TRYIN’ TO FIND MY WAY HOME 番外編 東追分
2019-01-25

既に紹介しているが、現在の東追分はこんな感じである。石勝線の象徴でもある「スノーシェルター」「スノーシェード」は1基1億ほどするらしい。
今回の主題から外れる形になるが、早来から至近距離にあるので今回の旅の途中で番外的に立ち寄ってみた。なるほど、信号場としては何ら問題ない立地条件であるが、旅客営業で銭儲けをするにはかなりの苦労が素人でもわかるような風景であった。周囲は特に酪農が盛んなようで、もちろん貨物営業があればそれなりに利益が産まれている事であろう。だが時代は変わり、鉄道での貨物輸送はあまり一般的では無くなってしまった。
東追分は石勝線にあるが、現役時代は交換設備のある2面2線の駅であった。夕張線時代は棒線型の典型的な無人駅であったのである意味「出世」したかのように思えたが、現在は信号場に降格。そして石勝線の他の一部の駅も信号場などに降格してしまった。過疎化が厳しい立地条件の中を営業している事になるが、石勝線開通時は、当時の鉄道技術を惜しみなく投入し「日本の鉄道はここまで来たか!」という印象を与えた斬新な開業であった。あれから30年以上経過した現在でもその設備は活かされているが、なにせ沿線人口の減少やバブルの崩壊で「石勝高原」も全盛期に比べ厳しい現実であろう事からわかるように、将来的に石勝線は特急列車しか運転されなくなる日が来るのかも知れない。
かつては追分を介して室蘭本線を経由し石炭輸送で盛栄を得ていたが、その役割も終え、釧路への短絡線という新しい役割を果たす夕張線改め石勝線は、私にとってはある意味特殊であり特異でもあるのが私を惹きつける一番の理由であろう。
イモムシ型のスノーシェルターは日本全国探しても石勝線が唯一であろうかも知れないが、私が日本の鉄道路線で一番好きな石勝線は、形は変われど今もこうして生きていてくれている事が一番嬉しい思いである。

この先に東追分がある。冬季には強い味方である防雪林に囲まれた東追分であるが、旅客ホームがなくなってしまった現在、何となく殺風景になってしまった印象であった。




ちょっと別の角度から東追分を散策してみた。どこに駅があるかお分かりであろうか?

既にホームは撤去され完全なる信号場となってしまった東追分。かつてのRJ誌に石勝線開通時に特集が組まれたが、夕張線時代の東追分の写真が掲載されていたのが印象的であった。

駅はなくなってしまったが信号場として残る東追分。こうして見てみると単なる風景写真にしか見えないが、されど石勝線でもある意味いろいろなドラマが現在進行形で凝縮されている。我々は見守ることしかできないのであろうか・・・

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