サマーアクションシリーズ ・1983年東北の旅。もっと細かくリメイク版 ⑭
2018-08-20
利府を後にした私は白石に向かう。おや?待てよ。さっきは丸森で今度は利府。次は白石とは・・・仙台を間に挟み行ったり来たりしている。そう、これにはからくりがあった。
利府を出たのが21時51分であり仙台付近では上り下りとも使える夜行列車が深夜から未明の時間帯のため「旅籠」となってくれる列車がない。そこで少しでも待ち時間を少なくするため仙台付近を往復するとこで夜行列車の乗車タイミングに合わせようとしたわけだ。すると白石で30分待ちで「八甲田」がやってくるので丁度いい。降りしきる雨の中列車の遅れなど無く無事「八甲田」に乗る事ができた。

画像はウィキより。白石駅の駅舎は恐らく国鉄時代からほとんど変化がないであろう。ここ以外にも日本国内において白石を名乗る駅は多数あるが、特急が停車したのはここ、東北本線の白石のみと記憶している。現在は800m以上離れた白石蔵王にその地位を譲っている。
そんな急行「八甲田」を宿代わりにした私は未明の3時14分に盛岡で下車する。そして5時19分発の釜石線経由の急行「はやちね」に乗る予定である。今考えたら凄い時間の乗換だ。
それにしても未明の盛岡で2時間待ちとは・・・深夜のため、駅は開放されているが駅前の商業施設は営業時間外だ。いや、例え営業していたとしても未成年が入店できるような施設ではなかろう。当時は24時間のコンビニが現在ほど普及していなかった時代。いや、そんなコンビニは珍しかったし、増してインターネットなどほぼ皆無であるからもしあったとしても調べられない。私は改札を出て拠り所を探したが、雨が強く駅前方面へ進めなかった。そして駅ビル内の通路は、やたら数の多い風鈴が鳴り響くのみで私を外へ出してくれなかった。

2014年1月に訪問した時の盛岡駅。東北新幹線開通時に現在の形になったが、外観はその当時からほとんど変わらず現在に至っている。
ようやく出発時間になった。やたら長く感じた待ち時間であったがその甲斐あって着席に成功。とは言ってもハッキリ言って下りの始発だ。2時間待たなくても余裕ですわれたはずである。花巻経由で釜石線の急行に乗るのは何となく優越感。東北新幹線開通後、上越新幹線開業の1982年11月15日に東北方面は一気に優等列車が整理され、急行が激減してしまった。というより国鉄は全国的に急行全廃を目標としていたため急行激減は自然の流れでもあったが、それでもワイド派は乗れる列車のバリエーションが減るのは辛い。そのためこうした急行列車は貴重な存在だ。

2011年1月に訪問時の釜石。国鉄時代とほとんど変化が無かったが、大きな変化と言えば三陸鉄道のホームが追加された事。JRは釜石を直通する場合は全てスイッチバックの形を取るが、恐らく現在は直通列車はないであろう。
そんな風景の1983年国鉄事情に身を任せ花巻経由で釜石目指す。似内の次の駅はご存知新花巻であるが、私の訪問時はなんと「矢沢」と名乗っていた。後の1985年に新幹線との交点に在来線の駅を作り矢沢を廃止。新しく出来た駅は新花巻と名乗り現在に至るが、実際の考え方としては矢沢が移転して駅名変更したというのが普通であろう。そんな昔の「新花巻」を経て釜石に着く頃には気になる風景がありそわそわしていた。それは建設中の三陸鉄道が釜石まで迫るトラス橋であった。先に紹介した吉浜からの延伸工事が釜石駅の構内付近まで迫っており、甲子川のを渡るトラス橋が完成し、いよいよレールを敷くぞ!というイメージであった。途中で工事中断なんて事ないよなぁ~本当に開通するよなぁ~など思いながら車両の先頭に行く。この時は現在の形になるとは本当に信じられず、期待を込めた遥かな夢として開通を願っていた。だが既に時代も代わりモータリゼーションの波が例外無くここにも押し寄せていた。果たして開通したとしても経営が成り立つのか。複雑な思いを胸に秘め近付くトラス橋を探していると、将来三陸鉄道の起点になろう釜石のホームに滑り込んでいった。

