TRYIN´ TO FIND MY WAY HOME ①
2019-01-10
室蘭本線の異様な姿を今の若いレールファンはどう感じるであろうか。「異様な」とは沼ノ端~岩見沢間の事を差すが、決して「おかしな列車か走っている」とか「その区間だけ異常に料金が高い」とか言っているのではない。ダイヤ的に長万部~沼ノ端間と、同じ室蘭本線を名乗る沼ノ端~岩見沢間とでは全く別の路線であるし室蘭本線全線を直通する列車は無い。

栗山は恐らく沿線大一の都市であろう。駅前は立派な広場になっていた。
レールファンならばこの事実が歴史的背景により現在に至る事は既に自身により解決済みであろうが、恐らく若いレールファンは実感がほとんど無いため伝説に過ぎず、現在目の当たりににする室蘭本線を感じる他無いであろう。私でさえ蒸気機関車が終焉したのが小学校入学したかしないかくらいであるから、石炭全盛期とは程遠い時代であるし、むしろ私はタラコ色や二色のDCが活躍する沿線で育ったためそちらの方が縁深い。そして湘南色の113系でよく東京方面へ撮影に行ったり旅に出れば地方ではDLやELが牽引する客車列車によく乗ったものなのでSL的な時代にはあまり縁がない。ただ、石炭全盛期時代に国鉄が活躍した事は興味があり、ある意味今日の鉄道網がそういった背景から成り立っている部分も考えると石炭と鉄道は切っても切れない縁である事がおわかりであろう。

早来より至近距離にある東追分信号場。かつて旅客営業駅として活躍していた事は若いレールファンでもご存知の事であろうが、周囲は牧場や畑に覆われ、旅客のみでの収入に頼るにはかなり辛い風景であった。現在はご覧の通り、中にも入れない。
特に室蘭本線は、苫小牧から先、旅客的には千歳線を経由し札幌に抜けるのがこれ順当で当り前の事項であろう。戸籍上通り岩見沢へ直通する列車ばかりであったら不便で仕方がない。しかしながら石炭輸送を頭に置いた場合、いかにこの室蘭本線が岩見沢からなのかが自ずとわかってくる。
海上輸送による石炭の積出港は手宮か室蘭が主流であったが、その名の通り室蘭から室蘭本線を岩見沢方面へたどっていくと追分で夕張線(現・石勝線)、志文で万字線、岩見沢から先深川で留萌本線、砂川で上砂川支線や歌志内線など・・・石炭採掘場が星の数ほどあるのにお分かりであろう。しかも夕張線は現在の石勝線の形ではなく、夕張支線がかつては本線であり清水沢では三菱石炭鉱業との接続もあったほど貨物が盛んであったのがお分かりいただけると思う。もちろん支線の登川などでも採掘されたが、現在の石勝線の形になったのは釧路方面への短絡線的意味での事で、石炭時代の構想とは全く別のものである。残念ながら私は「夕張線」を経験出来なかったが、石勝線(新夕張~新得)が開通した2年後に訪問する事に成功した。もちろん夕張にも出向いたが、そのときは既に石炭時代はとっくに終焉し、かつての盛栄は面影だけでしか感じる事ができなかった。

古山ではかつての盛栄が今も残る。列車本数こそ少ないものの、今も複線区間が健在であるが、完成したのは1968年と聞く。これは私が生まれる一年前の出来事で、既に石炭産業は衰退していた頃である。
そんな事を考えると室蘭本線野沼ノ端~岩見沢間が「本線」である事が納得できようと思う。果たして若いレールファンはどんな感覚でこの室蘭本線のこの区間を感じているのであろうか。確かに鉄道路線としてはある意味哀愁を感じる部分もあるし部分ながら複線区間もあるのが、列車本数を考えたら不思議な感じであろう。だが、レンタカーなどで外から鉄道を見てみると、意外にも沿線各地は「人の暮らし」が多い事に気づく。ある意味この事がこの区間を廃止しないJR北海道の思いなのかも知れない。もちろん経営的に「黒」とは言えないであろうが・・・

そして志文ではかつて万字線が分岐していた。終点の万字炭山は文字通りかつての盛栄を象徴する駅でもあったが、現在駅前は完全にゴーストタウンとなってしまった。
非電化の複線区間は全国でも珍しい部類になるが、岩見沢~苫小牧間の駅を見ているとかつてのSL風景が目に浮かんでくる。もちろん私自身その時代の経験は無いが、JRになっても駅舎がモダンになってもそう見えてくるから不思議だ。次章からはそんな不思議な駅をピックアップして謎を解いてみたい。

