2020年・謹賀新年ご挨拶
2020-01-01
新年、あけましておめでとうございます。今年も「鉄道全線完全制覇の旅」をよろしくお願いいたします。
さて、年は明け、いよいよ今年は2020年。東海道新幹線が開通した昭和39年以来、オリンピックが日本で、しかも東京で開催されるという記念すべき年である。
東京オリンピック・・・若い世代ならともかく、私の世代でも昭和39年のオリンピックは全く分からない・・・生まれてないし~みたいな世代である。
両親や知人に聞いた限りではあるが、当時のオリンピックは相当に爆発的に盛り上がったそうだ!日本の高度経済成長時代。常に前年比130%以上(かどうかは分からないが)的売上が当り前的な世の中。日本中が湧いて沸いて盛り上がっていた時代であろう。

ある意味毎年恒例となった「ダイナミック✩トナカイ」の画像を今年も紹介しよう。こちらはご覧の通り1980年代の常磐線特急である。上野の2階ホームであるが・・・上野といえば立ち食いそばがうまい!というか、この昭和時代のそれは現在のそれとひと味違っていたような気もするが・・・
周知の通り、それに併せて東海道新幹線が昭和39年10月1日に開通して東京から大阪間の所要時間がそれまでの半分になり日帰りが可能になった!これは、例えるならTOKIOに木村拓哉が、いや、東幹久や的場浩司(いわゆる助さん・格さん?)が加入したと想定したくらい凄い出来事であった!実にカルチャーショック!実に超非現実的。江戸時代に北斗の拳のケンシロウが「世紀末救世主」として君臨したと仮定した場合・・・くらい凄い事であろう。
余談ではあるが、私もとうとう「フルムーン」の適用年齢に、いつのまにかなってしまった事をつい最近になって気付くのが複雑な印象だったが・・・

稲毛のホーム先端で撮影した房総特急である。この撮影時、私は中学2年生であったが、ダイナミック✩トナカイは新入生として「鉄道研究クラブ」に入部してきた。そして房総急行がそろそろ全廃されるとの情報が流れ出した頃であった。
さて、昨年の10月であったろうか、私はあるドラマを視て「ハッ」と思わされた。
それはCSで放送された「鉄道警察官」というサスペンスドラマであったが、そのワンシーンで犯人がこんな台詞を言った。
要約すると「鉄道ファンはいつも孤独だ」「鉄道趣味とは所有できないから常に幻想を描いている」
確かこんな感じだった。
そう、私はいつも孤独だった。唯一中学校時代は「鉄道研究クラブ」に所属し仲間がたくさんいたが、先輩達は新入部員の私たちに「正直、こんなに入ってくると思わなかった」と漏らしていた。もちろん、当時の顧問であった教諭も驚いていた事だろう。その割には部活の場にほとんど姿を現さなかったのだが・・・
私の記憶だとそれまでは確か部員が3名~4名と聞いた。私の学年では恐らく10名以上いたであろう。だから先輩は泡食った状態だったと思われる。
確かに私の学年で一気に部員が増えて、それこそ野球部やサッカー部には及ばないものの、若干ながらメジャーデビューを果たした印象であった。そして、その中で私は年に4回発行する季刊紙班の編集長として君臨した。

時期を同じくしてこちらも常磐線特急の別バージョン。上野での撮影であるが、1980年代の上野は休みなく各方面からバラエティに富んだ列車が発着し飽きる事は無かった。しかも夜に関してはブルートレインも加わり、当時の私にしてみたら「上野の夜」は遥かなる夢であった!
だが、それまでの時代は部員3名くらいの孤独な活動であったのだから、先輩たちもとりわけ地味な活動であったろう。人数が多ければいいとか少ないから良くないとかではないが、やはりそこには「孤独」というキーワードが存在した。
中学卒業以降はレールファンというのがいかに特殊かということを思い知らされる訳であるが、そんな背景からも私が音楽の道を歩いた要因のひとつだったかも知れないと今になって思う。

撮影場所は不明であるが、文字通り信越線の特急である。右側は現在も新幹線の愛称で親しまれているが、左のネーミングは実に懐かしい!確か上野~中軽井沢間の臨時(季節)列車であった記憶だが・・・
確かに鉄道趣味は簡単に所有できる事では無いし頭の中で常に空想の鉄道を描いていた事は納得する。増して列車の走行音に興味を持つなど、一般的には考えられない「道楽」であろう。
私も半世紀を数える年齢になり、何となく「余命」みたいな事を真剣に考えるようになってきた。昔ならそんなことは全く考えなかったのだが、最近になって出来るうちにやりたい事はやれる時にやった方が良いと肌で感じるようになった。

