2013年、北陸大人旅②
2019-08-05
上越新幹線「Max」で新潟に向かう私は、初めて乗車する越後湯沢~新潟間に胸ワクワクであった。何しろ開業当時の1982年11月15日以来の夢であった。ただ、開業当時からという事は、訪問当時で2013年。既に30年以上経過していた事になる。「10年ひと昔」の勘定だと既に「3」的な数字が舞い込んでくる。もちろんその間に時代は大きく変わり車両や駅の更新もなされ開業当時とは大きく異なる部分もあろう。そんな時代の変化も肌で感じる事ができる事に感謝したい思いだが、それより何よりこの時代に私を産んでくれた親に感謝であろう。と、私の存在意義まで触れてしまった今回の旅であるが、とにかく越後湯沢から先の上越新幹線を制覇しなければ、1980年~1990年まで開催された「いい旅チャレンジ20000km」のキャンペーンに対する自身の落とし前に片が付かない。既に時は2013年であるが、その落とし前を「とき」で決着をつけるのも悪くない。そんな事を考えながら私は「青春18」では味わえなかった新幹線の座席で、出発前にスーパーで購入した酎ハイを堪能しながら「米処」を目指した。

将来的に「過去の遺産」となってしまおう「Max」であるが、レギュラーとして乗車できた事はある意味貴重な体験として未来に残っていく事であろう。
新潟まで新幹線を乗れば私的には上越新幹線全線制覇であるが、実は今回も旅に参加した妻がいる。ただ、妻に関してはレールファンでもなく「いい旅チャレンジ」には全く関心もないし関係ないし関与しない立場のため、長岡で下車してもらい喫茶店ででも待っていてもらう事にした。理由はシンプルだ。北陸フリーきっぷは越後湯沢か長岡で在来線の乗り換えを条件としている。私のような「新潟経由」みたいなわがままをいう奴のために切符のルールを設定していない。と言うか、新潟まで行くのは私一人でいいわけだから、正規料金を別途支払うのなら私一人で充分!妻には長岡で降りてもらい、切符のルールにそむく私など単独で新潟へ向かえばそれでいい!そんなJR東の無言の挑戦状に、私はあえてそれを受ける事にした。

北陸新幹線が開通して、将来的に上越新幹線はどのように変化していくのであろう。「羽越新幹線」は、フル規格ではなくてもある意味実現出来そうな雰囲気であるが、もし実現すれば鶴岡、酒田などは飛躍的に利便性が高まる事であろう。
長岡の新幹線ホームは通過用の側線と相対式ホームのみのシンプルな構造だ。新潟県第二の都市の駅にしては何か物足りない印象である。だがそんな長岡にも果たせずにいる夢があった。それは、上越新幹線を敷設させるきっかけを作った、かつて日本の総理大臣であった人物の構想では、新潟から先「羽越新幹線」として延伸する際に長岡を2面6線にして待避可能とする計画があった。そしてその名残が今でも「幻の13番線」としても見受けられる事ができるのだ。浦佐や長岡の駅を見るたびに私は「角栄」に見えて仕方がない。まさに「象徴」であろう。

長岡駅は、ある意味「元総理」の象徴のように見えるのは私だけであろうか。「元首相」の思いが沢山鏤められている事を感じ取る事が出来る駅は、ある意味素晴らしい。
そんな「象徴」的な聖地に、私は自身の都合で妻を長岡に置き去りにし新潟から戻ってきたわけであるが、そんな罪作りな私は妻を駅構内の喫茶店から連れ出し、在来線ホームより特急「北越」に生まれて初めて乗車して金沢に向かった。私自身、レールファン全盛期であった1970年~1980年代ではあまり縁が無かった北陸地方に、こうして近年になって訪れる機会が増えてきた事は実に素晴らしく幸せであろう。もちろん、新幹線が開通したり北陸本線の一部が第三セクターに転換されたりした出来事は、昭和的レールファンである私には、あまり想像つかなく、想像を絶する出来事が現実になっているのは、なんとも言えぬ時代を感じるものだ。だが、こうして時代の変化を感じることができる事も幸せな事であろう。私は更に北陸の旅を極めるべく、未体験ゾーンの「私鉄」を目指し、車窓から日本海の荒波の感触を確かめていた。