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栗山は恐らく沿線大一の都市であろう。駅前は立派な広場になっていた。
レールファンならばこの事実が歴史的背景により現在に至る事は既に自身により解決済みであろうが、恐らく若いレールファンは実感がほとんど無いため伝説に過ぎず、現在目の当たりににする室蘭本線を感じる他無いであろう。私でさえ蒸気機関車が終焉したのが小学校入学したかしないかくらいであるから、石炭全盛期とは程遠い時代であるし、むしろ私はタラコ色や二色のDCが活躍する沿線で育ったためそちらの方が縁深い。そして湘南色の113系でよく東京方面へ撮影に行ったり旅に出れば地方ではDLやELが牽引する客車列車によく乗ったものなのでSL的な時代にはあまり縁がない。ただ、石炭全盛期時代に国鉄が活躍した事は興味があり、ある意味今日の鉄道網がそういった背景から成り立っている部分も考えると石炭と鉄道は切っても切れない縁である事がおわかりであろう。

早来より至近距離にある東追分信号場。かつて旅客営業駅として活躍していた事は若いレールファンでもご存知の事であろうが、周囲は牧場や畑に覆われ、旅客のみでの収入に頼るにはかなり辛い風景であった。現在はご覧の通り、中にも入れない。
特に室蘭本線は、苫小牧から先、旅客的には千歳線を経由し札幌に抜けるのがこれ順当で当り前の事項であろう。戸籍上通り岩見沢へ直通する列車ばかりであったら不便で仕方がない。しかしながら石炭輸送を頭に置いた場合、いかにこの室蘭本線が岩見沢からなのかが自ずとわかってくる。
海上輸送による石炭の積出港は手宮か室蘭が主流であったが、その名の通り室蘭から室蘭本線を岩見沢方面へたどっていくと追分で夕張線(現・石勝線)、志文で万字線、岩見沢から先深川で留萌本線、砂川で上砂川支線や歌志内線など・・・石炭採掘場が星の数ほどあるのにお分かりであろう。しかも夕張線は現在の石勝線の形ではなく、夕張支線がかつては本線であり清水沢では三菱石炭鉱業との接続もあったほど貨物が盛んであったのがお分かりいただけると思う。もちろん支線の登川などでも採掘されたが、現在の石勝線の形になったのは釧路方面への短絡線的意味での事で、石炭時代の構想とは全く別のものである。残念ながら私は「夕張線」を経験出来なかったが、石勝線(新夕張~新得)が開通した2年後に訪問する事に成功した。もちろん夕張にも出向いたが、そのときは既に石炭時代はとっくに終焉し、かつての盛栄は面影だけでしか感じる事ができなかった。

古山ではかつての盛栄が今も残る。列車本数こそ少ないものの、今も複線区間が健在であるが、完成したのは1968年と聞く。これは私が生まれる一年前の出来事で、既に石炭産業は衰退していた頃である。
そんな事を考えると室蘭本線野沼ノ端~岩見沢間が「本線」である事が納得できようと思う。果たして若いレールファンはどんな感覚でこの室蘭本線のこの区間を感じているのであろうか。確かに鉄道路線としてはある意味哀愁を感じる部分もあるし部分ながら複線区間もあるのが、列車本数を考えたら不思議な感じであろう。だが、レンタカーなどで外から鉄道を見てみると、意外にも沿線各地は「人の暮らし」が多い事に気づく。ある意味この事がこの区間を廃止しないJR北海道の思いなのかも知れない。もちろん経営的に「黒」とは言えないであろうが・・・

そして志文ではかつて万字線が分岐していた。終点の万字炭山は文字通りかつての盛栄を象徴する駅でもあったが、現在駅前は完全にゴーストタウンとなってしまった。
非電化の複線区間は全国でも珍しい部類になるが、岩見沢~苫小牧間の駅を見ているとかつてのSL風景が目に浮かんでくる。もちろん私自身その時代の経験は無いが、JRになっても駅舎がモダンになってもそう見えてくるから不思議だ。次章からはそんな不思議な駅をピックアップして謎を解いてみたい。

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