サマーアクションシリーズ ・1983年東北の旅。もっと細かくリメイク版⑰
2018-09-05
盛岡を出た花輪線普通列車だが、途中の好摩までは戸籍上は東北本線を走る。だが、盛岡を出た瞬間から自覚していたが、夜間を夜行列車で過ごす関係上、その「関係」が山田線に引き続きやってきた。私は望遠レンズを窓枠に置き広角レンズに切り換えたのだが、何と額を望遠レンズにぶつけてしまった。つまり、いつの間にか意識が無くなり睡魔に襲われていたのであった。そして望遠レンズに額をぶつけて目が覚めたというわけだ。眠いという自覚があったのに意識が無くなる。これは凄い事だ。狭い空間に身を小さくしてなるべく相席のジュニアたちに迷惑がかからぬように座っていた。だが、お盆の帰省ラッシュであるかもしれないが眠いものは眠い。私は額をぶつけた関係上、このまま起きて言い訳のひとり言を並べてもカッコがつかない。増してや周囲の目もあるし隣に座っている相席のジュニアは怪訝な顔をしてこちらを見ている。仕方ない。私はもう完全に寝なければならないと重大な決意をし、再び体制を入れ換えて寝たのであった。

ダイナミック✩トナカイ提供の1983年盛岡にて。花輪線普通列車の隣に停車中の特急「はつかり」は既に盛岡~青森間に短縮され新幹線の接続列車として活躍していた。
気がつくと、テレサテンではないが窓に西陽が差していた。そしてあれだけ混雑していた車内はまるで蛻の殻のように挙って帰省客であろう人々が消えていた。私のボックスにいた相席の家族は隣の席に移り「ページワン!」などと言いながらカードゲームを楽しんでいる。
そしてふと我に返った。「あれ、十和田南は?」既に進行方向が変わっている。そう、気がついた時には多分沢尻とか扇田付近であったと思うが・・・やってしまったのだ。あれだけあこがれていた十和田南も、そして絶対に見たかった陸中花輪(現・鹿角花輪)もとっくに通りすぎていたのだ。車内で愕然。一度引き換えそうと思ったが・・・私は強度の落胆に襲われながら大館のホームにフットスタンプしたのであった。

ウィキより転用の十和田南。いつかは訪問してみたい、いや訪問したが夢の中であったので改めてじっくりと!スイッチバックの構造は、周知の通り小坂までの延伸計画があった名残である。かつては十和田湖方面への観光需要があったが、現在は高速バスなどにその座を譲り地元の足として活躍している。
気を取り直そう。18時37分に大館に着いた私は19時28分の急行「むつ」に乗り換える。すばらしい接続だ。そして青森に21時00分に到着し翌00時02分発の急行「八甲田」にのりかえる。なんと3時間待ちだ!ただ、この3時間待ちにはある作戦があった。
それは「銭湯」である。多分青森なら街も大きいし銭湯もあるだろう。計画段階でそう考え予め時間を取ってあったのだ。果たして銭湯はあるだろうか。私は旅の初日に到着した段階の青森から乗った急行「むつ」で、車窓から煙突を探していた。そう、銭湯なら煙突がある。それは長年生き抜いた(と言っても中学生であったが)事からくる知恵と、多くの旅を重ねてきた事からくる経験を集結させた私の英知でもあった。
.jpg)

画像はウィキより、現在の青森駅舎。上が西口で下が東口。もちろん東口は表玄関らしく堂々としているが、1983年訪問時よりややコンパクトになった印象になったのは気のせいか。そして西口は、本州の両側からの鉄路を束ねる駅としてはかなり華奢な印象であるが、1983年に私が訪問した後に改築したらしい。こちらの出口は本当に庶民的で地元密着の印象であるが、私の行った銭湯もこちらの出口であった。
当時はスーパー銭湯など存在しなかった記憶だ。いや、多分あったかも知れないが少なくとも青森には無かったと思う。なので自然とスーパーの付かない銭湯となるのだが、私の読み通り大きな煙突に♨マークが書いてあり事前に確認してあった。急行「むつ」で降りたらその銭湯に行こう!私はそう決めてあったのだ。だが・・・またまたとんでもない事態が私を待ち受けていた。何やら今回の旅はやたらトラブル続きである。なんだか神に試練を与えられているようでもあった。しかも今回のこの旅に凝縮されているとは❗今になって面白可笑しい話題であるが、当時はトラブルの処理に大変だった。まぁ、だから今があるという事も言えるが、人間はこうして成長していくのであろう。そう言い聞かせながら私は脱衣場で衣類を脱ぎ捨てた。

