いつか、その日が来る日まで・・・⑰ 鵡川
2020-05-15

かつては富内線を分岐していた鵡川であるが、私が訪問した時にはその面影は広い構内にのみやや感じる事がてきたのだが、レールが剥がされただ無駄に広い空間が多かったのは寂しい限りであった。




現在の駅舎になったのはJR発足直後の1987年とウィキに記されていた。もちろん何度かメンテナンスされているであろうが、それでも時間の経過を感じさせない空間である。
基本的に北海道の鉄道の役割は開拓部落などからの物資輸送や、そしてなんと言っても石炭輸送の活躍が非常に大きかった。つまり、沿線人口が少なくても貨物輸送で利益が潤うシーンが全国各地で見られたものであった。ただ北海道の場合、もともと人口の少ない場所にレールが敷かれているのに、時代と共に貨物輸送が無くなり旅客輸送だけで利益を上げようというのは無理な話。特に炭鉱路線は炭鉱の閉山と共にその炭鉱で働く従業員と家族の流出により、例えば万字線の万字炭山ように、閉山により現在のような無人地帯になってしまっては列車を走らせる意味がない。そのような事象が各地で起こり、北海道の鉄道路線は全盛期の半分以下になってしまった。更にはモータリゼ-ション
富内線の富内はもともと辺富内(へとない)と言っていたが、先輩達がいつしか「辺」を取り除いてしまい富内となった経緯がある。また終点の日高町からは占冠まで伸びる夢の路線が計画されていたが、それこそ夢に終わってしまった。もし開通していたとしてもいずれ廃止の運命を辿るであろうが、日高山脈を貫くのだから相当の費用と労力を必要としたであろう。とはいえ、占冠まで鉄路があったとしたら、ここ鵡川はまた違った顔を見せてくれた事であろう。



ウィキによると、この駅舎に接するホームは現在使用されていないらしい。構内踏切を渡った対向の島式ホームより列車は発着している。
さて、今回はレンタカーでの訪問となったが、駅前は一応ロータリーが整っており一大ターミナルの雰囲気をかもしだしていたが、私の訪問時には人影がなくひっそりとしていた。しかし、今回の旅で今まで巡ってきた駅との決定的な違いは列車がやって来るということだ。









ご覧の通り、駅の構造は2面3線で3番線より富内線が発着していたが、現在3番線はレールが撤去されていた。駅舎側のホームも使用していないため実質2番線のみ使用の棒線型ホームという事になる。
そして交換設備はもちろんあるのだが、恐らく現在の状況なら苫小牧~鵡川まで1閉塞での運転であろう。苫小牧~沼ノ端や鵡川まで、鉄路の変遷にやや激しい経緯があるのだが、そう遠くない将来にここ鵡川にも列車がやって来なくなる日が来るであろう。さらに宗谷本線や根室本線、更には留萌本線なども一部、または全部の廃止が囁かれている中、我々はどう鉄道と向き合えばいいのだろう。もしかして新幹線が札幌まで到達した時には既にその答えが出ているとしたら…


駅前ロータリーではこんなオブジェが建っていた。だが、現在は無人駅とは!国鉄時代から知っている私にしてみたらここ鵡川が無人駅なんて信じられない感じだ。
今回の「いつか、その日が来る日まで・・・」シリーズはこれで千秋楽となるが、鵡川~苫小牧間もいずれ廃止の声を聞く時がやってくるであろう。そして将来的に高速道路が静内まで到達し更に浦河までが最終目的地と聞く。襟裳を通り広尾を抜け帯広まで高速道路が繋がったら、それこそかつての国鉄時代の構想となる。果たして路線名はどうなっていたのだろう。日高本線と広尾線はそのままで、様似~広尾間は「襟裳線」となったのか、それとも国鉄バスの路線名をそのまま使い苫小牧~帯広間を全て「日勝線」と称するのか・・・みたいな夢は膨らむ。ただ、現状を考えると、もし実現していたとしてもいずれは現在と同じ道をたどったであろう。
石勝線に「トマム」があるが、その名の由来はもちろんアイヌ語であるのだが、一説には「苫小牧から鵡川を通り、行き着く先がトマム」という事であるらしい。その事からトマムは漢字で表記すると「苫鵡」となる。つまり苫小牧から武川を通り行き着く先」の「行き着く先」の役割が実は富内線で、日高町から先の計画線では「行き着く先」は占冠であった。

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