サマーアクションシリーズ ・1983年東北の旅。もっと細かくリメイク版⑫
2018-08-10

こちらはダイナミック✩トナカイ提供の女川駅。これって私と一緒に訪問した時のものか?確かこの時は私の単独行動であった記憶であるから彼の単独行動の時の撮影であろう。しかしながら訪問した時期はほとんど同じ。
石巻線で終点の女川に着いた私は旅、相変わらず土砂降りの中駅舎まで入場券を買いにいかねばと気合いを入れる。もちろん「いい旅チャレンジ20000km」の証明写真も撮影しなければならず、わりかしメランコリーであった。それでも13時36分に着いて折り返し14時02分発であったので時間に余裕はあった。

画像はウィキより、震災前の女川駅。私の訪問時の風景であったので懐かしかった。震災時は壊滅的被害を受けたが、現在は復興し立派な駅舎に変身した。地域の顔として、中心として是非活躍して欲しい。
女川で無事撮影を終え折り返し小牛田に着いたのが15時29分で、この後利府支線と丸森線に顔を出す予定である。まず東北本線の普通列車で仙台へ向かった。なんと「レッドトレイン」である。旧型客車が主流の東北本線普通列車の中でやや近代化の波が押し寄せた感があるが、数年後に国鉄は民営化され客車列車自体が減少していく中、旧型客車を置き換える意味で作成された50系の活躍期間は少なかったであろうから、ある意味貴重な存在かも知れない。

今回の旅で撮影した盛岡駅に停車中の「レッドトレイン」こと50系客車。旧型客車が主流だった普通列車にもこうした車両の置き換えがさりげなく進んでいった。ところで・・・大変申し訳ないが、写真のホーム奥には私のバッグが紛れ込んでしまっている。数々の旅の経験から当時は持ち物を最小限に抑えたつもりであった。
さて、17時11分に仙台に着いた私は18時04分発の列車に乗るため小休止。発車ホームを確認しキヨスクへ向かう。正直言って当時は駅中に何があるなどの情報を仕入れる術が、現在ほどインターネットのような情報網が発達していなかったため、やはり頼りになるのはキオスクであった。ただ、駅弁などは高嶺の花なのでパンなどの簡易な物に限定されるが、今考えたらよくそんな食生活で8日間もったなと我ながら感心してしまう。ハッキリ言って「あそこのラーメン美味かったなぁ~」みたいな記憶は全然無く、只管「いい旅チャレンジ20000km」の制覇路線を稼ぎ出す為に列車に乗ったイメージしかない。だから逆にグルメ的な紹介が全くできない今回の旅である。

1983年訪問当時の丸森。既に夜バージョンであるが、当時はまだ現在の姿になるとは想像もできず、駅名標の隣の駅名は当然ながら片側のみしか描かれていなかった。ご覧の通り土砂降り的な環境の中の撮影でありやたら雨つぶが周囲を覆うが・・・あくまで雨粒であって、決してポルターガイストではない!しかもこんな環境でも入場券を買いに駅舎にいくのはある意味職人魂か?
そんな私を待つ列車は仙台発のDCである。そう、これから私は丸森線を制覇するのだが、なんと仙台発直通列車があるのだ。いや、当時は丸森線の列車はほとんど槻木発は無かったと思う。だから丸森線があぶくま急行に移管されてから近年に再訪したとき槻木で乗り換えたのが何となく違和感あった。やはり乗換無しの方が楽だよなぁ~みたいな思いもしたが、逆に国鉄時代は丸森が終点であったので折り返さなければならない。やや面倒であるが今だ雨の降りしきる中、終点の丸森に向けDCは滑り出したのであった。

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コメント
ダイヤモンド☆トナカイ様
にわか者様
コメントありがとうございます。
そうです、そんなものなんです。だから現在のJR車両も、20~30年後には価値が出てくると思います。だから現在のJRもしっかり収めておいた方が勝ちかも知れませんね。
そうです、そんなものなんです。だから現在のJR車両も、20~30年後には価値が出てくると思います。だから現在のJRもしっかり収めておいた方が勝ちかも知れませんね。
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こいつが来ると、ガッカリでしたね。
それでも、最後は九州まで撮影に行ったんですよ(汗)
国鉄時代、あれほどどうでもいいと思っていたのに・・・