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利府を出たのが21時51分であり仙台付近では上り下りとも使える夜行列車が深夜から未明の時間帯のため「旅籠」となってくれる列車がない。そこで少しでも待ち時間を少なくするため仙台付近を往復するとこで夜行列車の乗車タイミングに合わせようとしたわけだ。すると白石で30分待ちで「八甲田」がやってくるので丁度いい。降りしきる雨の中列車の遅れなど無く無事「八甲田」に乗る事ができた。

画像はウィキより。白石駅の駅舎は恐らく国鉄時代からほとんど変化がないであろう。ここ以外にも日本国内において白石を名乗る駅は多数あるが、特急が停車したのはここ、東北本線の白石のみと記憶している。現在は800m以上離れた白石蔵王にその地位を譲っている。
そんな急行「八甲田」を宿代わりにした私は未明の3時14分に盛岡で下車する。そして5時19分発の釜石線経由の急行「はやちね」に乗る予定である。今考えたら凄い時間の乗換だ。
それにしても未明の盛岡で2時間待ちとは・・・深夜のため、駅は開放されているが駅前の商業施設は営業時間外だ。いや、例え営業していたとしても未成年が入店できるような施設ではなかろう。当時は24時間のコンビニが現在ほど普及していなかった時代。いや、そんなコンビニは珍しかったし、増してインターネットなどほぼ皆無であるからもしあったとしても調べられない。私は改札を出て拠り所を探したが、雨が強く駅前方面へ進めなかった。そして駅ビル内の通路は、やたら数の多い風鈴が鳴り響くのみで私を外へ出してくれなかった。

2014年1月に訪問した時の盛岡駅。東北新幹線開通時に現在の形になったが、外観はその当時からほとんど変わらず現在に至っている。
ようやく出発時間になった。やたら長く感じた待ち時間であったがその甲斐あって着席に成功。とは言ってもハッキリ言って下りの始発だ。2時間待たなくても余裕ですわれたはずである。花巻経由で釜石線の急行に乗るのは何となく優越感。東北新幹線開通後、上越新幹線開業の1982年11月15日に東北方面は一気に優等列車が整理され、急行が激減してしまった。というより国鉄は全国的に急行全廃を目標としていたため急行激減は自然の流れでもあったが、それでもワイド派は乗れる列車のバリエーションが減るのは辛い。そのためこうした急行列車は貴重な存在だ。

2011年1月に訪問時の釜石。国鉄時代とほとんど変化が無かったが、大きな変化と言えば三陸鉄道のホームが追加された事。JRは釜石を直通する場合は全てスイッチバックの形を取るが、恐らく現在は直通列車はないであろう。
そんな風景の1983年国鉄事情に身を任せ花巻経由で釜石目指す。似内の次の駅はご存知新花巻であるが、私の訪問時はなんと「矢沢」と名乗っていた。後の1985年に新幹線との交点に在来線の駅を作り矢沢を廃止。新しく出来た駅は新花巻と名乗り現在に至るが、実際の考え方としては矢沢が移転して駅名変更したというのが普通であろう。そんな昔の「新花巻」を経て釜石に着く頃には気になる風景がありそわそわしていた。それは建設中の三陸鉄道が釜石まで迫るトラス橋であった。先に紹介した吉浜からの延伸工事が釜石駅の構内付近まで迫っており、甲子川のを渡るトラス橋が完成し、いよいよレールを敷くぞ!というイメージであった。途中で工事中断なんて事ないよなぁ~本当に開通するよなぁ~など思いながら車両の先頭に行く。この時は現在の形になるとは本当に信じられず、期待を込めた遥かな夢として開通を願っていた。だが既に時代も代わりモータリゼーションの波が例外無くここにも押し寄せていた。果たして開通したとしても経営が成り立つのか。複雑な思いを胸に秘め近付くトラス橋を探していると、将来三陸鉄道の起点になろう釜石のホームに滑り込んでいった。

