白糠線 リメイク・アゲイン①
2020-01-25
かつて、このブログで白糠線に関しての体験記は再三に渡り紹介してきたが、内容が箇条書きっぽくなっていてやや伝わりにくい部分もあり再リニューアルしてみた。しかしながら白糠線が廃止されてから既に35年以上経過し、私が訪問した時期も廃止の2週間前であり当時中学生であったので何かと慌ただしい感じであった。白糠線の廃止は1983年10月。よく中学生でありながらこの10月という時期に訪問できたと思う。その辺りも含め今回は詳細に記憶を辿りながら皆様にお伝えしたい。

どこにいったかと思っていたら母が勝手に使っていた!という事で「チャレンジ」の時にもらったパスケース。他にも踏破線区数に応じていろいろなグッズがもらえた。私は100線区踏破した時(かどうか記憶は定かでないが)にチャレンジのカッパ(レインコート)をもらった。現在も一度も着用ぜずに保存してある。
1980年代といえば「いい旅チャレンジ20000km」がブームになりレールファンでなくても国鉄全線踏破を狙ったものも多数いたものだ。私は当時からレールファンであったので、当然のごとく例に漏れず参加した。
そして世間では国鉄赤字・再建が毎日のように紙面に顔を出し「民営化」「赤字ローカル線廃止」などの言葉は私などの子供でも自然と頭に植えてくされてしまう単語となっていた。ある意味「20000km」は国鉄の赤字対策のひとつでもあったのだ。

北海道ではこんな硬券入場券が観光用で販売されていた。もちろん通常バージョンも。もちろん、使えないよねっ!
1980年代といえば宮脇俊三氏や種村直樹氏が全盛で活躍した時代であった。しかし、当時小学生・中学生の私にとってはやや難しく、宮脇氏の表現を借りれば「理解の範囲に及ばない」書物であった。特に種村氏は当時「初」であったか「唯一」であったか「レールウェイライター」を名乗り斬新な旅をしていた記憶だ。
特に「旅と鉄道」という季刊紙では「汽車旅相談室」なるコーナーがあり、国鉄に対する意見を「規則」を用いてかなり強く発言していた。

画像はウィキより、現役時代の白糠線は北進駅。車両的には釧路~根室間を走る急行「ノサップ」の空時間の運用らしい。当時はそんな事知らなかったが、だがなぜか急行用の車両に乗れたのにはやや優越気分でもあった。
そんな時代に赤字ローカル線廃止第1号として白糠線が先陣を切って廃止されるわけであるが、私はこの白糠線廃止に異常に興味を持ち、まだ見ぬ北の大地初訪問も併せて「上野発の夜行列車」で向かう決意をしたのであった。
もちろん白糠線以前にも廃止された路線はいくつかあったが、国鉄赤字がある意味「ブーム」となり赤字ローカル線を一気に廃止しよう❗と決めてからの廃止は白糠線が初となる。そして白糠線以外にも廃止路線が次々と発表されそれこそブームに乗った感じであった。
さて、白糠線廃止情報が流れたのはいつ頃であったろう。恐らく夏休みが終わる頃か9月初旬であったと思う。いや、当時はインターネットなど発達していない時代だったから、発表はもっと早かったかも知れないが、私が情報を得たのが9月だったと思う。確か何かのレール誌であったはずだが、白糠線には絶対に乗っておかなければいけないとは思うものの、考えてみたら夏休みに周遊券で東北一周の旅から帰って来てまだ1ヶ月経つか経たないかの時期であった。

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どこにいったかと思っていたら母が勝手に使っていた!という事で「チャレンジ」の時にもらったパスケース。他にも踏破線区数に応じていろいろなグッズがもらえた。私は100線区踏破した時(かどうか記憶は定かでないが)にチャレンジのカッパ(レインコート)をもらった。現在も一度も着用ぜずに保存してある。
1980年代といえば「いい旅チャレンジ20000km」がブームになりレールファンでなくても国鉄全線踏破を狙ったものも多数いたものだ。私は当時からレールファンであったので、当然のごとく例に漏れず参加した。
そして世間では国鉄赤字・再建が毎日のように紙面に顔を出し「民営化」「赤字ローカル線廃止」などの言葉は私などの子供でも自然と頭に植えてくされてしまう単語となっていた。ある意味「20000km」は国鉄の赤字対策のひとつでもあったのだ。

北海道ではこんな硬券入場券が観光用で販売されていた。もちろん通常バージョンも。もちろん、使えないよねっ!
1980年代といえば宮脇俊三氏や種村直樹氏が全盛で活躍した時代であった。しかし、当時小学生・中学生の私にとってはやや難しく、宮脇氏の表現を借りれば「理解の範囲に及ばない」書物であった。特に種村氏は当時「初」であったか「唯一」であったか「レールウェイライター」を名乗り斬新な旅をしていた記憶だ。
特に「旅と鉄道」という季刊紙では「汽車旅相談室」なるコーナーがあり、国鉄に対する意見を「規則」を用いてかなり強く発言していた。

画像はウィキより、現役時代の白糠線は北進駅。車両的には釧路~根室間を走る急行「ノサップ」の空時間の運用らしい。当時はそんな事知らなかったが、だがなぜか急行用の車両に乗れたのにはやや優越気分でもあった。
そんな時代に赤字ローカル線廃止第1号として白糠線が先陣を切って廃止されるわけであるが、私はこの白糠線廃止に異常に興味を持ち、まだ見ぬ北の大地初訪問も併せて「上野発の夜行列車」で向かう決意をしたのであった。
もちろん白糠線以前にも廃止された路線はいくつかあったが、国鉄赤字がある意味「ブーム」となり赤字ローカル線を一気に廃止しよう❗と決めてからの廃止は白糠線が初となる。そして白糠線以外にも廃止路線が次々と発表されそれこそブームに乗った感じであった。
さて、白糠線廃止情報が流れたのはいつ頃であったろう。恐らく夏休みが終わる頃か9月初旬であったと思う。いや、当時はインターネットなど発達していない時代だったから、発表はもっと早かったかも知れないが、私が情報を得たのが9月だったと思う。確か何かのレール誌であったはずだが、白糠線には絶対に乗っておかなければいけないとは思うものの、考えてみたら夏休みに周遊券で東北一周の旅から帰って来てまだ1ヶ月経つか経たないかの時期であった。

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