サマーアクションシリーズ ・1983年東北の旅。もっと細かくリメイク版㉝
2018-11-25
さて、いよいよ「はくつる」が入線してきた。583系の寝台特急である。同僚の「ゆうづる」は客車バージョンと583系バージョンがあり常磐線経由であるが、こちらは東北本線経由である。そして583系といえば三段式の寝台で昼間は座席として利用するため構造が複雑で、座席から寝台に変える際の作業行程は非常に興味深い。作業員はかなり手間がかかる仕事になろうが、今の時代では考えられない程に非効率な作業であろう。

いよいよ帰郷の列車に乗る。最初で最後の「はくつる」の乗車は寝台上段でくつろいだ。上段だと寝ながら小窓が見れて、かなりリラックス出来る。今気がついたが、隣のホームに止まっている列車も583系ではないか!寝台としてなのか、座席としてなのか、583系は他の列車とは違う独特なオーラがある。
下段は一番広く値段も高いが、何たって最大の裏メニューは「パン下」と呼ばれる空間であろう。つまり上部にパンタグラフがある都合上、ベッドを三段にできず二段式になっているわけであるが、他のB寝台に比べ高さがあるので広い。そんなマニア情報を当時は知らず、単純に寝台特急に乗車出来るのが嬉しかった。
583系寝台特急では上段と中段は料金が同じであるのでダイナミック☆トナカイと「どっちにする?」みたいな感じであったが、寝台券購入の際に予め私は「上段」と決めてあった。特長としては中段よりやや高さがあるため広いのと、外の景色を見るため上段と中段には小窓が付いているが、上段では寝ながら小窓を見れるのが最大のメリットである。中段では座った状態で小窓が見れる高さにあるので少々体力がいる。しかも天井が低いのでストレスも感じる。既に私は1979年に乗車した寝台特急「ゆうづる」で中段を経験したので今回は最初から上段と決めていたのだ。狙いは見事に当たり寝ながら小窓を覗けるのがいい!中段のダイナミック☆トナカイ氏には申し訳ないが、私は上段でくつろがせていただいた。

画像はミックスマテリアル様提供の座席特急「みちのく」は上野駅での撮影であるが、恐らく「ゆうづる」や「はくつる」などの寝台特急とペアで運転されていた事であろう。583系の特徴を最大限に活用。
青森発の寝台特急「はくつる」は23時59分発であるから、あの青森駅の莫大な線路から解放される頃には既に日付が変わっている。そして1979年以来の寝台特急乗車にいささか興奮気味の私がいたが、先輩である私がその場を取り乱してはならない。私は先輩であるプライドから冷静さを装い上段ベッドで寛ぐ姿を後輩に見せなければならない。勿論、胸の内は興奮の雨霰だ。
「さて、やはり次は北海道かな・・・」
小窓から見える誰もいない薄暗いホームを一瞬で通過するシーンを何度も見つめながらそんな思いが込み上げてくる。ただ、来年の夏休みは高校生だから勉強しなくちゃなぁとか、20日「ワイド」を使っていくらかかるのかなぁとかいろいろな雑念も舞い込んでくる。といいながら、その2か月後に白糠線廃止情報を受け最初で最後の北海道国鉄時代の訪問をしてしまった。それまでは私にとって北海道とは高嶺の花であり、訪問には勇気がいる存在であった。だが、扉を開けてみれば素晴らしい世界があちこちに広がっていた。

2007年に会津若松に訪問した時偶然に停車していた快速「あいづ」。リニューアルされ外観はすっかり新車同様となっていたが、もちろん座席仕様の車内は当時の特急列車そのものであった。
そんな扉をこの東北の旅から僅か2ヶ月後に開けるとは全く想像すらしなかった。国鉄からJRに変わって既に30年以上経過したが、若い世代の中には「国鉄」という単語すら知らない者もいるであろう。そんな世代の若者達に私の旅はどのように映るのであろうか。
やはり旅は行けるタイミングが有る時は無理してでも行った方がいい。「あの時行けば良かったなぁ」という思いはしたくないし「いつか行こう」だといつ行けるかわからない。「この日に行く!」と決めてしまえば意外にスムーズに事は運ぶものだ。
鉄道にしかない旅がある。鉄道にしか出来ない旅がある。昔の自分を外から眺めていたらまた鉄道で旅がしたくなってきた。最近はレンタカーが主流となった私の旅だが、再び原点に帰ってみるのもいいだろう。
随分と長い「サマーアクションシリーズ」となってしまった。この記事がアップされる頃にはオータムどころか既にウインターになっているであろう。たった8日間の旅であったが、私にとっては人生の岐路となった旅と言っても過言ではない。「いつか行けたら」から更に進展し「旅に出る」という一歩踏み出す勇気は大切だし、そして踏み出せる環境があるのも幸せな事である。
「また旅をしよう」
最近はレンタカーが中心の旅が多いが、再び鉄道に拘った旅もしてみたくなった。次は何処へ行こうか・・・

