サマーアクションシリーズ ・1983年東北の旅。もっと細かくリメイク版㉗
2018-10-25
大湊より快速「なつどまり」で野辺地に9時35分に着いた私は秋田方面に向かいたいので青森を目指すつもりであったが、時刻表で確認する限り青森経由だとやたら接続が悪い。そこで私は1982.11.15ダイヤ改正の「ウリもの」をフルに活用する。それは特急「はつかり」で盛岡へ出て更に特急「たざわ」に乗り換え秋田に向かうという事だ。これだと青森経由より一時間以上早く秋田に着く事ができる。しかも「ワイド」の特権を最大限に活用するべく特急列車の連続だ。旅の終盤にきて特急のフル活用とは私も考えたものだ。
という事で野辺地より特急「はつかり」に乗る。なんと583系だ!将来的に583系の乗車はかなり貴重になろう。中学生なりに583系終焉のプロローグを肌で感じていた私は、リクライニングできない時代遅れと言われていた特急列車に喜んで乗車した。

ダイナミック✩トナカイ提供の特急「はつかり」は583系バージョン。一般的には、リクライニングができず更にボックス席である事が不評の要因であるが、私的にはあの開放感ある座席バージョンは大好きな部類であるである。再三言うが、例えば「ムーンライトながら」などに使用していただくと、大変利用価値あるサービス品になると思うのだが・・・もちろん寝台で!
座席時の583系は天井が広くとても解放感がありゆったりと旅ができる。特にボックス席の背もたれ部分は寝台に変身する関係からやたら分厚いのがまた良い。そしてカーテンはブラインド式になっており、レバーをクルクル回すのが新鮮だ。既に583系座席バージョンは1978年に九州へ旅をした時に特急「有明」で経験しており、寝台でも1979年に「ゆうづる」で乗車したため馴染み深い。そして私の好きな車両のひとつであるので尚更愛着がある。何せプラレールでも所有してしまうほどなのであるから・・・

ダイナミック✩トナカイ提供の特急「たざわ」であるが、1983年当時はまだ運転本数が少なく、確か1日6往復くらいしかなかった記憶だ。将来的にまさか新幹線に飛躍するとは夢にも思わなかったが・・・
2時間ほど揺られ盛岡に着いたのが12時15分であるが、この「15」がポイントなのである。新幹線も「たざわ」や「はつかり」も皆盛岡では15分頃に到着し30分頃に出発していく。ちゃんと乗り換えの便宜が図られており、どの方面に行くにも都合がいい。非常に考えられたダイヤだなと計画段階で時刻表を眺めながら感心していたが、盛岡のホームに立つと更に感心し田沢湖線のホームに向かった。
そして特急「たざわ」に乗るが、既に今回の旅ではお馴染みの列車になりフル活用させていただいた。ただ、この「たざわ」ではちょっとした事件が起こった。それは、私が一番最後尾の禁煙席に乗車していた時の事である。

特急「たざわ」の車内から撮影したが、考えてみたら田沢湖線の全線制覇は特急列車しか経験しておらず、普通列車での経験がないためいずれ普通列車での訪問をしてみたい。1983年当時、普通列車はDCであった記憶だ。
私はほぼ独占状態の車内で田沢湖線の各駅を撮影していた時の事。私がバシバシシャッターを切っていると白い服を着た車掌が車掌室から出てきた。そしてその車掌は最後尾の座席に座り煙草を吸い始めた。そして同乗していた保線員と何やら話始めた。あれ?ちょっと待てよ。ここって禁煙車だよな。私は一瞬自分のシチュエーションがどうなのかわからなくなった。冷静になり新しくなった田沢湖線の駅や景色に向けシャッターを切り始めるが・・・
あえてこれ以上は追記しないが、田沢湖線の特急列車はまだまだ一般に浸透していなかったのだろう。お盆休みというのに車内は閑古鳥状態であった。しかしながら現在は新幹線車両も乗り入れ大きな活躍を見せてくれているのが非常にうれしい思いである。

そして秋田であるが、この写真を撮影した時はかなりメランコリーな状態に。そう、これから待っている「駅寝」がプレッシャーに・・・
秋田に着いた私は矢島線制覇のため羽後本荘に向かう。乗車する列車は普通列車の「レッドトレイン」であった。こうして特急を乗り継いだ後に普通列車に乗るのは何となく違和感あるが、まさかこの50系が現在の鉄道シーンで貴重になるとは。当時はそんな事これっぽっちも考えなかったが、部活帰りと思われる同級生であろう面々が私の前で騒がしい。そんな生活感溢れる列車に乗り羽後本荘へと消えていった。

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という事で野辺地より特急「はつかり」に乗る。なんと583系だ!将来的に583系の乗車はかなり貴重になろう。中学生なりに583系終焉のプロローグを肌で感じていた私は、リクライニングできない時代遅れと言われていた特急列車に喜んで乗車した。

