相模線 ヘビー・ローテーション☆アゲイン② 入谷
2020-06-05
入谷といえば「営団地下鉄」、もとい、「東京メトロ」とか首都高速の出入口などを思い浮かべるであろうが、神奈川県にある相模線の駅で「入谷」と名の付く駅がある。
相模線の中では利用者が一番少なく、駅の周りは田畑に覆われものすごく地味に感じる。まるでこの場所だけ時が止まったようだ。今回もまた「地理院地図」の1961~1969年撮影の画像を使用させていただいたのだが、この当時と現在で、もちろん時代的の変化はあるが、入谷駅の周辺の風景はそれほど変化が無いイメージである。

現在では信じられないが、入谷からは砂利専用の貨物線が分岐していた。といっても人車、又は馬車鉄道等の「ナベトロ」と呼ばれるトロッコ路線であった。画像は「地理院地図」より
ただ、近年は宅地化の波が押し寄せそれなりに賑やかさを感じるが、基本的には昔のイメージがまだ残る印象だ。
単純に「なぜこんな場所に駅があるんだろう」と、我々の世代ならつい考えてしまうが、基本的に鉄道とは大量輸送手段でありもともとは貨物輸送が主体であった。
だから大量輸送こそその能力を発揮する。鉄道というと、日本では旅客輸送のイメージが強いが、例えばオーストラリアやアメリカ等は貨物輸送が非常に重要な位置を占めている。
かつては日本も鉄道による貨物輸送が盛んであったが、高速道路の発達と共にその位置をトラックなどに譲る事になってしまった。しかし、青函トンネル等に象徴されるように、新幹線と貨物列車との共用によりお互いの増発やスピードアップに支障を来すほど貨物列車の重要性がまだまだ高い場所もある。

そして現在の入谷駅周辺。砂利採取場の痕跡等は全く無いに等しいのだが、入谷駅付近では砂利線の痕跡がハッキリと確認できる。この写真が撮影された当時は既に砂利線は恐らく廃止されしようされていなかったはずなのでまさに貴重な光景だ。画像は「地理院地図」より。
入谷駅のかつてはそんな重要性を備えた貨物主体の駅であった。その証拠に、昭和30年代の航空写真を見てみると、入谷付近では貨物側線と相模川方面に向かう砂利輸送用の、いわゆるトロッコ線跡がハッキリと確認できるのが実に興味深い。
そして今の時代でも現地ではその名残が比較的容易に確認できる。
更に座架依(ざかえ)橋(厚木市と座間市を繋ぐ相模川に架かる橋)より眺める下界は、砂利輸送時代の昭和を今も残す貴重な風景となっている。それこそいまにも砂利輸送のトロッコ列車がやって来そうだ。

そして相模線から砂利線が分岐される箇所を拡大してみた。本線から弧を描いて分かれていく砂利線跡がハッキリと確認できる。分岐された砂利線は道路に寄り添うように相模川方面へと向かっていく。画像は「地理院地図」より。
そしてグーグルマップより、本線から分岐する砂利線の現在の姿。弧を描く姿は現在も健在である。砂利線は本線としばらく並走して入谷に合流する。

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相模線の中では利用者が一番少なく、駅の周りは田畑に覆われものすごく地味に感じる。まるでこの場所だけ時が止まったようだ。今回もまた「地理院地図」の1961~1969年撮影の画像を使用させていただいたのだが、この当時と現在で、もちろん時代的の変化はあるが、入谷駅の周辺の風景はそれほど変化が無いイメージである。

現在では信じられないが、入谷からは砂利専用の貨物線が分岐していた。といっても人車、又は馬車鉄道等の「ナベトロ」と呼ばれるトロッコ路線であった。画像は「地理院地図」より
ただ、近年は宅地化の波が押し寄せそれなりに賑やかさを感じるが、基本的には昔のイメージがまだ残る印象だ。
単純に「なぜこんな場所に駅があるんだろう」と、我々の世代ならつい考えてしまうが、基本的に鉄道とは大量輸送手段でありもともとは貨物輸送が主体であった。
だから大量輸送こそその能力を発揮する。鉄道というと、日本では旅客輸送のイメージが強いが、例えばオーストラリアやアメリカ等は貨物輸送が非常に重要な位置を占めている。
かつては日本も鉄道による貨物輸送が盛んであったが、高速道路の発達と共にその位置をトラックなどに譲る事になってしまった。しかし、青函トンネル等に象徴されるように、新幹線と貨物列車との共用によりお互いの増発やスピードアップに支障を来すほど貨物列車の重要性がまだまだ高い場所もある。

そして現在の入谷駅周辺。砂利採取場の痕跡等は全く無いに等しいのだが、入谷駅付近では砂利線の痕跡がハッキリと確認できる。この写真が撮影された当時は既に砂利線は恐らく廃止されしようされていなかったはずなのでまさに貴重な光景だ。画像は「地理院地図」より。
入谷駅のかつてはそんな重要性を備えた貨物主体の駅であった。その証拠に、昭和30年代の航空写真を見てみると、入谷付近では貨物側線と相模川方面に向かう砂利輸送用の、いわゆるトロッコ線跡がハッキリと確認できるのが実に興味深い。
そして今の時代でも現地ではその名残が比較的容易に確認できる。
更に座架依(ざかえ)橋(厚木市と座間市を繋ぐ相模川に架かる橋)より眺める下界は、砂利輸送時代の昭和を今も残す貴重な風景となっている。それこそいまにも砂利輸送のトロッコ列車がやって来そうだ。

そして相模線から砂利線が分岐される箇所を拡大してみた。本線から弧を描いて分かれていく砂利線跡がハッキリと確認できる。分岐された砂利線は道路に寄り添うように相模川方面へと向かっていく。画像は「地理院地図」より。
そしてグーグルマップより、本線から分岐する砂利線の現在の姿。弧を描く姿は現在も健在である。砂利線は本線としばらく並走して入谷に合流する。

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