。坂町で秋田方面に向かうためだ。そう、そういえば米坂より「ダイナミック⭐トナカイ」が合流していた。つまり米坂線の急行「べにばな」からはダイナミック⭐トナカイとの行動であった。しかしながら、向こうにしてみたら合流直後より先輩の私に熟睡されては立場が無かったかも知れない。しかし、逆にいえば、私的には相方が合流したのだから安心しきってしまったのかも知れない。

坂町から特急「白鳥」に乗る。当時は大阪~青森を結ぶ在来線特急で昼間特急としては最長距離の運転であったが、なんといっても白新線経由で新潟に寄るのが最大の特徴であった。
さて、急行「べにばな」は新潟行のため秋田方面へは坂町で乗り換えなければならない。乗車する列車は・・・大阪~青森間を新潟経由で繋ぐ特急「白鳥」である!そんな格調高い特急列車を陸羽西線に乗り換えるため余目の先、酒田で下車するとは!だが、その方が待ち時間が少なく座れる事が確定される。余目と酒田間はもちろん重複するが、そんなの関係ネェー!ってどこかのお笑い芸人ぽくなってしまうくらいに重要である。そして相方はいるし特急・急行は別料金無しで乗れるし、何となく盆と正月が一緒に来た雰囲気であった。

そして特急「いなほ」である。今回は乗車できなかったが、上野から姿を消して以来、久々に会えたことに感謝。現在も羽越本線野特急列車として活躍している。坂町か酒田で撮影。
特急「白鳥」では自由席とはいえ冷房が効いていて快適であったが、逆にこういう環境だと寝られない。いや、今回の旅では後に紹介するL特急「たざわ」や「はつかり」などにも乗車できてかなりの優越感があった。もちろん「18」では味わえない新たな旅の楽しさを発見した印象であった。だが、酒田から陸羽東線に乗車したまでは順調であったのだが、この後またとんでもないトラブルが待っていたのだ。

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村

画像はウィキより現在の米沢駅。新幹線開通後ホームは若干リニューアルされたが、基本的に昔の面影がまだ残っているようだ。米坂線ホームも何となく懐かしさを感じる。
米坂線に関して全く記憶はないが、熟睡してたという記憶や記録はしっかりとある。残念ながら夏真っ盛りの沿線風景はみれなかったが、快適な車内でバッチリ疲れをとる事に成功した。いくら若いといっても疲れるときは疲れる。
そんな急行「べにばな」に乗っても列車の終点までは乗れなかった。坂町で秋田方面に向かうためだ。そう、そういえば米坂より「ダイナミック⭐トナカイ」が合流していた。つまり米坂線の急行「べにばな」からはダイナミック⭐トナカイとの行動であった。しかしながら、向こうにしてみたら合流直後より先輩の私に熟睡されては立場が無かったかも知れない。しかし、逆にいえば、私的には相方が合流したのだから安心しきってしまったのかも知れない。

坂町から特急「白鳥」に乗る。当時は大阪~青森を結ぶ在来線特急で昼間特急としては最長距離の運転であったが、なんといっても白新線経由で新潟に寄るのが最大の特徴であった。
さて、急行「べにばな」は新潟行のため秋田方面へは坂町で乗り換えなければならない。乗車する列車は・・・大阪~青森間を新潟経由で繋ぐ特急「白鳥」である!そんな格調高い特急列車を陸羽西線に乗り換えるため余目の先、酒田で下車するとは!だが、その方が待ち時間が少なく座れる事が確定される。余目と酒田間はもちろん重複するが、そんなの関係ネェー!ってどこかのお笑い芸人ぽくなってしまうくらいに重要である。そして相方はいるし特急・急行は別料金無しで乗れるし、何となく盆と正月が一緒に来た雰囲気であった。

そして特急「いなほ」である。今回は乗車できなかったが、上野から姿を消して以来、久々に会えたことに感謝。現在も羽越本線野特急列車として活躍している。坂町か酒田で撮影。
特急「白鳥」では自由席とはいえ冷房が効いていて快適であったが、逆にこういう環境だと寝られない。いや、今回の旅では後に紹介するL特急「たざわ」や「はつかり」などにも乗車できてかなりの優越感があった。もちろん「18」では味わえない新たな旅の楽しさを発見した印象であった。だが、酒田から陸羽東線に乗車したまでは順調であったのだが、この後またとんでもないトラブルが待っていたのだ。

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村
スポンサーサイト
コメント
ダイヤモンド☆トナカイ様
にわか者様
コメントありがとうございます。
かつての東海道はそれこそボンネットの「こだま」とか運転されていて東京駅はさぞかし賑やかだった事でしょう。私の学生時代は東京駅はやって来る列車のバリエーションが少なくて面白くなかったですね。その点上野に行けばバリエーション豊富な列車たちがバリバリで、朝から晩まで撮影していたものです。
東北・上越新幹線開通時をリアルタイムで経験したわれわれなど、それこそ昔話を語っている年寄りに過ぎないのでしょうかね。
いや、貴重な経験が出来てある意味「財産」となっているのですから誇らしげに街を堂々と歩いても良いくらいなのでしょうか。
にわか者さんのお父様もかなり貴重な体験をなされていらっしゃるので羨ましい限りですが、だからこそ我々も下の世代に「古き良き」を伝えていかなければ、なんとなくバチが当たりそうで怖いですね。
かつての東海道はそれこそボンネットの「こだま」とか運転されていて東京駅はさぞかし賑やかだった事でしょう。私の学生時代は東京駅はやって来る列車のバリエーションが少なくて面白くなかったですね。その点上野に行けばバリエーション豊富な列車たちがバリバリで、朝から晩まで撮影していたものです。
東北・上越新幹線開通時をリアルタイムで経験したわれわれなど、それこそ昔話を語っている年寄りに過ぎないのでしょうかね。
いや、貴重な経験が出来てある意味「財産」となっているのですから誇らしげに街を堂々と歩いても良いくらいなのでしょうか。
にわか者さんのお父様もかなり貴重な体験をなされていらっしゃるので羨ましい限りですが、だからこそ我々も下の世代に「古き良き」を伝えていかなければ、なんとなくバチが当たりそうで怖いですね。
コメントの投稿
トラックバック
この記事へのトラックバックURL
http://4190koawazay.blog.fc2.com/tb.php/808-a10b0b76
それよりもべにばなですね!
もう懐かしい懐かしいと何回書いていることか・・・
新幹線ができて便利にはなりましたが、在来線の特急や急行がここまで消え去るとは・・・
私のテツな父親が「新幹線ができるまでは東海道も特急や急行がいろいろ走っていて面白かった。」とよく言ってましたが、まさか自分が同じ感覚に陥るとは思ってもみませんでした・・・