サマーアクションシリーズ ・1983年東北の旅。もっと細かくリメイク版㉔
2018-10-10
さて、私は酒田から陸羽西線の普通列車に乗った。戸籍上は余目が起点であるが、もちろん酒田からの乗客に向けエールを送った措置であろう。お陰でバッチリ着席できて順調に新庄へと向かう。途中、ダイナミック⭐トナカイが虹を発見し和やかなムードとなるが、夕方の虹とは確か翌日は晴れるみたいな事を聞いた事がある。「いゃ、あめだったかなぁ」「いや、晴れだよ」みたいな会話もあり、ようやく新庄に近づいてきたその時・・・「やばい、余目でいい旅チャレンジ20000kmの証明写真を撮るの忘れた!」と、急に変な事を思い出してしまった。ルールでは酒田での撮影でもOKだったのに何故に酒田で撮らなかったのか・・・私は自身の行程表と時刻表を早速取りだし確認作業にとりかかった。行程ではもう羽越本線を経由するのは秋田~羽後本荘間だけで酒田にはもう通り過ぎもしない。さてどうしよう・・・

今回の旅で新庄は連続2回訪問する事になる。2014年に久々に再訪する事になるが、1983年訪問時にはまさか新幹線がやってくるとは思わなかった。
新庄より折返し、再び陸羽西線で余目へ戻ることにした。そして証明写真を撮影し更に折返し新庄へ戻ることにした。つまり陸羽西線を2往復、いや1往復半することにしたのだ。一見タイムロス的に見える行動であるが、逆にこうすることで後の行程がバッチリはまるのだから面白い。こうしてトラブルを乗り越える知識やひらめきもこの旅で教訓を得たのだ。順を追って説明しながら旅の続きを紹介しよう。

そして2014年訪問時の新庄。ご覧の通り、国鉄時代とは全く違う風景に変身。跨線橋無しで全ホームに移動できるのが大きな売りとなっているのか。もちろん新幹線から在来線への乗り換えも跨線橋無しで。
さて、新庄から再び陸羽西線で余目に着いた私は早速「いい旅チャレンジ20000km」の証明写真を撮影し更に陸羽西線で新庄へ向かうが、乗車する列車はなんと急行「月山」であった!月山と言われて若いレールファンは全くピンと来ない方も少なくないであろうが、かつては急行「いいで」や「千秋」「出羽」などと共に庄内地方を中心に活躍した列車で、これらの急行は途中駅での分割・併合が多く、レールファンの私でもその詳細を記憶する事は困難であった。そして月山も山形~仙台間は急行「べにばな」と併合され運転されていた時代もあった。今思えばそんな格式高い急行列車で山形に向かったのは貴重な体験であろう。トラブルに出くわしたものの、お陰でとんでもない幸運が舞い込んでくるものだ。もちろん山形新幹線は無い時代だったので新幹線ではない特急「つばさ」が新庄から山形までをカバーしているが、私のこのタイミングでは「つばさ」には乗れなかった。せっかく「ワイド」を持っているのに普通列車ばかりの乗り継ぎでは少々宝の持ち腐れ的でもあるが、夜行列車王国の東北では夜から未明にかけて大活躍するので重宝する。

今回の旅ではかなりお世話になった山形。現在は新幹線も顔を出し、標準軌と狭軌が入り乱れる。当時私が駅寝した待合室は当然ながら無くなってしまい駅舎も立派になった。夜行列車は深夜未明の時間帯に通過するため利用できる列車は少なく、レギュラーの急行「津軽」などがその役割を担っていた。
そんな思いで山形に着いた私は、本来の予定なら仙山線で仙台へ行き福島で急行「八甲田」を捕まえる予定だったが、予定より列車が一本遅れている。そこで私は山形から奥羽本線普通列車で福島に出る事にした。ダイナミック⭐トナカイも中川までは同行してくれるので心強い。早速予定変更を自身に宣言し、ダイナミック⭐トナカイと共に行動する事にした。
トラブルで予定が狂えば修整すればいい。今回のこの旅でそうしたトラブルさえ楽しめる自分に成長している・・・そんな実感が自身でも手に取れるようにわかる自分がいた。

