白糠線・リメイク・アゲイン⑤
2020-02-15
上茶路を過ぎ下北進を過ぎるといよいよ北進に到着するわけであるが、景色的には上白糠からさして変化はない。大自然に囲まれ酪農業が盛んな印象の風景が続いているが、終点の北進は周囲に本当に何もない。文明と呼べる、鉄道経営における収入源となろう民家や産業的なものが何もない。あるのは草木に囲まれた大自然のみ。よくぞここに旅客駅を設けたものだと、中学生でも関心してしまうくらいに何もない。駅を降りたのはほぼ100%レールファンであった。そして各方面へ放射状に散っていく。もちろんその後は乗ってきた列車でほぼ全員が折り返すのだから車掌もあえて改札に来ない。

上茶路はかつて石炭の積出があったらしいが、私の訪問当時は既に広い構内の側線は錆び付いており役目を終えていた。
北進に到着し「いい旅チャレンジ20000km」としてとりあえず1線区制覇した。わざわざ周遊券を使い連絡船や夜行列車を乗り継ぎこの1線区のために力を振り絞った。乗ってしまえば何て事はないが、もう乗れなくなると思うとなぜか心苦しい。北進の先は約100~200メートルくらい線路が伸びていた。その線路の先にレールがつながる日がもし来たとしたら、当時の私でも胸ワクワクものであったろう。いや、更に北に進むんだよとあえて車止めを駅から遠ざけたのかも知れない。

下北進は既にメンテナンスを終了していたのか、駅名標の文字が読みにくくなっていた。もう新しく塗り替えられる事は・・・
北進から先の未成線では螺湾(らわん)という駅が計画されていた。そしてそこから更に分岐し阿寒湖方面を経て北見相生方面への接続が計画されていた。これ、完成していたらすごいよね?って思う。もちろん収支関係は別として・・・
恐らく足寄出身の松山千春の印象や発言もやや変化があったろう。ほんのわずかではあろうが「螺湾蕗」を持つその手には若干ながら力の入りが違っていたはずだ。
北進まで開通してたった11年で幕を降ろした白糠線であるが、当時、日本一の赤字路線と囁かれた美幸線より先に廃止された白糠線は、ある意味私にとって英雄である。

終点の北進では既に紅葉の時期に入っていた。というか、当時中学生の私にとって季節とか全く関係なかったと思う。それよりこの白糠線が消えていってしまう事のほうが至って重要であった。
私の身近にあった廃止路線は相模線・寒川支線であった。いわゆる西寒川支線と一般的に呼ばれるもので寒川~西寒川間の1.5kmであった。もちろんこのブログで何度も紹介しているが、この寒川支線に至っては事前に廃止されるという情報が白糠線ほど目立ってされなかった。いわば地味にフェードアウトしていったわけであるが、廃止当日はTBSラジオのクルーも現れたしそれなりに賑やかであった。もちろん思い入れも強いが、この白糠線も私が始めて北の大地を踏み、そして訪ねた路線としての思い入れは強い。

私のブログに何度も登場した北進駅全景。ご覧の通り、鉄道施設以外に文明と呼べる物が無いに等しい。ここから更に北へ向かい足寄までの延伸計画があったが・・・ただ、スペース的に将来交換設備が設けられるよう準備がなされていた記憶であった。
私が訪問してから約2週間後に白糠線はその生涯を終えた。その後町営バスが後を引き継いだが、確か時刻表には掲載されていなかった気がする。当時、士幌線の糠平~十勝三股間が代行バスの時刻表が掲載されていて特異な空気を醸し出していたが、白糠線のそれはなかったのは残念であった。
そして白糠線廃止後、次々と全国のローカル線が廃止されていった。特に北海道の鉄道路線は現在、国鉄時代の半分位の姿になってしまい、更に現在でも札沼線の一部や日高本線などの廃止が囁かれている。もしかしたら北海道の鉄道路線は、近い将来、札幌近郊のみになってしまうかも知れない。そんな事を示唆させる第一歩が、もしかしたら白糠線だったのであろうか・・・

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上茶路はかつて石炭の積出があったらしいが、私の訪問当時は既に広い構内の側線は錆び付いており役目を終えていた。
北進に到着し「いい旅チャレンジ20000km」としてとりあえず1線区制覇した。わざわざ周遊券を使い連絡船や夜行列車を乗り継ぎこの1線区のために力を振り絞った。乗ってしまえば何て事はないが、もう乗れなくなると思うとなぜか心苦しい。北進の先は約100~200メートルくらい線路が伸びていた。その線路の先にレールがつながる日がもし来たとしたら、当時の私でも胸ワクワクものであったろう。いや、更に北に進むんだよとあえて車止めを駅から遠ざけたのかも知れない。

下北進は既にメンテナンスを終了していたのか、駅名標の文字が読みにくくなっていた。もう新しく塗り替えられる事は・・・
北進から先の未成線では螺湾(らわん)という駅が計画されていた。そしてそこから更に分岐し阿寒湖方面を経て北見相生方面への接続が計画されていた。これ、完成していたらすごいよね?って思う。もちろん収支関係は別として・・・
恐らく足寄出身の松山千春の印象や発言もやや変化があったろう。ほんのわずかではあろうが「螺湾蕗」を持つその手には若干ながら力の入りが違っていたはずだ。
北進まで開通してたった11年で幕を降ろした白糠線であるが、当時、日本一の赤字路線と囁かれた美幸線より先に廃止された白糠線は、ある意味私にとって英雄である。

終点の北進では既に紅葉の時期に入っていた。というか、当時中学生の私にとって季節とか全く関係なかったと思う。それよりこの白糠線が消えていってしまう事のほうが至って重要であった。
私の身近にあった廃止路線は相模線・寒川支線であった。いわゆる西寒川支線と一般的に呼ばれるもので寒川~西寒川間の1.5kmであった。もちろんこのブログで何度も紹介しているが、この寒川支線に至っては事前に廃止されるという情報が白糠線ほど目立ってされなかった。いわば地味にフェードアウトしていったわけであるが、廃止当日はTBSラジオのクルーも現れたしそれなりに賑やかであった。もちろん思い入れも強いが、この白糠線も私が始めて北の大地を踏み、そして訪ねた路線としての思い入れは強い。

私のブログに何度も登場した北進駅全景。ご覧の通り、鉄道施設以外に文明と呼べる物が無いに等しい。ここから更に北へ向かい足寄までの延伸計画があったが・・・ただ、スペース的に将来交換設備が設けられるよう準備がなされていた記憶であった。
私が訪問してから約2週間後に白糠線はその生涯を終えた。その後町営バスが後を引き継いだが、確か時刻表には掲載されていなかった気がする。当時、士幌線の糠平~十勝三股間が代行バスの時刻表が掲載されていて特異な空気を醸し出していたが、白糠線のそれはなかったのは残念であった。
そして白糠線廃止後、次々と全国のローカル線が廃止されていった。特に北海道の鉄道路線は現在、国鉄時代の半分位の姿になってしまい、更に現在でも札沼線の一部や日高本線などの廃止が囁かれている。もしかしたら北海道の鉄道路線は、近い将来、札幌近郊のみになってしまうかも知れない。そんな事を示唆させる第一歩が、もしかしたら白糠線だったのであろうか・・・

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