サマーアクションシリーズ ・1983年東北の旅。もっと細かくリメイク版㉕
2018-10-15
余目から陸羽西線経由で急行「月山」を捕まえたお陰で乗り換え無しで山形に到着。そして福島までの奥羽本線普通列車は旧型客車でのんびり揺られる事になった。「ワイド」を持っているとどうしても急行・特急を利用しないと勿体ない気分になりがちだが、こうして普通列車で本線上を走るのもいい。増してや旧型客車である。

旧型客車の車内から撮影した峠駅であるが、スイッチバックしながら走る列車で窓を開け精一杯の撮影であった。できれば下車したかったが・・・
中川でダイナミック⭐トナカイに手を振りひとり旅に戻った私は列車最後尾に向かった。誰もいない・・米沢を過ぎる頃には完全に車輌を独占していた。旧型客車のため最後尾はデッキよりダイレクトに外の風景となる。つまり「危ない」という事だ。今では考えられないが、当時はそんなの常識であったのだ。
そんな列車でいよいよ板谷、峠などのスイッチバックに挑むシーンになるのだが・・・夜の9時をとっくに過ぎているため肝心の景色が全く見えない。峠では窓を開け駅名標に向かいシャッターを切るのが精一杯だった。ただ、夏場のため窓を開けると虫が進入してくる。瞬時に作業を終えないととんでもない事になる。
そんな山越えを繰り返し幾度と無く進行方向を変えようやく福島に22時21分に到着。もともと計画では福島から急行「八甲田」を捕まえる予定だったのでこれで予定を戻した感じだ。酒田で「いい旅チャレンジ20000km」の証明写真を撮り忘れた事で「瓢箪から駒」ではないが、予定していない急行列車や旧型客車の普通列車に乗車し予定を元に戻してしまうのだから旅は面白い。

そして同じ旅の中でダイナミック☆トナカイが単独行動で峠に訪問ていた。写真はダイナミック☆トナカイの提供である。彼は私と東北の旅をしているが、親戚のある奥羽本線・中川を拠点に私の旅の行程で自身が参加できる範囲でスポット参戦していた。私と行動を共にしない時はこうして自身でいろいろ訪問していたという。しかしながら峠を昼間に訪問したとは憎い!
さて、福島からは急行「八甲田」で野辺地に向かう。野辺地着は5時36分に到着予定なのでバッチリ仮眠できる。ところでこれから乗る「八甲田」は約6時間近く乗車できる。これは計画段階で旅の後半に夜行列車の乗車時間を長めに設定したのだ。いくら中学生でも約8日もぶっ続けで列車に乗っていたら体力的な事はもとより、精神的にもかなりのダメージを受けているはず。だから深夜未明の乗り換えは予め旅の前半に設定し、後半でしっかりとケアしようと考えたのだ。これから乗る「八甲田」はそれが見事にハマった感じであった。

そしてこちらがウィキから転用の峠駅。1990年と聞いているのでスイッチバック解消直前である。こうしてみてみると、SL時代の苦労や「峠の茶屋 力餅」の盛隆時代を彷彿させるようだ。もちろん「力餅」は現在も販売されている。
たが、気分はメランコリー・・・なぜか?それはこの日、計画段階から「駅寝」が決定していたからだ。夜行列車の乗車時間を長めに設定して・・・等と偉そうな事を言っておきながら最後に駅寝かよ・・・みたいな感じであるが、この時点での未乗車路線は大畑線、大湊線、男鹿線、角館線、矢島線、津軽線であった。ただ、津軽線は証明写真こそないものの、1979年に制覇している。だが、その時はまさか津軽線が大きな変貌を遂げ、津軽海峡線の一部になろうとは想像つかなかった。現在はその地位を新幹線に譲り、ある意味元の津軽線に戻った事だろう。ただ、車両や設備の内容は勿論違うが、私が三厩(当時は「みんまや」ではなく「みうまや」と読んでいた)からタクシーに乗り龍飛崎へ向かった時代に何となく戻ったようなイメージだろうと思う。
4年ぶりに向かう津軽線を楽しみに、そして駅寝決定を素直に受けいれ、急行「八甲田」の座席を離れ、初めて下車する野辺地のホームでラストスパートのアクセルを踏みしめた。

