サマーアクションシリーズ ・1983年東北の旅。もっと細かくリメイク版30
2018-11-10
山形での駅寝の際には触れなかったが、実は山形のベンチで寝ている際に足を叩かれ起こされた。「君、どうしたの?こんなところで。」家出少年に見えたのか。「これこれこういう旅の途中です」みたいな会話をして更にまた寝ようとしたが、どうやら私に興味津々らしくなかなか寝かせてもらえない。よくよく話すとその紳士は駅構内だか駅前だかの飲食店的な場所で働いているらしい。勤務終了後に私を見つけたのであろうか。そして「僕の家はこの近くだからよかったら泊まっていかない?」私は嫌な予感がした。「4時26分に乗らなくてはいけないので」という会話は深夜一時半~2時くらいであったと思う。「大丈夫だよ」と相手は言うがこちらは大丈夫ではない。「ご迷惑お掛けするので」と丁寧にお断りした。もしあの時あの紳士にくっついていったら私はどうなっていたのだろう。相手は本当に親切な方だったのかも知れないが、場合によっては受けてはいけない親切もあると思う。

1983年、今回の旅で最初に駅寝を考えた後三年。2005年時代のカラーはJR化後であるが、現在は更に駅舎が改築されモダンになった。画像はウィキより。
そんな事もあり、駅寝には少々ためらいがあった。だが仕方がない。駅寝も自身が決めた事。私は一番最初に駅寝を決めてあった後三年のホームにある待合室を列車から覗く。駅寝には最適な空間となっていたが、何やら中に砂か砂利が床に撒かれた状態になっていた。何だろうと思いよく見てみると羽虫の大群が明かりを求めホームにやってきたのだ!これではさすがに朝までの滞在は無理であろう。そして飯詰に向かうも同じ状態であった。やはり大きな駅でお願いするしかない。とは言うものの断られたら本当に野宿になってしまう。私は計画通り、一番無難な大曲にしようと思い大曲で下車した。
「すみません、明日の始発までそちら(待合室)で待たせて頂きたいのですが・・・」
中学生くらいの少年がいきなりこんなこと言うのはおかしいだろう。
「もう駅はおしまいだから全部締め切っちゃうんだよね。」
つまり日本人流の「お断り」ということだ。これは当たり前であろう。
「いや、田沢湖線の始発に乗らないと角館線に乗れないんですよ」

国鉄時代に比べ超モダンになった角館。「みちのくの小京都」にふさわしい佇まいである。画像はウィキより。
これはこちらの勝手な都合だ。大曲なら宿などいくらでもあるだろう。
だが駅員さんは
「それじゃ、待合室で寝るのはいいけど窓から扉から全部鍵掛けちゃうから始発まで外には出られないよ。」
つまり駅寝OKという事だ!しかも防犯のため施錠してくれるという。いや、私がいてもいなくても施錠するだろう。「何を言ってもダメだろうな」と思われたのか、それとも「駅寝、大歓迎!」的な気持ちでOKしてくれたのか・・・どちらにしてもこれで角館線はOK!しかも角館までは田沢湖線を走る貴重な旧型客車による普通列車だ。
「はい、わかりました。ありがとうございます❗」
鍵もかけてくれるので山形みたいに周りを気にせずゆっくり寝れる。私は防犯機能が次第に薄れ、深い眠りに誘われた。

2011年訪問時の角館。かつて「角館線」と名乗っていた秋田内陸縦貫鉄道で到着した。現在では新幹線がやって来るのが、私の1983年訪問時には夢にも思わなかった。
翌朝目が覚めると待合室に初老の紳士がひとりベンチに座っていた。「あれ、もう始発行っちゃったかな?」と思い時計を見たがまだまだ時間に余裕があった。
暫くすると駅員が待合室の鍵を開けにやってきた。
「おはようございます。昨日はありがとうございました。」私は丁寧に挨拶をすると「そういえばあのオジサンどこから入ったの?鍵開けた?」と待合室にいた初老の紳士に対し私に問うてきた。「いや、鍵開けてないんですけど目が覚めたらもう前にすわっていたんで。」私は事情徴収され自身の所持品も気になり確認作業に追われたが、とりあえず無事旅を続行させる事ができそうだ。私は駅員さんに更なる挨拶を丁寧にして田沢湖線の旧型客車に乗り込んだ。

