サマーアクションシリーズ ・1983年東北の旅。もっと細かくリメイク版㉛
2018-11-15
私は田沢湖線は特急列車でしか訪問した事がないと思っていたが、よく考えたら客車普通列車も経験していた。現在の田沢湖線の風景をみたらかなり貴重な体験であろう。そんな列車は当然ながら乗客は疎らであった。
角館から角館線に乗り換える。いわゆる現在の秋田内陸縦貫鉄道であるが、当時は松葉が終点であった。1日3往復しか設定がないため制覇には一際苦労する。とはいえ、私は制覇すれば済むのだが、地元の利用者はリピートしなければならず、さぞかし苦労するであろう。そんな事を考えながら松葉で証明写真を撮影し角館まで折り返す。
松葉のホームに立ち鉄路の先を見ると、とても現在の姿が想像できないほどであった。

現在の松葉はウィキより画像を拝借した。1983年当時、私はこの駅が将来交換設備を持つのかなと思っていたが、現在も1面1線で、国鉄時代の面影も若干残す。
角館に着くと再び大曲目指す列車に乗るが、なんと先程乗った客車普通列車が田沢湖で折りかえし大曲行きとして戻ってきたのだ。さっき乗った旧型客車に乗る。これは実にいい。夏休みのため学生はそれほどいないが、それなりに朝のラッシュタイムを醸し出しながら大曲に8時ちょうどに到着した。
大曲からは5分の乗り換えで急行「津軽」に乗り終点の青森まで向かう。青森到着は12時23分なので約4時間半だ!急行「津軽」といえば言わずと知れた夜行列車であるが、青森到着が昼過ぎとは!だが、意外にお盆ということで乗客がそれなりに。私は自由席ながら座席を確保できたが、秋田では乗客が入れ変り更に私の席にも他の乗客が転がり込んできた。ただ、14系客車のため座席がリクライニングでき、そして回転できるのでかなりリラックスできるのであるが、そこで乗り込んできたご婦人が私の席に来たので「座席を回転させればもっと快適に座れますよ」と説明したのだがどうも理解してもらえなかったようで、向い合わせのまま終点の青森まで一緒であった。

1979年8月訪問時の青森。急行「津軽」は青森到着も青森出発も日中の時間帯であった。青森付近ではある意味夜行列車とは思えないぐらいの「ヒルネ」的な働きであった。ちなみに青森到着は昼12時頃、青森発車は確か15時ころであった記憶。
そしていよいよ最終章。津軽線に乗り換え三厩で証明写真を撮影すればすべての行程が終了する。後は寝台特急「はくつる」に乗り上野を目指すのみ。津軽線に乗る前にダイナミック☆トナカイと合流する予定だ。
青森に近付くといつの間にかレールの数が増えていき、寄せては返す波のごとくレールが広がっていく。いよいよ最終章だ。既に1979年に津軽線は訪問済だが、今回は「いい旅チャレンジ20000km」の証明写真を撮影するために三厩に向かわなければならない。しかも前回は家族同行だったが今回は自身の単独行動だ。いささか成長したであろう自身のように青函トンネル開通に向け津軽線も「成長」したのであろうか。これからその確認作業に向け足早に津軽線のホームを目指した。

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角館から角館線に乗り換える。いわゆる現在の秋田内陸縦貫鉄道であるが、当時は松葉が終点であった。1日3往復しか設定がないため制覇には一際苦労する。とはいえ、私は制覇すれば済むのだが、地元の利用者はリピートしなければならず、さぞかし苦労するであろう。そんな事を考えながら松葉で証明写真を撮影し角館まで折り返す。
松葉のホームに立ち鉄路の先を見ると、とても現在の姿が想像できないほどであった。

現在の松葉はウィキより画像を拝借した。1983年当時、私はこの駅が将来交換設備を持つのかなと思っていたが、現在も1面1線で、国鉄時代の面影も若干残す。
角館に着くと再び大曲目指す列車に乗るが、なんと先程乗った客車普通列車が田沢湖で折りかえし大曲行きとして戻ってきたのだ。さっき乗った旧型客車に乗る。これは実にいい。夏休みのため学生はそれほどいないが、それなりに朝のラッシュタイムを醸し出しながら大曲に8時ちょうどに到着した。
大曲からは5分の乗り換えで急行「津軽」に乗り終点の青森まで向かう。青森到着は12時23分なので約4時間半だ!急行「津軽」といえば言わずと知れた夜行列車であるが、青森到着が昼過ぎとは!だが、意外にお盆ということで乗客がそれなりに。私は自由席ながら座席を確保できたが、秋田では乗客が入れ変り更に私の席にも他の乗客が転がり込んできた。ただ、14系客車のため座席がリクライニングでき、そして回転できるのでかなりリラックスできるのであるが、そこで乗り込んできたご婦人が私の席に来たので「座席を回転させればもっと快適に座れますよ」と説明したのだがどうも理解してもらえなかったようで、向い合わせのまま終点の青森まで一緒であった。

