サマーアクションシリーズ ・1983年東北の旅。もっと細かくリメイク版㉘
2018-10-30
羽後本荘でレッドトレインを下車した私は矢島線に向かう。矢島線といえば当時は廃止候補に挙がっていたが、現在は由利高原鉄道として第二の人生を歩んでいるのは周知の通りである。

国鉄時代の矢島線終点・羽後矢島。名所案内に記されている記述は私にとっては天文学的数値で、とても鳥海山に果敢にチャレンジしようとは思えない内容であった。特に後半が・・・
途中の前郷では三セク移管時に交換設備が設置されたが、実は以前にも交換設備はあった。が、いったん棒線化された後に更に交換設備が復活するのはある意味珍しい。そんな前郷ではある逸話がある。
私はかつて会社の同僚に「出身はどちら?」なんて世間話をしていたら「秋田です」と言った。よくある会話だ。ところが更に掘り下げて「秋田のどの辺?多分一般にマイナーな場所でも大体わかるかも」というと「前郷」という答えが返ってきた。「どうだ、マイナー過ぎてわからないだろう!」向こうはそう思っていたかも知れないが、返す刀で「由利高原鉄道の?」と言った途端顔色が変わった。「なんで知っているの?」と目をマックスに開きこちらを見ている。更に「昔の矢島線だよね?」と付け加えたが、その同僚がその後どういう表情をしたのかは皆様のご想像にお任せしよう。
そんな前郷を過ぎ矢島に着くが、折りかえしインターバル時間が4分しかない❗「いい旅チャレンジ20000km」の証明写真を撮影するのに精一杯で入場券をかえるかどうか。駅を散策する間もなく羽後本荘に折り返した。

現在の前郷は由利高原鉄道の所属であるが、国鉄時代よりかなりモダンになった印象だ。第三セクターに移管され交換設備も復活。(画像はウィキより)
さて、夜が近付くにつれ段々メランコリーになっていくのは気のせいか。計画段階で駅寝が決定している以上、もう後戻りできない。当時、今回の旅行程を考えるに当たり一番悩んだ場所だ。予定だとこのあと羽後本荘から羽越本線で秋田に向かい男鹿線を制覇した後大曲で田沢湖線の始発列車を待たせてもらうつもりだ。この列車に乗らないと角館線の始発に乗れなくなる。次の列車は夕方なのでタイムロスが大きい。
そんなブルーな行程であったが、つい最近、当時の時刻表を使い何とか駅寝しない方法を探してみた。するとどうだろう。余裕でその方法が見つかったではないか!散々頭を悩ませ、飯詰駅に往復葉書を送付し駅寝交渉したりして苦労した私は「丸出だめ夫」ではないか❗なんでもっと現地などで時刻表を見て頑張らなかったのだろう・・・超落胆。

めちゃめちゃ立派になった現在の大曲。新幹線もやってくるようになり更に便利に。花火大会当日はごった返す事であろう。今回の旅ではこちらでお世話になったが、当時の面影は全く無し!(画像はウィキより)
ポイントは田沢湖線であった。私は盛岡から秋田に向かい矢島線目指したが、これがいけなかった。
秋田で折り返し盛岡行きの特急「たざわ」に乗り換え角館で角館線に乗り換える。更に折り返し秋田に向かい男鹿線に乗り換える。男鹿線制覇後は特急「白鳥」で青森に23時40分頃に到着し0時02分発の急行「八甲田」に乗るというからくりだ。あれ、矢島線は?と思われるだろうが「八甲田」を一ノ関辺りで捨て折りかえし盛岡などから秋田方面に向かえば丸く収まるではないか。なんでこういう発想が出来なかったのかと当時の自分を責めてしまう。だが逆にこういう旅を数多く経験したからこそ今がある。だから今の自分は発想が多彩になる。やはり旅は多くした方がいい。そんな思いを抱きながらかつての旅を振り返ると、若き日の自分が羨ましくなるしアドバイスもしたくなる。
未来の自分が過去の自分を振り返りこんな事を考えるなんて、当時の自分は考えもしなかった。そんな無邪気な私は、迫り来る駅寝のメランコリーを払拭すべく男鹿線に向け秋田駅の跨線橋を足早に登っていった。

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国鉄時代の矢島線終点・羽後矢島。名所案内に記されている記述は私にとっては天文学的数値で、とても鳥海山に果敢にチャレンジしようとは思えない内容であった。特に後半が・・・
途中の前郷では三セク移管時に交換設備が設置されたが、実は以前にも交換設備はあった。が、いったん棒線化された後に更に交換設備が復活するのはある意味珍しい。そんな前郷ではある逸話がある。
私はかつて会社の同僚に「出身はどちら?」なんて世間話をしていたら「秋田です」と言った。よくある会話だ。ところが更に掘り下げて「秋田のどの辺?多分一般にマイナーな場所でも大体わかるかも」というと「前郷」という答えが返ってきた。「どうだ、マイナー過ぎてわからないだろう!」向こうはそう思っていたかも知れないが、返す刀で「由利高原鉄道の?」と言った途端顔色が変わった。「なんで知っているの?」と目をマックスに開きこちらを見ている。更に「昔の矢島線だよね?」と付け加えたが、その同僚がその後どういう表情をしたのかは皆様のご想像にお任せしよう。
そんな前郷を過ぎ矢島に着くが、折りかえしインターバル時間が4分しかない❗「いい旅チャレンジ20000km」の証明写真を撮影するのに精一杯で入場券をかえるかどうか。駅を散策する間もなく羽後本荘に折り返した。