最後は雷鳥である。景色的に大阪であろうと推測するが・・・何となく上野と勘違いしてしまいそうな風景である。この当時では考えられなかった北陸新幹線が、現在は将来的に福井まで延伸されようとしている。時代も変わったものだ~
今はインターネットの時代。クリックひとつでほぼやりたい事はできる時代だ。部屋にいる時は孤独かも知れないが、クリックするとそこは沢山の仲間たちがいる。所有こそできないものの、沢山の鉄道仲間が自身の熱い思いをぶつけている。
かつての「鉄道ジャーナル」にあった「タブレット」や「旅と鉄道」にあった「汽車旅相談室」などのように限られたコミニュケーションスペースで自分の思いをぶつける時代ではない。100人居れば100通りの鉄道がある。
そんな世の中である次の世代の鉄道シーンはいったいどのような変化をしているのであろうか。もしかして今年はそんな鉄道シーンのプロローグが聞けるかも知れない。
この記事の写真は全てダイナミック✩トナカイの提供です。

FC2 Blog Ranking

にほんブログ村

にほんブログ村
さて、年は明け、いよいよ今年は2020年。東海道新幹線が開通した昭和39年以来、オリンピックが日本で、しかも東京で開催されるという記念すべき年である。
東京オリンピック・・・若い世代ならともかく、私の世代でも昭和39年のオリンピックは全く分からない・・・生まれてないし~みたいな世代である。
両親や知人に聞いた限りではあるが、当時のオリンピックは相当に爆発的に盛り上がったそうだ!日本の高度経済成長時代。常に前年比130%以上(かどうかは分からないが)的売上が当り前的な世の中。日本中が湧いて沸いて盛り上がっていた時代であろう。

ある意味毎年恒例となった「ダイナミック✩トナカイ」の画像を今年も紹介しよう。こちらはご覧の通り1980年代の常磐線特急である。上野の2階ホームであるが・・・上野といえば立ち食いそばがうまい!というか、この昭和時代のそれは現在のそれとひと味違っていたような気もするが・・・
周知の通り、それに併せて東海道新幹線が昭和39年10月1日に開通して東京から大阪間の所要時間がそれまでの半分になり日帰りが可能になった!これは、例えるならTOKIOに木村拓哉が、いや、東幹久や的場浩司(いわゆる助さん・格さん?)が加入したと想定したくらい凄い出来事であった!実にカルチャーショック!実に超非現実的。江戸時代に北斗の拳のケンシロウが「世紀末救世主」として君臨したと仮定した場合・・・くらい凄い事であろう。
余談ではあるが、私もとうとう「フルムーン」の適用年齢に、いつのまにかなってしまった事をつい最近になって気付くのが複雑な印象だったが・・・

稲毛のホーム先端で撮影した房総特急である。この撮影時、私は中学2年生であったが、ダイナミック✩トナカイは新入生として「鉄道研究クラブ」に入部してきた。そして房総急行がそろそろ全廃されるとの情報が流れ出した頃であった。
さて、昨年の10月であったろうか、私はあるドラマを視て「ハッ」と思わされた。
それはCSで放送された「鉄道警察官」というサスペンスドラマであったが、そのワンシーンで犯人がこんな台詞を言った。
要約すると「鉄道ファンはいつも孤独だ」「鉄道趣味とは所有できないから常に幻想を描いている」
確かこんな感じだった。
そう、私はいつも孤独だった。唯一中学校時代は「鉄道研究クラブ」に所属し仲間がたくさんいたが、先輩達は新入部員の私たちに「正直、こんなに入ってくると思わなかった」と漏らしていた。もちろん、当時の顧問であった教諭も驚いていた事だろう。その割には部活の場にほとんど姿を現さなかったのだが・・・
私の記憶だとそれまでは確か部員が3名~4名と聞いた。私の学年では恐らく10名以上いたであろう。だから先輩は泡食った状態だったと思われる。
確かに私の学年で一気に部員が増えて、それこそ野球部やサッカー部には及ばないものの、若干ながらメジャーデビューを果たした印象であった。そして、その中で私は年に4回発行する季刊紙班の編集長として君臨した。