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旧型客車の車内から撮影した峠駅であるが、スイッチバックしながら走る列車で窓を開け精一杯の撮影であった。できれば下車したかったが・・・
中川でダイナミック⭐トナカイに手を振りひとり旅に戻った私は列車最後尾に向かった。誰もいない・・米沢を過ぎる頃には完全に車輌を独占していた。旧型客車のため最後尾はデッキよりダイレクトに外の風景となる。つまり「危ない」という事だ。今では考えられないが、当時はそんなの常識であったのだ。
そんな列車でいよいよ板谷、峠などのスイッチバックに挑むシーンになるのだが・・・夜の9時をとっくに過ぎているため肝心の景色が全く見えない。峠では窓を開け駅名標に向かいシャッターを切るのが精一杯だった。ただ、夏場のため窓を開けると虫が進入してくる。瞬時に作業を終えないととんでもない事になる。
そんな山越えを繰り返し幾度と無く進行方向を変えようやく福島に22時21分に到着。もともと計画では福島から急行「八甲田」を捕まえる予定だったのでこれで予定を戻した感じだ。酒田で「いい旅チャレンジ20000km」の証明写真を撮り忘れた事で「瓢箪から駒」ではないが、予定していない急行列車や旧型客車の普通列車に乗車し予定を元に戻してしまうのだから旅は面白い。

そして同じ旅の中でダイナミック☆トナカイが単独行動で峠に訪問ていた。写真はダイナミック☆トナカイの提供である。彼は私と東北の旅をしているが、親戚のある奥羽本線・中川を拠点に私の旅の行程で自身が参加できる範囲でスポット参戦していた。私と行動を共にしない時はこうして自身でいろいろ訪問していたという。しかしながら峠を昼間に訪問したとは憎い!
さて、福島からは急行「八甲田」で野辺地に向かう。野辺地着は5時36分に到着予定なのでバッチリ仮眠できる。ところでこれから乗る「八甲田」は約6時間近く乗車できる。これは計画段階で旅の後半に夜行列車の乗車時間を長めに設定したのだ。いくら中学生でも約8日もぶっ続けで列車に乗っていたら体力的な事はもとより、精神的にもかなりのダメージを受けているはず。だから深夜未明の乗り換えは予め旅の前半に設定し、後半でしっかりとケアしようと考えたのだ。これから乗る「八甲田」はそれが見事にハマった感じであった。

そしてこちらがウィキから転用の峠駅。1990年と聞いているのでスイッチバック解消直前である。こうしてみてみると、SL時代の苦労や「峠の茶屋 力餅」の盛隆時代を彷彿させるようだ。もちろん「力餅」は現在も販売されている。
たが、気分はメランコリー・・・なぜか?それはこの日、計画段階から「駅寝」が決定していたからだ。夜行列車の乗車時間を長めに設定して・・・等と偉そうな事を言っておきながら最後に駅寝かよ・・・みたいな感じであるが、この時点での未乗車路線は大畑線、大湊線、男鹿線、角館線、矢島線、津軽線であった。ただ、津軽線は証明写真こそないものの、1979年に制覇している。だが、その時はまさか津軽線が大きな変貌を遂げ、津軽海峡線の一部になろうとは想像つかなかった。現在はその地位を新幹線に譲り、ある意味元の津軽線に戻った事だろう。ただ、車両や設備の内容は勿論違うが、私が三厩(当時は「みんまや」ではなく「みうまや」と読んでいた)からタクシーに乗り龍飛崎へ向かった時代に何となく戻ったようなイメージだろうと思う。
4年ぶりに向かう津軽線を楽しみに、そして駅寝決定を素直に受けいれ、急行「八甲田」の座席を離れ、初めて下車する野辺地のホームでラストスパートのアクセルを踏みしめた。