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いよいよ帰郷の列車に乗る。最初で最後の「はくつる」の乗車は寝台上段でくつろいだ。上段だと寝ながら小窓が見れて、かなりリラックス出来る。今気がついたが、隣のホームに止まっている列車も583系ではないか!寝台としてなのか、座席としてなのか、583系は他の列車とは違う独特なオーラがある。
下段は一番広く値段も高いが、何たって最大の裏メニューは「パン下」と呼ばれる空間であろう。つまり上部にパンタグラフがある都合上、ベッドを三段にできず二段式になっているわけであるが、他のB寝台に比べ高さがあるので広い。そんなマニア情報を当時は知らず、単純に寝台特急に乗車出来るのが嬉しかった。
583系寝台特急では上段と中段は料金が同じであるのでダイナミック☆トナカイと「どっちにする?」みたいな感じであったが、寝台券購入の際に予め私は「上段」と決めてあった。特長としては中段よりやや高さがあるため広いのと、外の景色を見るため上段と中段には小窓が付いているが、上段では寝ながら小窓を見れるのが最大のメリットである。中段では座った状態で小窓が見れる高さにあるので少々体力がいる。しかも天井が低いのでストレスも感じる。既に私は1979年に乗車した寝台特急「ゆうづる」で中段を経験したので今回は最初から上段と決めていたのだ。狙いは見事に当たり寝ながら小窓を覗けるのがいい!中段のダイナミック☆トナカイ氏には申し訳ないが、私は上段でくつろがせていただいた。

画像はミックスマテリアル様提供の座席特急「みちのく」は上野駅での撮影であるが、恐らく「ゆうづる」や「はくつる」などの寝台特急とペアで運転されていた事であろう。583系の特徴を最大限に活用。
青森発の寝台特急「はくつる」は23時59分発であるから、あの青森駅の莫大な線路から解放される頃には既に日付が変わっている。そして1979年以来の寝台特急乗車にいささか興奮気味の私がいたが、先輩である私がその場を取り乱してはならない。私は先輩であるプライドから冷静さを装い上段ベッドで寛ぐ姿を後輩に見せなければならない。勿論、胸の内は興奮の雨霰だ。
「さて、やはり次は北海道かな・・・」
小窓から見える誰もいない薄暗いホームを一瞬で通過するシーンを何度も見つめながらそんな思いが込み上げてくる。ただ、来年の夏休みは高校生だから勉強しなくちゃなぁとか、20日「ワイド」を使っていくらかかるのかなぁとかいろいろな雑念も舞い込んでくる。といいながら、その2か月後に白糠線廃止情報を受け最初で最後の北海道国鉄時代の訪問をしてしまった。それまでは私にとって北海道とは高嶺の花であり、訪問には勇気がいる存在であった。だが、扉を開けてみれば素晴らしい世界があちこちに広がっていた。

2007年に会津若松に訪問した時偶然に停車していた快速「あいづ」。リニューアルされ外観はすっかり新車同様となっていたが、もちろん座席仕様の車内は当時の特急列車そのものであった。
そんな扉をこの東北の旅から僅か2ヶ月後に開けるとは全く想像すらしなかった。国鉄からJRに変わって既に30年以上経過したが、若い世代の中には「国鉄」という単語すら知らない者もいるであろう。そんな世代の若者達に私の旅はどのように映るのであろうか。
やはり旅は行けるタイミングが有る時は無理してでも行った方がいい。「あの時行けば良かったなぁ」という思いはしたくないし「いつか行こう」だといつ行けるかわからない。「この日に行く!」と決めてしまえば意外にスムーズに事は運ぶものだ。
鉄道にしかない旅がある。鉄道にしか出来ない旅がある。昔の自分を外から眺めていたらまた鉄道で旅がしたくなってきた。最近はレンタカーが主流となった私の旅だが、再び原点に帰ってみるのもいいだろう。
随分と長い「サマーアクションシリーズ」となってしまった。この記事がアップされる頃にはオータムどころか既にウインターになっているであろう。たった8日間の旅であったが、私にとっては人生の岐路となった旅と言っても過言ではない。「いつか行けたら」から更に進展し「旅に出る」という一歩踏み出す勇気は大切だし、そして踏み出せる環境があるのも幸せな事である。
「また旅をしよう」
最近はレンタカーが中心の旅が多いが、再び鉄道に拘った旅もしてみたくなった。次は何処へ行こうか・・・

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コメント
ダイヤモンド☆トナカイ様
にわか者様
コメントありがとうございます。
乗り鉄的なジャンルは今も健在みたいですが、我々世代の「いい旅チャレンジ20000km」みたいなハッキリした物がない現在、各々の「チャレンジ」が主流みたいですね。10年くらい前は横見浩彦氏の出現でややメジャーになった記憶ですが「乗り鉄」「撮り鉄」などの言葉も彼が広めた造語だった記憶です。
ある意味乗り鉄は世間的には地味な趣味でしょうから一般的にはあまり理解してもらえませんが、どこかの企業がJRとタイアップして「いい旅チャレンジ20000km」が再開されたら非常に嬉しいし再び日の目を浴びるかも知れませんね。
乗り鉄的なジャンルは今も健在みたいですが、我々世代の「いい旅チャレンジ20000km」みたいなハッキリした物がない現在、各々の「チャレンジ」が主流みたいですね。10年くらい前は横見浩彦氏の出現でややメジャーになった記憶ですが「乗り鉄」「撮り鉄」などの言葉も彼が広めた造語だった記憶です。
ある意味乗り鉄は世間的には地味な趣味でしょうから一般的にはあまり理解してもらえませんが、どこかの企業がJRとタイアップして「いい旅チャレンジ20000km」が再開されたら非常に嬉しいし再び日の目を浴びるかも知れませんね。
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楽しかったあの頃を思い出しましたよ。
ありがとうございました。
ところで、自分が撮りテツだからかもしれないですが、今や良きも悪きも撮りテツの話題は耳にするのですが、乗りテツはどうなんでしょうか???
特定の車両が無くなるとか、イベント列車が走るという時は、切符の争奪戦が始まるというのは聞きますが、我々がやっていた乗りつぶしはどうなんでしょうか???