「西寒川駅」に拘る!⑥
2013-01-18
「西寒川駅」に拘る!はいかがだったでしょうか?私が最も好きな駅であり最も愛した駅でもあった。丹波〇郎氏を「霊界の宣伝マン」とするならば、私は「西寒川駅の宣伝マン」とでも言おうか。
国鉄相模線(当時)の寒川より枝分かれした1.5kmの路線は、数々の変遷の中、昭和59年にこの世を去った。私は中学から高校へのステップの時期でもあった。そして、高校2年の時に西寒川駅前の自宅から、同じく相模線の倉見駅付近に引っ越した。
あれだけ好きだった鉄道もちょうどこの時期に休止状態に入る。なぜ私は鉄道から離れたのであろう?あるとき自分に問うた。恐らく、もし鉄道ファンを続けていたならば、列車の来ない駅を毎日眺めなければならない・・・そして西寒川駅の取り壊し作業をカメラに収めたりしなければならない。恐らくそれがあまりに寂しく、つらかったのであろう。
私は鉄道以外の趣味を「音楽」と位置付けた。ギターやベースなどに打ち込み、バンド活動もした。所属したバンドでは、2枚目のアルバムで楽曲提供などもした。今ではいい思い出だが鉄道ほどのめり込むほどの楽しさは無かった。
運命とは皮肉なもので、そのバンド活動で知り合った元メンバーが提供してくれた秘境駅関係の書籍がきっかけとなり、今こうして鉄道と向かい合う日が再び訪れた。そのブランク、なんと20年!
20年も経つと「10年ひと昔」の勘定で言えばふた昔。取り巻く環境はことごとく変化していて、私のような古い考えなどは、とてもついていけなかった。しかし、ちょっと足を止めてみると、私のかつて好きだった「風景」が所々に現れる。485系や24系など、現在も活躍しているではないか!
そして「あれから」20年後に再び「西寒川駅」を訪れてみた。同時に「自宅」も訪ねてみた。元自宅については、もちろん他の人の住まいになっているが、すっかりリフォームされてかつての面影はない。そして「駅」に行ってみる。厳密に言えば「駅」が先に来るのだが、とりあえず文面の構成上、許していただこう。20年振りの「駅」はなんとなく面影はあるものの、すっかり「公園」として機能していた。そしてすぐ近くには高速道路の建設作業が眺められた。自宅付近含め「新しくなった景色」になかなか馴染めなかったが、確かにこの地に私は住み、そして西寒川駅と共に約9年の義務教育時代を過ごした。
だが、駅が駅でなくなってしまった現実は変わらない。相模線の「本線」は現在電化された。もし廃止されずに残っていたら、寒川支線は電化されたのであろうか?もちろん結果は分かっている。
今、あなたは西寒川駅についてどのような印象をお持ちであろう?「行ったことない」「神奈川県にあった駅とは思えない」等、意見は様々であろう。私はこれからも「西寒川駅」に強いこだわりを持ち、「西寒川駅」を伝えていく。そしてあなたが私のメッセージを受けて「西寒川駅」について何かを感じてくれた時、もしかしたらあなたは「八角広場」の前に立っているかも知れない。


にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村
国鉄相模線(当時)の寒川より枝分かれした1.5kmの路線は、数々の変遷の中、昭和59年にこの世を去った。私は中学から高校へのステップの時期でもあった。そして、高校2年の時に西寒川駅前の自宅から、同じく相模線の倉見駅付近に引っ越した。
あれだけ好きだった鉄道もちょうどこの時期に休止状態に入る。なぜ私は鉄道から離れたのであろう?あるとき自分に問うた。恐らく、もし鉄道ファンを続けていたならば、列車の来ない駅を毎日眺めなければならない・・・そして西寒川駅の取り壊し作業をカメラに収めたりしなければならない。恐らくそれがあまりに寂しく、つらかったのであろう。
私は鉄道以外の趣味を「音楽」と位置付けた。ギターやベースなどに打ち込み、バンド活動もした。所属したバンドでは、2枚目のアルバムで楽曲提供などもした。今ではいい思い出だが鉄道ほどのめり込むほどの楽しさは無かった。
運命とは皮肉なもので、そのバンド活動で知り合った元メンバーが提供してくれた秘境駅関係の書籍がきっかけとなり、今こうして鉄道と向かい合う日が再び訪れた。そのブランク、なんと20年!
20年も経つと「10年ひと昔」の勘定で言えばふた昔。取り巻く環境はことごとく変化していて、私のような古い考えなどは、とてもついていけなかった。しかし、ちょっと足を止めてみると、私のかつて好きだった「風景」が所々に現れる。485系や24系など、現在も活躍しているではないか!
そして「あれから」20年後に再び「西寒川駅」を訪れてみた。同時に「自宅」も訪ねてみた。元自宅については、もちろん他の人の住まいになっているが、すっかりリフォームされてかつての面影はない。そして「駅」に行ってみる。厳密に言えば「駅」が先に来るのだが、とりあえず文面の構成上、許していただこう。20年振りの「駅」はなんとなく面影はあるものの、すっかり「公園」として機能していた。そしてすぐ近くには高速道路の建設作業が眺められた。自宅付近含め「新しくなった景色」になかなか馴染めなかったが、確かにこの地に私は住み、そして西寒川駅と共に約9年の義務教育時代を過ごした。
だが、駅が駅でなくなってしまった現実は変わらない。相模線の「本線」は現在電化された。もし廃止されずに残っていたら、寒川支線は電化されたのであろうか?もちろん結果は分かっている。
今、あなたは西寒川駅についてどのような印象をお持ちであろう?「行ったことない」「神奈川県にあった駅とは思えない」等、意見は様々であろう。私はこれからも「西寒川駅」に強いこだわりを持ち、「西寒川駅」を伝えていく。そしてあなたが私のメッセージを受けて「西寒川駅」について何かを感じてくれた時、もしかしたらあなたは「八角広場」の前に立っているかも知れない。


にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村
スポンサーサイト
コメント
コメントの投稿
トラックバック
この記事へのトラックバックURL
http://4190koawazay.blog.fc2.com/tb.php/86-7eccb389