人生初体験の「北越」は長岡から乗車した。車両的には、調べてみたら私が国鉄時代から馴染みのある485系の改造車である事は実に驚かされた。もちろん、レールファンの皆様にとっては何ら大した事の無い「一般常識」であろうが、当時の私にとって、23年のレールファンブランクはこうしたところに随所に出現していた。

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将来的に「過去の遺産」となってしまおう「Max」であるが、レギュラーとして乗車できた事はある意味貴重な体験として未来に残っていく事であろう。
新潟まで新幹線を乗れば私的には上越新幹線全線制覇であるが、実は今回も旅に参加した妻がいる。ただ、妻に関してはレールファンでもなく「いい旅チャレンジ」には全く関心もないし関係ないし関与しない立場のため、長岡で下車してもらい喫茶店ででも待っていてもらう事にした。理由はシンプルだ。北陸フリーきっぷは越後湯沢か長岡で在来線の乗り換えを条件としている。私のような「新潟経由」みたいなわがままをいう奴のために切符のルールを設定していない。と言うか、新潟まで行くのは私一人でいいわけだから、正規料金を別途支払うのなら私一人で充分!妻には長岡で降りてもらい、切符のルールにそむく私など単独で新潟へ向かえばそれでいい!そんなJR東の無言の挑戦状に、私はあえてそれを受ける事にした。

北陸新幹線が開通して、将来的に上越新幹線はどのように変化していくのであろう。「羽越新幹線」は、フル規格ではなくてもある意味実現出来そうな雰囲気であるが、もし実現すれば鶴岡、酒田などは飛躍的に利便性が高まる事であろう。
長岡の新幹線ホームは通過用の側線と相対式ホームのみのシンプルな構造だ。新潟県第二の都市の駅にしては何か物足りない印象である。だがそんな長岡にも果たせずにいる夢があった。それは、上越新幹線を敷設させるきっかけを作った、かつて日本の総理大臣であった人物の構想では、新潟から先「羽越新幹線」として延伸する際に長岡を2面6線にして待避可能とする計画があった。そしてその名残が今でも「幻の13番線」としても見受けられる事ができるのだ。浦佐や長岡の駅を見るたびに私は「角栄」に見えて仕方がない。まさに「象徴」であろう。

長岡駅は、ある意味「元総理」の象徴のように見えるのは私だけであろうか。「元首相」の思いが沢山鏤められている事を感じ取る事が出来る駅は、ある意味素晴らしい。
そんな「象徴」的な聖地に、私は自身の都合で妻を長岡に置き去りにし新潟から戻ってきたわけであるが、そんな罪作りな私は妻を駅構内の喫茶店から連れ出し、在来線ホームより特急「北越」に生まれて初めて乗車して金沢に向かった。私自身、レールファン全盛期であった1970年~1980年代ではあまり縁が無かった北陸地方に、こうして近年になって訪れる機会が増えてきた事は実に素晴らしく幸せであろう。もちろん、新幹線が開通したり北陸本線の一部が第三セクターに転換されたりした出来事は、昭和的レールファンである私には、あまり想像つかなく、想像を絶する出来事が現実になっているのは、なんとも言えぬ時代を感じるものだ。だが、こうして時代の変化を感じることができる事も幸せな事であろう。私は更に北陸の旅を極めるべく、未体験ゾーンの「私鉄」を目指し、車窓から日本海の荒波の感触を確かめていた。


人生初体験の「北越」は長岡から乗車した。車両的には、調べてみたら私が国鉄時代から馴染みのある485系の改造車である事は実に驚かされた。もちろん、レールファンの皆様にとっては何ら大した事の無い「一般常識」であろうが、当時の私にとって、23年のレールファンブランクはこうしたところに随所に出現していた。

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