ダイナミック✩トナカイ提供の特急「はつかり」は583系バージョン。一般的には、リクライニングができず更にボックス席である事が不評の要因であるが、私的にはあの開放感ある座席バージョンは大好きな部類であるである。再三言うが、例えば「ムーンライトながら」などに使用していただくと、大変利用価値あるサービス品になると思うのだが・・・もちろん寝台で!
座席時の583系は天井が広くとても解放感がありゆったりと旅ができる。特にボックス席の背もたれ部分は寝台に変身する関係からやたら分厚いのがまた良い。そしてカーテンはブラインド式になっており、レバーをクルクル回すのが新鮮だ。既に583系座席バージョンは1978年に九州へ旅をした時に特急「有明」で経験しており、寝台でも1979年に「ゆうづる」で乗車したため馴染み深い。そして私の好きな車両のひとつであるので尚更愛着がある。何せプラレールでも所有してしまうほどなのであるから・・・

ダイナミック✩トナカイ提供の特急「たざわ」であるが、1983年当時はまだ運転本数が少なく、確か1日6往復くらいしかなかった記憶だ。将来的にまさか新幹線に飛躍するとは夢にも思わなかったが・・・
2時間ほど揺られ盛岡に着いたのが12時15分であるが、この「15」がポイントなのである。新幹線も「たざわ」や「はつかり」も皆盛岡では15分頃に到着し30分頃に出発していく。ちゃんと乗り換えの便宜が図られており、どの方面に行くにも都合がいい。非常に考えられたダイヤだなと計画段階で時刻表を眺めながら感心していたが、盛岡のホームに立つと更に感心し田沢湖線のホームに向かった。
そして特急「たざわ」に乗るが、既に今回の旅ではお馴染みの列車になりフル活用させていただいた。ただ、この「たざわ」ではちょっとした事件が起こった。それは、私が一番最後尾の禁煙席に乗車していた時の事である。

特急「たざわ」の車内から撮影したが、考えてみたら田沢湖線の全線制覇は特急列車しか経験しておらず、普通列車での経験がないためいずれ普通列車での訪問をしてみたい。1983年当時、普通列車はDCであった記憶だ。
私はほぼ独占状態の車内で田沢湖線の各駅を撮影していた時の事。私がバシバシシャッターを切っていると白い服を着た車掌が車掌室から出てきた。そしてその車掌は最後尾の座席に座り煙草を吸い始めた。そして同乗していた保線員と何やら話始めた。あれ?ちょっと待てよ。ここって禁煙車だよな。私は一瞬自分のシチュエーションがどうなのかわからなくなった。冷静になり新しくなった田沢湖線の駅や景色に向けシャッターを切り始めるが・・・
あえてこれ以上は追記しないが、田沢湖線の特急列車はまだまだ一般に浸透していなかったのだろう。お盆休みというのに車内は閑古鳥状態であった。しかしながら現在は新幹線車両も乗り入れ大きな活躍を見せてくれているのが非常にうれしい思いである。

そして秋田であるが、この写真を撮影した時はかなりメランコリーな状態に。そう、これから待っている「駅寝」がプレッシャーに・・・
秋田に着いた私は矢島線制覇のため羽後本荘に向かう。乗車する列車は普通列車の「レッドトレイン」であった。こうして特急を乗り継いだ後に普通列車に乗るのは何となく違和感あるが、まさかこの50系が現在の鉄道シーンで貴重になるとは。当時はそんな事これっぽっちも考えなかったが、部活帰りと思われる同級生であろう面々が私の前で騒がしい。そんな生活感溢れる列車に乗り羽後本荘へと消えていった。

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コメント
ダイヤモンド☆トナカイ様
にわか者様
コメントありがとうございます。
中学生ながらのルート選択。これは名探偵明知小五郎・天地茂バージョンでもひらめかなかった事でしょう。
矢部線は私も行きましたが、現在唯一黒木駅の駅名標の写真が残るのみです。確か佐賀線から乗り換え無しの直通列車でしたが、時刻表上では直通ではない例のパターンです。
ですが、形は違えど矢島線が平成のこの時代に残っているのは奇跡ですよね。とはいえ、矢島線の当時の内容は記憶が薄いのですが・・・
中学生ながらのルート選択。これは名探偵明知小五郎・天地茂バージョンでもひらめかなかった事でしょう。
矢部線は私も行きましたが、現在唯一黒木駅の駅名標の写真が残るのみです。確か佐賀線から乗り換え無しの直通列車でしたが、時刻表上では直通ではない例のパターンです。
ですが、形は違えど矢島線が平成のこの時代に残っているのは奇跡ですよね。とはいえ、矢島線の当時の内容は記憶が薄いのですが・・・
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十津川警部も亀さんも見つけられないかと(汗)
いやいや、それよりも矢島線に向かわれたんですね。
恥ずかしい話ですが、いまでも矢島線と矢部線がゴッチャになってしまうんですよ・・・
矢島線懐かしいです。
次回も期待しております。