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コメント
ダイヤモンド☆トナカイ様
吉野家
24時間営業と言うと吉野家でしたね。それからミスタードーナツ。
コンビニは開店午前七時、閉店午後11時でしたね。
酒飲んで吐いて、おなかが空っぽになってなぜか午前五時に起きても、
何も買いに行けず朝食の時間まで過ごすしかなかったです。
コンビニは開店午前七時、閉店午後11時でしたね。
酒飲んで吐いて、おなかが空っぽになってなぜか午前五時に起きても、
何も買いに行けず朝食の時間まで過ごすしかなかったです。
にわか者様
コメントありがとうございます。
コンビニ・・・なかったですよね、あの頃は。2014年に盛岡駅を下車し、いわゆる「再訪」しましたが、今では駅前のマックスバリュも24時間営業ですから面食らいました。そして・・・そのマックスバリュの近所には、あの「ビッグダディ」で名の知れた某接骨院があり、訪問しました。
http://4190koawazay.blog.fc2.com/blog-entry-352.html
こちらに詳細が記されているのでご参照ください。
1983年に私が東北を旅した時に今ほどコンビニがあればかなり重宝した事でしょう。ましてマックスバリュなら尚更ですね。更に「インターネットカフェ」なども盛岡なら充分にあると思われるので、むしろ2時間では足りないくらいなほどでしょう。
ただ、時代も変わり便利になりましたが、1983年の旅は、その当時のそういう環境であったからある意味いい思い出にもなった事も否定できず、岸本加世子ではないですが「それなり」に何だかんだやってきてしまったんですよね。にわか者さんも経験おありだと思われますが、そんな内容の連続だったからこそ我々は国鉄時代にいい思い出があるのかも知れません。
コンビニ・・・なかったですよね、あの頃は。2014年に盛岡駅を下車し、いわゆる「再訪」しましたが、今では駅前のマックスバリュも24時間営業ですから面食らいました。そして・・・そのマックスバリュの近所には、あの「ビッグダディ」で名の知れた某接骨院があり、訪問しました。
http://4190koawazay.blog.fc2.com/blog-entry-352.html
こちらに詳細が記されているのでご参照ください。
1983年に私が東北を旅した時に今ほどコンビニがあればかなり重宝した事でしょう。ましてマックスバリュなら尚更ですね。更に「インターネットカフェ」なども盛岡なら充分にあると思われるので、むしろ2時間では足りないくらいなほどでしょう。
ただ、時代も変わり便利になりましたが、1983年の旅は、その当時のそういう環境であったからある意味いい思い出にもなった事も否定できず、岸本加世子ではないですが「それなり」に何だかんだやってきてしまったんですよね。にわか者さんも経験おありだと思われますが、そんな内容の連続だったからこそ我々は国鉄時代にいい思い出があるのかも知れません。
稚拙 #EBUSheBA URL 様
コメントありがとうございます。
牛丼一筋80年ですか!あれからもう30年以上経っているはずなので、恐らく100周年を軽く超えていると思います。
コンビニは当時多分盛岡ではなかった記憶なので「いい気分!」にはなれなかったですね。しかも7時~23(11)時までの営業時間ですから。
ミスドーだと立ち読みとかできないから時間を使うのにテクニックがいりますね。
恐らく今の盛岡なら深夜未明の時間帯であっても退屈することなく乗り継ぎができた事でしょう。それより何より夜行列車がなくなってしまったので是非とも復活して欲しいですね!
牛丼一筋80年ですか!あれからもう30年以上経っているはずなので、恐らく100周年を軽く超えていると思います。
コンビニは当時多分盛岡ではなかった記憶なので「いい気分!」にはなれなかったですね。しかも7時~23(11)時までの営業時間ですから。
ミスドーだと立ち読みとかできないから時間を使うのにテクニックがいりますね。
恐らく今の盛岡なら深夜未明の時間帯であっても退屈することなく乗り継ぎができた事でしょう。それより何より夜行列車がなくなってしまったので是非とも復活して欲しいですね!
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あっても24時間営業ではなかったし・・・
大きな駅には併設されたデパートとかありましたが、それなりの駅ではキヨスクだけが頼りでしたね。
あの頃はそれが当たり前だったんですがね・・・
世の中、便利になりましたね。