第三セクター「野岩鉄道」出発進行!⑦ 川治温泉
2019-10-15

意外にも「玄関口」的な雰囲気を醸し出す駅舎内では「パートのおばちゃん」的な駅員さんが迎えてくれた。「おばちゃん」と言ってはかなり失礼かも知れないが、野岩鉄道ではパートタイマー社員と思われる駅員さんが各々の駅に配置されている。イメージ的にはスーパーなどでレジを打つ感覚でのパートなのだろうか。もしそうなら私もぜひフルタイムで働いてみたい。
ただ、野岩鉄道の各駅で入場券を買うとレシートタイプで渡されるので何となく味気ないが、それでも野岩鉄道各駅で駅員がいるという事は凄いと思う。

だが、さすが「温泉」を名乗るだけあって、私の訪問時には下車客が多く見られた。地元の方というよりは観光的要素を含むファミリータイプの下車がほとんどで、またまた狙ったわけではないがではないが、普通列車同士の交換風景が見られた。その列車からの下車客であったが、やはら夏休みということもあり、こうした風景が見られるのはほのぼのとするが、駅舎を出ると意外にも若いカップルが送迎車を待つ風景がみられた。今やインターネット時代。素敵な宿をクリックひとつで検索する事ができる。川治温泉にやって来るとはなかなか渋いカップルではないか。いや、マイカー等でも不特定多数の若いカップルが川治温泉に訪れているかも知れないが・・・

さて、今回の記事を寄せるにあたって、私が中学時代に所属していた「鉄道研究クラブ」で発行していた「えき」という季刊誌を久々に引っ張り出し参考にしてみた。というのも、先述通り、私はこの季刊誌の編集長をしており、尚且つ野岩鉄道の記事を寄せているのだが、今読んでみると物凄い内容が書かれていた、というより、自身で調べて書いた記事にも関わらず、約36年の月日が流れ久々にみた自身の記事には、まるで自身が書いた記事とは思えないくらい「こんな記事を書いていたんだ」と思わされるほどの内容であった。
まず、「仮称」とされていた当時の駅名に驚いた。当時「仮称」とされていた駅名をそのまま現在の駅名になったのは、起点・終点を含めたったの2駅であった。そのひとつが今回紹介している川治温泉である。やはり当時からこの駅と五十里湖(仮称、現・湯西川温泉)は観光的な拠点にしようという思惑が見え隠れする大人の事情が当時は全くわからないまま記事にしていた。

かなり大きく掲載してしまったが、1981年会社設立当時のレールマップ。これは私が野岩鉄道から資料を取り寄せ、私が中学時代に所属していた「鉄道研究クラブ」で発行していた季刊誌「えき」の記事の一部で野岩鉄道を紹介している物である。実はこの記事は私が書いたもので、このマップも野岩鉄道野資料を元に描いたものだ。だが・・・ほとんど記憶に無い!
つまり「温泉」と仮称時代から駅名が設定されていたのはここ川治温泉のみであるが、開通前から当然ながら観光的要素の期待が込められている事が覗える。余談であるが、この野岩鉄道の記事を寄せている季刊誌の裏表紙には「青函トンネル・先進導坑が貫通!」という大ニュースを最大にアピールした私の記事も掲載されていた。当時、中学生の私自身が寄せた記事なのに記憶が薄く若干新鮮に目に飛び込んでくるシーンは、今も昔も変わらず鉄道を愛する自身への確認作業でもあったかも知れない。



正直言って思いつきで行った旅であったが、だからこその発見があったのかも知れない。だが、地元の方以外でこの駅に寄り温泉にいかないのは私くらいであろうか・・・

駅舎内は意外にもモダンというか、いかにも観光駅らしい雰囲気を醸し出していた。ただ、やはり手前の鬼怒川に比べたらややひっそりした印象である。








ここ川治温泉でも偶然ながら列車交換風景が見られた。夏休みともあって温泉方面へ行くと思われる乗客が数名下車。中には若いカップルも。

名前は分からないが、駅前にはでっかい山が。というか、野岩鉄道はとにかく山、山、山の印象。だが、こうした雰囲気の温泉に将来普通に来れる男にないたい気もする。

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