白糠線・リメイク・アゲイン④
2020-02-10
上白糠に着く。私は駅名標を撮影するのに精一杯であったが、冷静に考えると周囲には何もない。いや、何もないという表現は正しくない。実際には酪農業と大自然の風景が広がっていると言えばいいだろうか。「何もない」とは、鉄道を銭儲けとして運営するにあたり、旅客や産業などの文明が乏しいという事だ。ただ、列車の中はレールファンで大盛況である。
上白糠を過ぎると公式では茶路であるが、茶路と上白糠との間には共栄仮乗降場がある。全国版の時刻表に載っていない、いわば「隠れキャラ」であったが、ここ白糠線にも唯一の存在。函館で「道内時刻表」を購入していた私はしっかり確認済みであった。現在のJR時代には考えられないであろうし、新しい現在の若いレールファンには無い認識であろうが、特に北海道にはこの仮乗降場が多く存在し、その駅を見つける事自体が非常にエキサイトする場面でもあった。

上白糠は白糠を出て最初の駅。白糠線の晩年では一閉塞のためすべての駅が棒線化されていた。もちろんここ上白糠も。
仮乗降場は基本的に板張りや枕木を並べたホームが特徴であったが、例えば宗谷本線の天塩川温泉のように、国鉄時代は仮乗降場でも現在は普通に隠れキャラとは思えないほど立派なものもあった。ちなみに私が当時最も憧れた仮乗降場は天北線にあった「飛行場前」や名寄本線にあった「四号線」であった。

白糠線唯一の仮乗降場である共栄。国鉄に馴染みのない世代ではこの仮乗降場は伝説に過ぎないであろうが、当時の「道内時刻表」にはこの仮乗降場もちゃんと掲載されていて、それを見つけるとわけもなく興奮したものだ。
共栄仮乗降場も確か板張りの駅であった記憶で、宗谷本線の糠南的な感じだったと思う。
さて、共栄を過ぎると茶路、縫別と停車するが、私は駅名標等を撮影するのに夢中で、景色を見ながらこの路線の存在理由や今後などの推測などはする余裕も無かった。いや、当時はまだ中学生だったので、そんな知識すらなかった。ただ「廃止」と聞くと一目散に駆けつける・・・みたいな衝動に駆られる以外に術のない中学生であったのだ。

茶路では駅前にやや生活を感じる。だが、鉄道経営に影響を与えるほどの生活感を感じ取ることはできなかった記憶だ。
そして縫別を過ぎると上茶路に着くとやや構内が広い雰囲気を感じ取った。ホームも島式でありいくつかの側線も確認できた。もちろん機能していなかったが、それでもかつての盛栄を感じ取ることができた。中学生なりに。近年まではホームや側線が残っていたらしいが、現在はどうなのだろうか。私は北海道の数々の廃線跡を巡ってきたが、ここ白糠線は未だ訪問していない。いずれは訪問してみたいが、なにせ35年以上も初訪から経過している。だが、上茶路は今もやや残骸が残っていると聞いた。いつか、というか近い将来に訪問してみたい。

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上白糠を過ぎると公式では茶路であるが、茶路と上白糠との間には共栄仮乗降場がある。全国版の時刻表に載っていない、いわば「隠れキャラ」であったが、ここ白糠線にも唯一の存在。函館で「道内時刻表」を購入していた私はしっかり確認済みであった。現在のJR時代には考えられないであろうし、新しい現在の若いレールファンには無い認識であろうが、特に北海道にはこの仮乗降場が多く存在し、その駅を見つける事自体が非常にエキサイトする場面でもあった。

上白糠は白糠を出て最初の駅。白糠線の晩年では一閉塞のためすべての駅が棒線化されていた。もちろんここ上白糠も。
仮乗降場は基本的に板張りや枕木を並べたホームが特徴であったが、例えば宗谷本線の天塩川温泉のように、国鉄時代は仮乗降場でも現在は普通に隠れキャラとは思えないほど立派なものもあった。ちなみに私が当時最も憧れた仮乗降場は天北線にあった「飛行場前」や名寄本線にあった「四号線」であった。

白糠線唯一の仮乗降場である共栄。国鉄に馴染みのない世代ではこの仮乗降場は伝説に過ぎないであろうが、当時の「道内時刻表」にはこの仮乗降場もちゃんと掲載されていて、それを見つけるとわけもなく興奮したものだ。
共栄仮乗降場も確か板張りの駅であった記憶で、宗谷本線の糠南的な感じだったと思う。
さて、共栄を過ぎると茶路、縫別と停車するが、私は駅名標等を撮影するのに夢中で、景色を見ながらこの路線の存在理由や今後などの推測などはする余裕も無かった。いや、当時はまだ中学生だったので、そんな知識すらなかった。ただ「廃止」と聞くと一目散に駆けつける・・・みたいな衝動に駆られる以外に術のない中学生であったのだ。

茶路では駅前にやや生活を感じる。だが、鉄道経営に影響を与えるほどの生活感を感じ取ることはできなかった記憶だ。
そして縫別を過ぎると上茶路に着くとやや構内が広い雰囲気を感じ取った。ホームも島式でありいくつかの側線も確認できた。もちろん機能していなかったが、それでもかつての盛栄を感じ取ることができた。中学生なりに。近年まではホームや側線が残っていたらしいが、現在はどうなのだろうか。私は北海道の数々の廃線跡を巡ってきたが、ここ白糠線は未だ訪問していない。いずれは訪問してみたいが、なにせ35年以上も初訪から経過している。だが、上茶路は今もやや残骸が残っていると聞いた。いつか、というか近い将来に訪問してみたい。

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