現在の前郷は由利高原鉄道の所属であるが、国鉄時代よりかなりモダンになった印象だ。第三セクターに移管され交換設備も復活。(画像はウィキより)
さて、夜が近付くにつれ段々メランコリーになっていくのは気のせいか。計画段階で駅寝が決定している以上、もう後戻りできない。当時、今回の旅行程を考えるに当たり一番悩んだ場所だ。予定だとこのあと羽後本荘から羽越本線で秋田に向かい男鹿線を制覇した後大曲で田沢湖線の始発列車を待たせてもらうつもりだ。この列車に乗らないと角館線の始発に乗れなくなる。次の列車は夕方なのでタイムロスが大きい。
そんなブルーな行程であったが、つい最近、当時の時刻表を使い何とか駅寝しない方法を探してみた。するとどうだろう。余裕でその方法が見つかったではないか!散々頭を悩ませ、飯詰駅に往復葉書を送付し駅寝交渉したりして苦労した私は「丸出だめ夫」ではないか❗なんでもっと現地などで時刻表を見て頑張らなかったのだろう・・・超落胆。

めちゃめちゃ立派になった現在の大曲。新幹線もやってくるようになり更に便利に。花火大会当日はごった返す事であろう。今回の旅ではこちらでお世話になったが、当時の面影は全く無し!(画像はウィキより)
ポイントは田沢湖線であった。私は盛岡から秋田に向かい矢島線目指したが、これがいけなかった。
秋田で折り返し盛岡行きの特急「たざわ」に乗り換え角館で角館線に乗り換える。更に折り返し秋田に向かい男鹿線に乗り換える。男鹿線制覇後は特急「白鳥」で青森に23時40分頃に到着し0時02分発の急行「八甲田」に乗るというからくりだ。あれ、矢島線は?と思われるだろうが「八甲田」を一ノ関辺りで捨て折りかえし盛岡などから秋田方面に向かえば丸く収まるではないか。なんでこういう発想が出来なかったのかと当時の自分を責めてしまう。だが逆にこういう旅を数多く経験したからこそ今がある。だから今の自分は発想が多彩になる。やはり旅は多くした方がいい。そんな思いを抱きながらかつての旅を振り返ると、若き日の自分が羨ましくなるしアドバイスもしたくなる。
未来の自分が過去の自分を振り返りこんな事を考えるなんて、当時の自分は考えもしなかった。そんな無邪気な私は、迫り来る駅寝のメランコリーを払拭すべく男鹿線に向け秋田駅の跨線橋を足早に登っていった。

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コメント
ダイヤモンド☆トナカイ様
にわか者様
コメントありがとうございます。
実はその同僚、私よりも20年くらい先輩の女性で矢島線で通学したと話してました。
そんな由緒ある矢島線を私はメランコリー気分で乗車していたのですから何とも失礼ですね。
ですが、そんな矢島線もメランコリーにならずに乗車する手段が30年以上経過して見つかるなんて、それこそメランコリーです・・・
実はその同僚、私よりも20年くらい先輩の女性で矢島線で通学したと話してました。
そんな由緒ある矢島線を私はメランコリー気分で乗車していたのですから何とも失礼ですね。
ですが、そんな矢島線もメランコリーにならずに乗車する手段が30年以上経過して見つかるなんて、それこそメランコリーです・・・
ダイヤモンド☆トナカイ様
20ぐらい上の大先輩でしたか!!
もしも我々が20年早く生まれていたら、旧客、旧型国電は当たり前、それこそ蒸気機関車で乗りつぶしをやっていたかもしれませんね。
そして、我々が全国に出撃した時点で廃止されていた路線にも、乗りつぶしできたかもしれないですね・・・
私も白糠線に乗車できたかも・・・
もしも我々が20年早く生まれていたら、旧客、旧型国電は当たり前、それこそ蒸気機関車で乗りつぶしをやっていたかもしれませんね。
そして、我々が全国に出撃した時点で廃止されていた路線にも、乗りつぶしできたかもしれないですね・・・
私も白糠線に乗車できたかも・・・
にわか者様
コメントありがとうございます。
そうですね。その先輩に関しては恐らく「汽車」と呼ばれた時代の鉄道に揺られ育まれた事でしょう。また、新聞雑誌なども一日遅れで読んでいたかも知れません。
にわか者さんは白糠線は未乗車かも知れませんが、天北線や別府鉄道など、私が経験できなかった「ブーム」に乗ることが出来たので、それは素晴らしい経験だと思います。
ただ、私ももう4~5年早く生まれていれば「ドリーム交通」を経験出来たかも知れません。最もにわか者さんはドリーム交通はほとんど馴染ないかも知れませんが・・・
そうですね。その先輩に関しては恐らく「汽車」と呼ばれた時代の鉄道に揺られ育まれた事でしょう。また、新聞雑誌なども一日遅れで読んでいたかも知れません。
にわか者さんは白糠線は未乗車かも知れませんが、天北線や別府鉄道など、私が経験できなかった「ブーム」に乗ることが出来たので、それは素晴らしい経験だと思います。
ただ、私ももう4~5年早く生まれていれば「ドリーム交通」を経験出来たかも知れません。最もにわか者さんはドリーム交通はほとんど馴染ないかも知れませんが・・・
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「丸出だめ夫」懐かしいですね。
それと、その同僚「矢島線???はぁ?何ですか?それ?」ではなかったですか?
それにしても、まだ旧矢島線は生き残っているいるんですよねぇ・・・
最後に、すごいルートを発見されましたね!
私は何も考えず、駅ネでしたよ・・・