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1983年、今回の旅で最初に駅寝を考えた後三年。2005年時代のカラーはJR化後であるが、現在は更に駅舎が改築されモダンになった。画像はウィキより。
そんな事もあり、駅寝には少々ためらいがあった。だが仕方がない。駅寝も自身が決めた事。私は一番最初に駅寝を決めてあった後三年のホームにある待合室を列車から覗く。駅寝には最適な空間となっていたが、何やら中に砂か砂利が床に撒かれた状態になっていた。何だろうと思いよく見てみると羽虫の大群が明かりを求めホームにやってきたのだ!これではさすがに朝までの滞在は無理であろう。そして飯詰に向かうも同じ状態であった。やはり大きな駅でお願いするしかない。とは言うものの断られたら本当に野宿になってしまう。私は計画通り、一番無難な大曲にしようと思い大曲で下車した。
「すみません、明日の始発までそちら(待合室)で待たせて頂きたいのですが・・・」
中学生くらいの少年がいきなりこんなこと言うのはおかしいだろう。
「もう駅はおしまいだから全部締め切っちゃうんだよね。」
つまり日本人流の「お断り」ということだ。これは当たり前であろう。
「いや、田沢湖線の始発に乗らないと角館線に乗れないんですよ」

国鉄時代に比べ超モダンになった角館。「みちのくの小京都」にふさわしい佇まいである。画像はウィキより。
これはこちらの勝手な都合だ。大曲なら宿などいくらでもあるだろう。
だが駅員さんは
「それじゃ、待合室で寝るのはいいけど窓から扉から全部鍵掛けちゃうから始発まで外には出られないよ。」
つまり駅寝OKという事だ!しかも防犯のため施錠してくれるという。いや、私がいてもいなくても施錠するだろう。「何を言ってもダメだろうな」と思われたのか、それとも「駅寝、大歓迎!」的な気持ちでOKしてくれたのか・・・どちらにしてもこれで角館線はOK!しかも角館までは田沢湖線を走る貴重な旧型客車による普通列車だ。
「はい、わかりました。ありがとうございます❗」
鍵もかけてくれるので山形みたいに周りを気にせずゆっくり寝れる。私は防犯機能が次第に薄れ、深い眠りに誘われた。

2011年訪問時の角館。かつて「角館線」と名乗っていた秋田内陸縦貫鉄道で到着した。現在では新幹線がやって来るのが、私の1983年訪問時には夢にも思わなかった。
翌朝目が覚めると待合室に初老の紳士がひとりベンチに座っていた。「あれ、もう始発行っちゃったかな?」と思い時計を見たがまだまだ時間に余裕があった。
暫くすると駅員が待合室の鍵を開けにやってきた。
「おはようございます。昨日はありがとうございました。」私は丁寧に挨拶をすると「そういえばあのオジサンどこから入ったの?鍵開けた?」と待合室にいた初老の紳士に対し私に問うてきた。「いや、鍵開けてないんですけど目が覚めたらもう前にすわっていたんで。」私は事情徴収され自身の所持品も気になり確認作業に追われたが、とりあえず無事旅を続行させる事ができそうだ。私は駅員さんに更なる挨拶を丁寧にして田沢湖線の旧型客車に乗り込んだ。