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今回の旅で新庄は連続2回訪問する事になる。2014年に久々に再訪する事になるが、1983年訪問時にはまさか新幹線がやってくるとは思わなかった。
新庄より折返し、再び陸羽西線で余目へ戻ることにした。そして証明写真を撮影し更に折返し新庄へ戻ることにした。つまり陸羽西線を2往復、いや1往復半することにしたのだ。一見タイムロス的に見える行動であるが、逆にこうすることで後の行程がバッチリはまるのだから面白い。こうしてトラブルを乗り越える知識やひらめきもこの旅で教訓を得たのだ。順を追って説明しながら旅の続きを紹介しよう。

そして2014年訪問時の新庄。ご覧の通り、国鉄時代とは全く違う風景に変身。跨線橋無しで全ホームに移動できるのが大きな売りとなっているのか。もちろん新幹線から在来線への乗り換えも跨線橋無しで。
さて、新庄から再び陸羽西線で余目に着いた私は早速「いい旅チャレンジ20000km」の証明写真を撮影し更に陸羽西線で新庄へ向かうが、乗車する列車はなんと急行「月山」であった!月山と言われて若いレールファンは全くピンと来ない方も少なくないであろうが、かつては急行「いいで」や「千秋」「出羽」などと共に庄内地方を中心に活躍した列車で、これらの急行は途中駅での分割・併合が多く、レールファンの私でもその詳細を記憶する事は困難であった。そして月山も山形~仙台間は急行「べにばな」と併合され運転されていた時代もあった。今思えばそんな格式高い急行列車で山形に向かったのは貴重な体験であろう。トラブルに出くわしたものの、お陰でとんでもない幸運が舞い込んでくるものだ。もちろん山形新幹線は無い時代だったので新幹線ではない特急「つばさ」が新庄から山形までをカバーしているが、私のこのタイミングでは「つばさ」には乗れなかった。せっかく「ワイド」を持っているのに普通列車ばかりの乗り継ぎでは少々宝の持ち腐れ的でもあるが、夜行列車王国の東北では夜から未明にかけて大活躍するので重宝する。

今回の旅ではかなりお世話になった山形。現在は新幹線も顔を出し、標準軌と狭軌が入り乱れる。当時私が駅寝した待合室は当然ながら無くなってしまい駅舎も立派になった。夜行列車は深夜未明の時間帯に通過するため利用できる列車は少なく、レギュラーの急行「津軽」などがその役割を担っていた。
そんな思いで山形に着いた私は、本来の予定なら仙山線で仙台へ行き福島で急行「八甲田」を捕まえる予定だったが、予定より列車が一本遅れている。そこで私は山形から奥羽本線普通列車で福島に出る事にした。ダイナミック⭐トナカイも中川までは同行してくれるので心強い。早速予定変更を自身に宣言し、ダイナミック⭐トナカイと共に行動する事にした。
トラブルで予定が狂えば修整すればいい。今回のこの旅でそうしたトラブルさえ楽しめる自分に成長している・・・そんな実感が自身でも手に取れるようにわかる自分がいた。

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コメント
ダイヤモンド☆トナカイ様
にわか者様
コメントありがとうございます。
月山は、知らない世代だと「つきやま」などと読んでしまいそうですね。当時は各々の主要駅での分割・併合が多くどれがどの行き先だかわからない列車を全国各地で見られました。
残念ながらJR化後に急行は全廃されてしまいましたが「オーシャンアロー」などの横文字や「かがやき」「きらめき」など国鉄時代では考えられない名称が登場し、新たな時代を感じたものです。
現在では寝台特急も唯一となり、新幹線が北から西へ繋がり、更なる新時代ですね。
月山は、知らない世代だと「つきやま」などと読んでしまいそうですね。当時は各々の主要駅での分割・併合が多くどれがどの行き先だかわからない列車を全国各地で見られました。
残念ながらJR化後に急行は全廃されてしまいましたが「オーシャンアロー」などの横文字や「かがやき」「きらめき」など国鉄時代では考えられない名称が登場し、新たな時代を感じたものです。
現在では寝台特急も唯一となり、新幹線が北から西へ繋がり、更なる新時代ですね。
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あの頃は、まだまだ多くの急行が残っていましたね!
だが、あの頃だからこそ、特急・急行の名称を覚えられたかもしれないです・・・
JRになって新しく出てきた特急の名前、全然覚えられません(涙)
しかも!覚える前に、すぐに廃止とか・・・