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コメント
ダイヤモンド☆トナカイ様
にわか者様
コメントありがとうございます。
残念ながら、私は峠の下車は未だに未経験です。が、やはり国鉄時代のあの「峠越え」はいくつになっても魅力ありますね。現在でも当時の面影を感じることができるのでしょうか?
私のブログをご覧頂き共感していただけるのはたいへん光栄ですが、若い世代にどれくらい伝わり共感していただけるのかという部分もあり、やや不安な思いもあります。ですが、我々の経験したことはいずれにしてもかなり貴重ですよね。しかも国鉄⏩JRへの経験もしましたし。
残念ながら、私は峠の下車は未だに未経験です。が、やはり国鉄時代のあの「峠越え」はいくつになっても魅力ありますね。現在でも当時の面影を感じることができるのでしょうか?
私のブログをご覧頂き共感していただけるのはたいへん光栄ですが、若い世代にどれくらい伝わり共感していただけるのかという部分もあり、やや不安な思いもあります。ですが、我々の経験したことはいずれにしてもかなり貴重ですよね。しかも国鉄⏩JRへの経験もしましたし。
ダイヤモンド☆トナカイ様
10年くらい前に峠駅に行きましたよ。
もはや旧客(後に50系)もなく、来るのは電車ばかりになってしまいましたがね・・・
それと、ナウでヤングなテツ君は、レジェンドダイヤモンド☆トナカイさんの当時の足取りをどう感じていらっしゃるのでしょうか、気になりますね・・・
私のテツ友(といいますか、沿線等で出会った大先輩の方々)のブログを拝見させていただいても、なかなか感情移入は難しいですね・・・
特に現役蒸気の話になりますと・・・父親に連れられて、ギリギリ間に合った私には、敷居が高い世界です・・・
国鉄末期の話題になりますと、それなりにコメントできるのですが・・・
もはや旧客(後に50系)もなく、来るのは電車ばかりになってしまいましたがね・・・
それと、ナウでヤングなテツ君は、レジェンドダイヤモンド☆トナカイさんの当時の足取りをどう感じていらっしゃるのでしょうか、気になりますね・・・
私のテツ友(といいますか、沿線等で出会った大先輩の方々)のブログを拝見させていただいても、なかなか感情移入は難しいですね・・・
特に現役蒸気の話になりますと・・・父親に連れられて、ギリギリ間に合った私には、敷居が高い世界です・・・
国鉄末期の話題になりますと、それなりにコメントできるのですが・・・
にわか者様
コメントありがとうございます。
蒸気機関車の時代は全くわかりませんので「未知との遭遇」的な感覚ですが、若い世代のレールファンが私の記事を見た感覚が、もしかしたらそんな感覚かも知れません。例えば新幹線の大宮暫定開業などもちろん知らないでしょうからいくら私が叫んでも伝わりにくいかも知れません。
ですが、恐らく30年後くらいに現在の若い世代の方が年齢を重ねブログ等で「寝台特急北斗星が・・・」などと語ったら、ある意味伝わりにくいかも知れません。
ただ、車両云々とかよりも旅の楽しさとかトラブル時の対象法などは恐らく何年経ってもどんな世代でもある意味「共通事項」だと思うので少しでも私の経験が参考になれば嬉しい限りです。もちろん同世代の方には共感していていだだけるのが最大に嬉しい気持ちです。そしてどの世代にも「旅っていいよね!」って伝われば最大に最高ですね。
蒸気機関車の時代は全くわかりませんので「未知との遭遇」的な感覚ですが、若い世代のレールファンが私の記事を見た感覚が、もしかしたらそんな感覚かも知れません。例えば新幹線の大宮暫定開業などもちろん知らないでしょうからいくら私が叫んでも伝わりにくいかも知れません。
ですが、恐らく30年後くらいに現在の若い世代の方が年齢を重ねブログ等で「寝台特急北斗星が・・・」などと語ったら、ある意味伝わりにくいかも知れません。
ただ、車両云々とかよりも旅の楽しさとかトラブル時の対象法などは恐らく何年経ってもどんな世代でもある意味「共通事項」だと思うので少しでも私の経験が参考になれば嬉しい限りです。もちろん同世代の方には共感していていだだけるのが最大に嬉しい気持ちです。そしてどの世代にも「旅っていいよね!」って伝われば最大に最高ですね。
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そうそう!私も旧客で制覇しましたよ!
あー懐かしい・・・
冗談なしに、ダイヤモンド☆トナカイさんのブログを拝見させていただいて、当時を思い出し涙することがあります・・・
楽しかったあの頃に戻りたい・・・