FC2 Blog Ranking

にほんブログ村

にほんブログ村

ダイナミック✩トナカイ提供の1983年盛岡にて。花輪線普通列車の隣に停車中の特急「はつかり」は既に盛岡~青森間に短縮され新幹線の接続列車として活躍していた。
気がつくと、テレサテンではないが窓に西陽が差していた。そしてあれだけ混雑していた車内はまるで蛻の殻のように挙って帰省客であろう人々が消えていた。私のボックスにいた相席の家族は隣の席に移り「ページワン!」などと言いながらカードゲームを楽しんでいる。
そしてふと我に返った。「あれ、十和田南は?」既に進行方向が変わっている。そう、気がついた時には多分沢尻とか扇田付近であったと思うが・・・やってしまったのだ。あれだけあこがれていた十和田南も、そして絶対に見たかった陸中花輪(現・鹿角花輪)もとっくに通りすぎていたのだ。車内で愕然。一度引き換えそうと思ったが・・・私は強度の落胆に襲われながら大館のホームにフットスタンプしたのであった。

ウィキより転用の十和田南。いつかは訪問してみたい、いや訪問したが夢の中であったので改めてじっくりと!スイッチバックの構造は、周知の通り小坂までの延伸計画があった名残である。かつては十和田湖方面への観光需要があったが、現在は高速バスなどにその座を譲り地元の足として活躍している。
気を取り直そう。18時37分に大館に着いた私は19時28分の急行「むつ」に乗り換える。すばらしい接続だ。そして青森に21時00分に到着し翌00時02分発の急行「八甲田」にのりかえる。なんと3時間待ちだ!ただ、この3時間待ちにはある作戦があった。
それは「銭湯」である。多分青森なら街も大きいし銭湯もあるだろう。計画段階でそう考え予め時間を取ってあったのだ。果たして銭湯はあるだろうか。私は旅の初日に到着した段階の青森から乗った急行「むつ」で、車窓から煙突を探していた。そう、銭湯なら煙突がある。それは長年生き抜いた(と言っても中学生であったが)事からくる知恵と、多くの旅を重ねてきた事からくる経験を集結させた私の英知でもあった。
.jpg)

画像はウィキより、現在の青森駅舎。上が西口で下が東口。もちろん東口は表玄関らしく堂々としているが、1983年訪問時よりややコンパクトになった印象になったのは気のせいか。そして西口は、本州の両側からの鉄路を束ねる駅としてはかなり華奢な印象であるが、1983年に私が訪問した後に改築したらしい。こちらの出口は本当に庶民的で地元密着の印象であるが、私の行った銭湯もこちらの出口であった。
当時はスーパー銭湯など存在しなかった記憶だ。いや、多分あったかも知れないが少なくとも青森には無かったと思う。なので自然とスーパーの付かない銭湯となるのだが、私の読み通り大きな煙突に♨マークが書いてあり事前に確認してあった。急行「むつ」で降りたらその銭湯に行こう!私はそう決めてあったのだ。だが・・・またまたとんでもない事態が私を待ち受けていた。何やら今回の旅はやたらトラブル続きである。なんだか神に試練を与えられているようでもあった。しかも今回のこの旅に凝縮されているとは❗今になって面白可笑しい話題であるが、当時はトラブルの処理に大変だった。まぁ、だから今があるという事も言えるが、人間はこうして成長していくのであろう。そう言い聞かせながら私は脱衣場で衣類を脱ぎ捨てた。