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コメント
ダイヤモンド☆トナカイ様
ダイヤモンド☆トナカイ様
すみません・・・
家に帰ってゆっくり確認しましたら、誤解を招きそうな箇所がありました。
誤 ダイヤモンド☆トナカイさんのブログを読んでいらっしゃるよい子のみんなは、絶対に真似しないでくださいね!
正 ダイヤモンド☆トナカイさんのブログで、にわか者のコメントを読んでいるよい子のみんなは、にわか者の真似をしないでくださいね!
以上です。
※怪傑ズバットの真似は大変危険ですので、絶対にしないでください!
家に帰ってゆっくり確認しましたら、誤解を招きそうな箇所がありました。
誤 ダイヤモンド☆トナカイさんのブログを読んでいらっしゃるよい子のみんなは、絶対に真似しないでくださいね!
正 ダイヤモンド☆トナカイさんのブログで、にわか者のコメントを読んでいるよい子のみんなは、にわか者の真似をしないでくださいね!
以上です。
※怪傑ズバットの真似は大変危険ですので、絶対にしないでください!
にわか者様
コメントありがとうございます。
わざわさ訂正のご連絡までいただいて恐縮です。それより何より明延を経験なされたのは素晴らしいですね。当時の「旅と鉄道」にも紹介されていていってみたい思いはありましたが、当時は今ほどインターネットが普及されておらず、私のような者は全てアナログで行動しなければなりませんでした。そのためどうしたら明延に乗れるのかの情報や手段が乏しかったイメージです。
もちろん現存していたら即座に訪問していた事でしょう。現在もイベント的な動体保存はされているみたいで、料金は当時と同じ「1円」みたいです。
やはり私も出会いを大切にすれば明延を始め、例えば本四備讃線開通前の下津井電鉄とか行けたかも知れません。
わざわさ訂正のご連絡までいただいて恐縮です。それより何より明延を経験なされたのは素晴らしいですね。当時の「旅と鉄道」にも紹介されていていってみたい思いはありましたが、当時は今ほどインターネットが普及されておらず、私のような者は全てアナログで行動しなければなりませんでした。そのためどうしたら明延に乗れるのかの情報や手段が乏しかったイメージです。
もちろん現存していたら即座に訪問していた事でしょう。現在もイベント的な動体保存はされているみたいで、料金は当時と同じ「1円」みたいです。
やはり私も出会いを大切にすれば明延を始め、例えば本四備讃線開通前の下津井電鉄とか行けたかも知れません。
ダイヤモンド☆トナカイ様
そうそう下津井も離れていましたね。
私は瀬戸大橋を開通当日に電車で往復し、さらに車で往復し、ついでに下津井へ訪問してきました(汗)
その前月は青函トンネルの開通当日に潜って帰ってきました(汗)
今なら体力的に絶対無理です・・・
私は瀬戸大橋を開通当日に電車で往復し、さらに車で往復し、ついでに下津井へ訪問してきました(汗)
その前月は青函トンネルの開通当日に潜って帰ってきました(汗)
今なら体力的に絶対無理です・・・
にわか者様
コメントありがとうございます。
開通当日に!それは貴重ですね。青函トンネル開通時といえば14系の座席客車で快速がいましたよね。そしてその当時こそ廃止がブームになっていて地方のローカル線が次々になくなっていき、気が付けば特に北海道などは、それこそ現在の形になりつつある、そんな時期だったような感じです。
そういえば瀬戸大橋を車でも往復なされたそうですが、考えてみたら免許取りたてじゃないですか?ちなみに私は福島の飯坂温泉で合宿で取りましたがレールファン休業中でしたが福島交通には散々お世話になりました。
合宿所では麻雀を知っていたお陰でかなり滞在費が浮いたかと・・・
開通当日に!それは貴重ですね。青函トンネル開通時といえば14系の座席客車で快速がいましたよね。そしてその当時こそ廃止がブームになっていて地方のローカル線が次々になくなっていき、気が付けば特に北海道などは、それこそ現在の形になりつつある、そんな時期だったような感じです。
そういえば瀬戸大橋を車でも往復なされたそうですが、考えてみたら免許取りたてじゃないですか?ちなみに私は福島の飯坂温泉で合宿で取りましたがレールファン休業中でしたが福島交通には散々お世話になりました。
合宿所では麻雀を知っていたお陰でかなり滞在費が浮いたかと・・・
ダイヤモンド☆トナカイ様
瀬戸大橋の開通は、私が免許を取って1年ぐらいでしたね。やはりスーパーカーブームを生きた世代?ですので、クルマも大好きでしてね。
学生時代は、クルマで日本一周もやりましたよ(汗)
私は基本、車中泊でして・・・
ここでもおまわりさんには、散々お世話になりましたよ・・・
今は道の駅やコンビニ、カーナビ等でいろいろ便利になりましたが、あの頃の日本一周はねぇ・・・
初代アルト47万円は、この旅を最後に廃車となりました。
学生時代は、クルマで日本一周もやりましたよ(汗)
私は基本、車中泊でして・・・
ここでもおまわりさんには、散々お世話になりましたよ・・・
今は道の駅やコンビニ、カーナビ等でいろいろ便利になりましたが、あの頃の日本一周はねぇ・・・
初代アルト47万円は、この旅を最後に廃車となりました。
にわか者様
コメントありがとうございます。
「スーパーカーブーム」とは懐かしいですよね。今の時代に「スーパーカー」ってあるのでしょうか?もしあったとしても我々が経験した「デトマソパンテーラ」には勝てないでしょう。
以前にもお伝えした記憶ですが、スーパーカーではないですが「コスモスポーツ」がとても好きで、今でも乗りたい車のひとつです。ただ燃費悪そうですが・・・
「スーパーカーブーム」とは懐かしいですよね。今の時代に「スーパーカー」ってあるのでしょうか?もしあったとしても我々が経験した「デトマソパンテーラ」には勝てないでしょう。
以前にもお伝えした記憶ですが、スーパーカーではないですが「コスモスポーツ」がとても好きで、今でも乗りたい車のひとつです。ただ燃費悪そうですが・・・
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ただ・・・私は撮影の時に一緒になった人には、何度か車に乗せていただきました・・・明延の1円電車なんて、まさしくこれで偶然にも訪問できたのです・・・
でも、一歩間違えれば、大変なことになっていたかもしれないです・・・
ダイヤモンド☆トナカイさんのブログを読んでいらっしゃるよい子のみんなは、絶対に真似しないでくださいね!