2013年、北陸大人旅⑨
2019-09-10
かつては輪島まで七尾線を名乗っていたのと鉄道の列車に乗り換える。現在、法規上では和倉温泉までがJRであるが、七尾にのと鉄道の列車乗り場があるのを考えると、実質七尾がのと鉄道の起点といっても過言ではないであろう。いずれにしてものと鉄道はもともと国鉄七尾線なので、私としては和倉温泉や七尾で境界線を作ってしまうのは非常に心苦しい思い印象であった。だが、私の理想と経営的現実との差は、いや、地元の方も私と同じ思いであろうと思われるかもしれないが、やはり輪島・蛸島から金沢方面へ同一会社の鉄道路線の方が良いに決まっている。だが、現実七尾を境に経営的数値が異なるのであれば、やはり経営者からすれば分割して考えるのは当然の事であろう。

和倉温泉から先はのと鉄道に移管され現在に至るが、所々に「国鉄」が顔を出す。ここ田鶴浜もそのひとつ。意外にも立派な造りであるが「建具の街」とはこの時初めて知った。
和倉温泉が法規上の境界線とは言え、和倉温泉にはのと鉄道専用乗り場や別途改札があるわけではない。この事ひとつ取ってもJRの、そして地元の方々の思いが複雑に秘められている事がお分かりいただけると思う。残念だったのは、私が国鉄時代にこの七尾線を訪問できなかった事。輪島わもちろん、蛸島方面へも国鉄時代に訪問してみたかった。もちろんのと鉄道に転換されてからも。さぞかし素敵な風景であったろう・・・
列車で訪れる七尾線はそれほど新鮮であった。そして七尾で乗り換えるのと鉄道も、穴水までに生ってしまったとはいえ、未だ健在なのは嬉しい。何だかんだ言いながら、今の七尾線、そしてのと鉄道を「国鉄七尾線」として楽しんでやろう!としている事に気づかされている自分がそこにいた。

穴水は今も国鉄時代の面影を残す。ただ、輪島方面と能登線の両翼を失い、駅の活気というか本来の持ち味的なものがかなり薄らいだ印象もある。というより、ここが終点というイメージが全く無い。
さて、以前は一足先にのと鉄道に転換された能登線を分岐していた穴水。移管時、能登線の方は「のと穴水」と名乗り穴水とは区別をしていたが、七尾線の一部区間がのと鉄道に遺憾された時に統合され、ある意味元の姿に戻ったイメージか。しかしながら穴水から先の「両翼」を失った今、当時の面影は、形こそあるが雰囲気的なものはあまりないイメージか・・・
しかし和倉温泉からは経営母体は違えど、鉄道には変わらない風景は、二本のレールに胸を膨らませながら国鉄時代では果たせなかった「今」を楽しむ事にした。
残念ながら穴水から先、ふたつの路線は既に廃止されてしまっていたが、穴水までは楽しむ事ができた。しかも水戸岡氏がデザインした「あの」観光列車ではなく、通常のノーマル車両で行くのがいい。

穴水では0番線に意外な列車が停車していた。1980年代で時間が止まってしまっている私にとって、こうした列車は全く新しい世界であり未知な世界だ。ただ、やはり蛸島・輪島まで路線があってこそこうした列車がもっと有効になってくるのかも知れない。
穴水より先にはあの「ゴールデン・アームボンバー」の聖地、大相撲で有名なあの「大士」の地元、輪島まで足を伸ばしてみたかった。私的には国鉄特有の駅舎に接するホームに銀色の箱のような改札があるあの風景を見たかった。穴水まではしっかりと「七尾線」を感じ取ったが、やはり穴水までだと物足りない気がする。珠洲飯田や珠洲、蛸島まで遥々足を伸ばしてこそ、との思いは果てしない。急行「能登路」に乗り通過する「恋路(臨)」を拝めたら最高であろう。もちろん、下車するに越した事はないが。
こうして改めて旅を振り返ってみると穴水から先、未だ未開の地を訪問してみたい欲も出てくる。恐らくそう遠くない将来、もしかしたら私は現存する蛸島駅舎の前に立っているかも知れない。そんな旅を紹介できたら私も嬉しい限りである。

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和倉温泉から先はのと鉄道に移管され現在に至るが、所々に「国鉄」が顔を出す。ここ田鶴浜もそのひとつ。意外にも立派な造りであるが「建具の街」とはこの時初めて知った。
和倉温泉が法規上の境界線とは言え、和倉温泉にはのと鉄道専用乗り場や別途改札があるわけではない。この事ひとつ取ってもJRの、そして地元の方々の思いが複雑に秘められている事がお分かりいただけると思う。残念だったのは、私が国鉄時代にこの七尾線を訪問できなかった事。輪島わもちろん、蛸島方面へも国鉄時代に訪問してみたかった。もちろんのと鉄道に転換されてからも。さぞかし素敵な風景であったろう・・・
列車で訪れる七尾線はそれほど新鮮であった。そして七尾で乗り換えるのと鉄道も、穴水までに生ってしまったとはいえ、未だ健在なのは嬉しい。何だかんだ言いながら、今の七尾線、そしてのと鉄道を「国鉄七尾線」として楽しんでやろう!としている事に気づかされている自分がそこにいた。

穴水は今も国鉄時代の面影を残す。ただ、輪島方面と能登線の両翼を失い、駅の活気というか本来の持ち味的なものがかなり薄らいだ印象もある。というより、ここが終点というイメージが全く無い。
さて、以前は一足先にのと鉄道に転換された能登線を分岐していた穴水。移管時、能登線の方は「のと穴水」と名乗り穴水とは区別をしていたが、七尾線の一部区間がのと鉄道に遺憾された時に統合され、ある意味元の姿に戻ったイメージか。しかしながら穴水から先の「両翼」を失った今、当時の面影は、形こそあるが雰囲気的なものはあまりないイメージか・・・
しかし和倉温泉からは経営母体は違えど、鉄道には変わらない風景は、二本のレールに胸を膨らませながら国鉄時代では果たせなかった「今」を楽しむ事にした。
残念ながら穴水から先、ふたつの路線は既に廃止されてしまっていたが、穴水までは楽しむ事ができた。しかも水戸岡氏がデザインした「あの」観光列車ではなく、通常のノーマル車両で行くのがいい。

穴水では0番線に意外な列車が停車していた。1980年代で時間が止まってしまっている私にとって、こうした列車は全く新しい世界であり未知な世界だ。ただ、やはり蛸島・輪島まで路線があってこそこうした列車がもっと有効になってくるのかも知れない。
穴水より先にはあの「ゴールデン・アームボンバー」の聖地、大相撲で有名なあの「大士」の地元、輪島まで足を伸ばしてみたかった。私的には国鉄特有の駅舎に接するホームに銀色の箱のような改札があるあの風景を見たかった。穴水まではしっかりと「七尾線」を感じ取ったが、やはり穴水までだと物足りない気がする。珠洲飯田や珠洲、蛸島まで遥々足を伸ばしてこそ、との思いは果てしない。急行「能登路」に乗り通過する「恋路(臨)」を拝めたら最高であろう。もちろん、下車するに越した事はないが。
こうして改めて旅を振り返ってみると穴水から先、未だ未開の地を訪問してみたい欲も出てくる。恐らくそう遠くない将来、もしかしたら私は現存する蛸島駅舎の前に立っているかも知れない。そんな旅を紹介できたら私も嬉しい限りである。

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