時期を同じくしてこちらも常磐線特急の別バージョン。上野での撮影であるが、1980年代の上野は休みなく各方面からバラエティに富んだ列車が発着し飽きる事は無かった。しかも夜に関してはブルートレインも加わり、当時の私にしてみたら「上野の夜」は遥かなる夢であった!
だが、それまでの時代は部員3名くらいの孤独な活動であったのだから、先輩たちもとりわけ地味な活動であったろう。人数が多ければいいとか少ないから良くないとかではないが、やはりそこには「孤独」というキーワードが存在した。
中学卒業以降はレールファンというのがいかに特殊かということを思い知らされる訳であるが、そんな背景からも私が音楽の道を歩いた要因のひとつだったかも知れないと今になって思う。

撮影場所は不明であるが、文字通り信越線の特急である。右側は現在も新幹線の愛称で親しまれているが、左のネーミングは実に懐かしい!確か上野~中軽井沢間の臨時(季節)列車であった記憶だが・・・
確かに鉄道趣味は簡単に所有できる事では無いし頭の中で常に空想の鉄道を描いていた事は納得する。増して列車の走行音に興味を持つなど、一般的には考えられない「道楽」であろう。
私も半世紀を数える年齢になり、何となく「余命」みたいな事を真剣に考えるようになってきた。昔ならそんなことは全く考えなかったのだが、最近になって出来るうちにやりたい事はやれる時にやった方が良いと肌で感じるようになった。

最後は雷鳥である。景色的に大阪であろうと推測するが・・・何となく上野と勘違いしてしまいそうな風景である。この当時では考えられなかった北陸新幹線が、現在は将来的に福井まで延伸されようとしている。時代も変わったものだ~
今はインターネットの時代。クリックひとつでほぼやりたい事はできる時代だ。部屋にいる時は孤独かも知れないが、クリックするとそこは沢山の仲間たちがいる。所有こそできないものの、沢山の鉄道仲間が自身の熱い思いをぶつけている。
かつての「鉄道ジャーナル」にあった「タブレット」や「旅と鉄道」にあった「汽車旅相談室」などのように限られたコミニュケーションスペースで自分の思いをぶつける時代ではない。100人居れば100通りの鉄道がある。
そんな世の中である次の世代の鉄道シーンはいったいどのような変化をしているのであろうか。もしかして今年はそんな鉄道シーンのプロローグが聞けるかも知れない。
この記事の写真は全てダイナミック✩トナカイの提供です。

FC2 Blog Ranking

にほんブログ村

にほんブログ村
スポンサーサイト
コメント
libertyrail樣
遅れ馳せながら
新年あけましておめでとうございます。
昨年の12月22日以来新年3日まで連勤で、しかも昨日は風邪で寝込んでしまってたためレスが遅れた事お詫び申し上げます。
インフルエンザではないと思われるだけでも助かってますが、新年早々健康ってつくづくいいなと改めて思わされました。
今年はいよいよ東京オリンピック。約56年前にも東京オリンピックでしたね。私はまだ産まれてませんが、東海道新幹線が開通し日本中が盛り上がった事でしょう。
さて今年はどんな鉄道の話題が待っている事でしょう。新幹線のようなセンセーショナルな話題を提供してほしいですね。
今年もよろしくお願いいたします。
新年あけましておめでとうございます。
昨年の12月22日以来新年3日まで連勤で、しかも昨日は風邪で寝込んでしまってたためレスが遅れた事お詫び申し上げます。
インフルエンザではないと思われるだけでも助かってますが、新年早々健康ってつくづくいいなと改めて思わされました。
今年はいよいよ東京オリンピック。約56年前にも東京オリンピックでしたね。私はまだ産まれてませんが、東海道新幹線が開通し日本中が盛り上がった事でしょう。
さて今年はどんな鉄道の話題が待っている事でしょう。新幹線のようなセンセーショナルな話題を提供してほしいですね。
今年もよろしくお願いいたします。
コメントの投稿
トラックバック
この記事へのトラックバックURL
http://4190koawazay.blog.fc2.com/tb.php/853-b424a776
今年も昔懐かし鉄道写真を織り混ぜたお話を聞けることを
楽しみにしオリンピックが開催される節目の1年になりますね。
新しい年、新しい年代に入りましたが
去年は個人的にも辛い1年でしたので
新たな気持ちで行きたいと考えてます。
今年も旧年と変わらぬご愛顧よろしくお願いいたします。