FC2 Blog Ranking

にほんブログ村

にほんブログ村
スポンサーサイト
コメント
ダイヤモンド☆トナカイ様
にわか者様
コメントありがとうございます。
レンズに頭をぶつけただけで済んで確かに良かったのですが、隣に座っていた子供にはかっこつかなかったですね。今考えたらよくレンズを窓に放置しておいたなと、我ながら感心してしまいました!
私はAE-1プログラムでしたが、友人がA-1やF-1だったので附属品の貸し借りができて楽でした。現在はフィルムの事考えなくて良いので便利になりました。
レンズに頭をぶつけただけで済んで確かに良かったのですが、隣に座っていた子供にはかっこつかなかったですね。今考えたらよくレンズを窓に放置しておいたなと、我ながら感心してしまいました!
私はAE-1プログラムでしたが、友人がA-1やF-1だったので附属品の貸し借りができて楽でした。現在はフィルムの事考えなくて良いので便利になりました。
ダイヤモンド☆トナカイ様
ちなみに私はNewF-1でした。
あの頃、カメラに興味を持っているヤツが他にもいて、ニコンF3、ペンタックスLXを持っているヤツもいました。
修学旅行の時、先生が「なんでおまえ等の方が、先生よりいいカメラを持ってるんだ!」と言ってました(汗)
あの頃、カメラに興味を持っているヤツが他にもいて、ニコンF3、ペンタックスLXを持っているヤツもいました。
修学旅行の時、先生が「なんでおまえ等の方が、先生よりいいカメラを持ってるんだ!」と言ってました(汗)
にわか者様
コメントありがとうございます。
私の場合は当時キャノンに拘っていたので他のメーカーは全く見向きもしませんでした。ただ、MINOLTA X-7に関しては宮崎良子のCMを志村けんが真似してたので興味ありましたが・・・
確かに先生よりワンランク上のカメラを我々は持ってましたね。同行の写真屋さんにも引け劣らない自慢のカメラでした。
私の場合は当時キャノンに拘っていたので他のメーカーは全く見向きもしませんでした。ただ、MINOLTA X-7に関しては宮崎良子のCMを志村けんが真似してたので興味ありましたが・・・
確かに先生よりワンランク上のカメラを我々は持ってましたね。同行の写真屋さんにも引け劣らない自慢のカメラでした。
睡魔
私も何度か夜行列車を利用しましたが、なぜかその列車内では眠れず、翌日昼になって睡魔が襲ってきます。
その睡魔というのが、おそらく花輪線で体験されたようなもので、突然記憶がボッと消えるのです。私も結構それで損しているので、夜にちゃんと眠れたら良いんですけれどねぇ。
その睡魔というのが、おそらく花輪線で体験されたようなもので、突然記憶がボッと消えるのです。私も結構それで損しているので、夜にちゃんと眠れたら良いんですけれどねぇ。
wra様
コメントありがとうございます。
確かに夜行列車では逆に「寝るのが勿体ない」的な思いがあり、外を眺めても真っ暗なくせに景色を見たり、眠くもないのに寝たふりしてみたり、ある意味忙しいですよね。結局昼間に勿体ない思いをしてしまうのですが、そんな場所は改めて再訪しなければなりませんね。
現在は「サンライズ」のみとなってしまった夜行列車ですが、若い世代に「こういう旅もあるんだよ(あったんだよ)」という事が少しでも伝われば本望です。
確かに夜行列車では逆に「寝るのが勿体ない」的な思いがあり、外を眺めても真っ暗なくせに景色を見たり、眠くもないのに寝たふりしてみたり、ある意味忙しいですよね。結局昼間に勿体ない思いをしてしまうのですが、そんな場所は改めて再訪しなければなりませんね。
現在は「サンライズ」のみとなってしまった夜行列車ですが、若い世代に「こういう旅もあるんだよ(あったんだよ)」という事が少しでも伝われば本望です。
コメントの投稿
トラックバック
この記事へのトラックバックURL
http://4190koawazay.blog.fc2.com/tb.php/819-bb4cb120
落下させてしまったら、それこそ大変なことに・・・
たしかキヤノンのAE-1+Pでしたか?
私も当時はキヤノンユーザーでしたよ。
途中でニコンになったり、中判の道に足を踏み入れペンタックスになったり・・・
デジカメはキヤノンに戻りましたがね(汗)