第三セクター「野岩鉄道」出発進行!番外編・下今市
2019-10-20

おやっ?と一瞬思ってしまうが、一応野岩繋りであるのと、元々野岩鉄道は国鉄今市が起点だったということで「今市繋り」で紹介してみようと思う。
先述している私が中学年時代に所属していたクラブ活動「鉄道研究クラブ」が発行していた「えき」という季刊紙に私は開通前の野岩鉄道の記事を寄せていた。それによると、もともとは国鉄野岩線として日光線の今市から新藤原を経由して会津線会津滝ノ原までをつなぐ凄絶な計画であった。が、ご覧の通り今市から新藤原までの区間は東武鬼怒川線と並走するためやや無理があるのかなと中学生時代に思っていたが、事実、今市~新藤原間は工事が施工されていなかったようだ。つまり、最初から東武鬼怒川線の新藤原を起点として会津滝ノ原と接続させようという構想で建設していたのだろう。
もちろん、仮に今市~新藤原をあえて並走させたとしても当時の国鉄では東武と対等に勝負できるかどうかは既に答えがでてしまう。

堂々たる駅舎の下今市。JR今市とはやや距離がある。駅前の雰囲気はやや地味な印象であるが日光方面と鬼怒川方面への分岐点としての活躍で利用者も多い。そして近年ではSLが運転されるようになり、何となく東武鉄道のイメージとはまた違う雰囲気を見せてくれる。
いずれにしても「鬼怒川イコール東武」というイメージは、現在の日光にも象徴されているように、野岩線も「野岩鉄道」として浅草から直通列車が運転された方が「ほっとスパ・ライン」がよりいっそうアピール出来るだろう。そんな世間の流れから野岩鉄道は電化の追加工事をしたはずだ。
今こそ「リバティ」が浅草より直通されるが、かつては快速列車しか直通しておらず、非常にもったいないと感じた。やはりスペーシアを延長させ湯西川温泉や川治温泉、そして会津高原くらいまで顔を出してもらうと、いっそう「ほっとスパ・ライン」が活きてくるのではないかとずっと感じていた。


SL運転に併せリニューアルされたホームはあまり東武を感じさせないイメージだ。
そんな変遷のある野岩鉄道は、私的には、下今市が起点のようなイメージがいつまでも、そして今でも感じる。もちろん、新藤原は正式な起点であるが、新藤原では東武と野岩鉄道の区別がハッキリせず、中間駅としての活躍が当たり前のように思えるのは、終点の会津高原尾瀬口も同じであろう。この野岩鉄道はそこが最大の特徴かも知れない。
いずれにしても一般のお客様からすれば目的地に着くのに運営会社がコロコロ変わるのはあまり関係ない事であろう。重要なのは料金や快適さ、乗車時間などで、新藤原で東武から野岩に変わる事を意識するのは我々レールファンぐらいであろう。





私的に、東武にSLとは信じられない風景であった。だが、下今市にはそんなイメージを払拭してしまう「証拠品」が数多く見られた。
もし国鉄➡JRで野岩線が運営されてたとしたらどんな風景となっていたであろう。会津線は間違いなく野岩線に編入されるか新たな路線名で野岩線とともに活躍したかも知れない。そして横浜や君津、上総一ノ宮発の会津田島や会津若松行きがあるかも知れない。ただ、JRの場合だとこれくらいの距離なら新幹線をプッシュするだろうから、ある意味観光列車的なカラーでの列車か運転されるかも知れない。いろいろ想像してしまうが、現在のシーンで考えるなら、やはり私はスペーシアに拘りたい。「リバティ」はかなり私の考えに近い形で実現しているが、やはり私はスペーシアで実現してほしい。そんな夢を描いていると、スペーシアは大きく弧を描き、鬼怒川方面にゆっくりと消えていった。

「リバティ」初遭遇であった。最初は「何だ?」と思っていたが、旅を続けていくにつれその全貌が明らかに。これぞ私がかねてから描いていた「スペーシア、野岩鉄道乗り入れ」が違う形で実現していたのだ。





そして鬼怒川に向け「スペーシア」が野岩鉄道に向け右に折れていった。ホームからかなりの至近距離での分岐は迫力を感じる。

という事で、野岩鉄道は明日に向け羽ばたく。ここ下今市からのレールが会津若松まで繋がっているという事があまりイメージできない雰囲気であるが、もちろん野岩鉄道を経由してこそ会津若松へ到達出来る。いいね、野岩鉄道!
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