1979年8月訪問時の青森。急行「津軽」は青森到着も青森出発も日中の時間帯であった。青森付近ではある意味夜行列車とは思えないぐらいの「ヒルネ」的な働きであった。ちなみに青森到着は昼12時頃、青森発車は確か15時ころであった記憶。
そしていよいよ最終章。津軽線に乗り換え三厩で証明写真を撮影すればすべての行程が終了する。後は寝台特急「はくつる」に乗り上野を目指すのみ。津軽線に乗る前にダイナミック☆トナカイと合流する予定だ。
青森に近付くといつの間にかレールの数が増えていき、寄せては返す波のごとくレールが広がっていく。いよいよ最終章だ。既に1979年に津軽線は訪問済だが、今回は「いい旅チャレンジ20000km」の証明写真を撮影するために三厩に向かわなければならない。しかも前回は家族同行だったが今回は自身の単独行動だ。いささか成長したであろう自身のように青函トンネル開通に向け津軽線も「成長」したのであろうか。これからその確認作業に向け足早に津軽線のホームを目指した。

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コメント
ダイヤモンド☆トナカイ様
にわか者様
コメントありがとうございます。
「きたぐに」も懐かしいですね。しかも583系になる前ですよね。
そういえば「津軽」も晩年は仙山線経由でしたよね、確か。583系時代に乗ってみたかったです。583系が仙山線を走る姿見てみたかったです。
多分RJだったと思いますが、イレギュラーながらかつて陸羽東線に「あけぼの」が走った事があるみたいな事が記されてました。奥羽線で事故か何かあっての事みたいですが、鉄道王国・日本だからこそできる迂回ルートではないでしょうか。即座に迂回、代替ができる日本の鉄道は本当に素晴らしいですね。
「きたぐに」も懐かしいですね。しかも583系になる前ですよね。
そういえば「津軽」も晩年は仙山線経由でしたよね、確か。583系時代に乗ってみたかったです。583系が仙山線を走る姿見てみたかったです。
多分RJだったと思いますが、イレギュラーながらかつて陸羽東線に「あけぼの」が走った事があるみたいな事が記されてました。奥羽線で事故か何かあっての事みたいですが、鉄道王国・日本だからこそできる迂回ルートではないでしょうか。即座に迂回、代替ができる日本の鉄道は本当に素晴らしいですね。
ダイヤモンド☆トナカイ様
陸羽東線のあけぼのは、新幹線工事の時のやつですかね?
それならば、結構な年数やっていましたよ。
ちゅうど休テツの頃ですかね?
今回の山陽本線の災害で山陰本線迂回貨物が走ったりと、線路網があればこそですね!
だんだん怪しくなってきてはおりますが・・・
それならば、結構な年数やっていましたよ。
ちゅうど休テツの頃ですかね?
今回の山陽本線の災害で山陰本線迂回貨物が走ったりと、線路網があればこそですね!
だんだん怪しくなってきてはおりますが・・・
にわか者様
コメントありがとうございます。
陸羽東線のあけぼのはSL時代の話らしいので昭和40年代の頃の話の記憶です。
それから更に時代が変り再びあけぼのが陸羽東線にやって来る時代が来ようとは。私はレールファン休業中だったので全く知らない事象でした。
首都圏ではどこかで人身事故などあると代替え輸送の案内があり、私鉄・JRの枠を越えて目的地までフリーでどの鉄道会社でも使えるので、大変便利です。ただ、私のような列車となりに所縁のある者ならばどこをどう乗れば目的地に着くか即座に頭の中でイメージしますが、一般の方はいろいろ情報を取り寄せなければならす面倒であり大変な事でしょう。そういった意味ではレールファン冥利につきますか。とはいえ、考えすぎて大回りしてみたくなって仕舞うのが「タマニキズ」ってやつですか。
陸羽東線のあけぼのはSL時代の話らしいので昭和40年代の頃の話の記憶です。
それから更に時代が変り再びあけぼのが陸羽東線にやって来る時代が来ようとは。私はレールファン休業中だったので全く知らない事象でした。
首都圏ではどこかで人身事故などあると代替え輸送の案内があり、私鉄・JRの枠を越えて目的地までフリーでどの鉄道会社でも使えるので、大変便利です。ただ、私のような列車となりに所縁のある者ならばどこをどう乗れば目的地に着くか即座に頭の中でイメージしますが、一般の方はいろいろ情報を取り寄せなければならす面倒であり大変な事でしょう。そういった意味ではレールファン冥利につきますか。とはいえ、考えすぎて大回りしてみたくなって仕舞うのが「タマニキズ」ってやつですか。
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あれも末期は583になったんですよね・・・
津軽はいつも下りばかり利用していたような???
あと、青森から帰る時、きたぐにで帰ってきたこともありますよ。ただ、米原で降りたのが、今にして思えば失敗だったかと・・・