相模線 ヘビー・ローテーション✩アゲイン⑥ 厚木(後編)
2020-06-20
ところで相模線は砂利輸送においてかなりの活躍をしたわけだが、実はここ厚木には小田急との短絡線が存在した。相模線と小田急での短絡とはあまりイメージつかないが、これは軍事的な要素が含まれていて、いわゆる東海道線の代替え・迂回路線として国から要請を受け作られた短絡線である。航空写真で見てみるとその存在がハッキリとわかる。さらにその短絡線には何本か側線があり、貨物列車が留置される。現在はもちろん撤去されているが、空間だけはそのままの形で再利用されているので非常にわかりやすい。
小田急短絡線の現在をグーグルマップで表現させていただいた。団地の通路が小田急から斜めに弧を描くようにカーブしている点に面影を感じる。ただ、ここに住んでおられる方の中にこの場所がかつて短絡線だった歴史を知る方がいたら是非お会いして話を伺ってみたい。
また、相模線側ではその短絡線の分岐点の手前で相模川へ伸びる砂利輸送引き込み線が分岐されていて、かつての相模興業の正門より侵入する形を取っていた。そのため短絡線から直接引き込み線に侵入する事ができない構造となっていたが、この短絡線と砂利線とは密接な関係が無いので直通の必要性は無かったが、本当に分岐点が紙一重なので少々勿体無いイメージも個人的にした。




厚木駅界隈を拡大してみた。上から1961年頃、1974年頃、1988年頃、現在の順番であるが、先述通り、小田急のホームが若干移動しているのがハッキリわかる。そして小田急短絡線や相模工業への砂利引き込み線も、現役時代の原型をほぼとどめながら現在に至っているのも感じる事ができる。
私が幼少の頃はその引き込み線をハッキリと見ていたが、既に使用されていなかったと思われ、やがて気づかぬうちに撤去され砂利輸送の盛栄は完全に過去に葬られていた。
その引き込み線の名残は現在でもハッキリと確認できる。某祭典場の駐車場であるが、相模線から胃袋のような形で膨らみ弧を描いて旧相模興業手前で収束している。つまり引き込み線途中で列車交換ができたという事である。更に旧相模興業内の砂利採取場は広い!相当量の砂利採取量があったであろう。
相模工業砂利引き込み線の現在をグーグルマップで覗いてみた。某祭典場の駐車場にハッキリとその名残を感じる事ができる。
更に厚木の重要性を知る事として、1970年代~1990年代頃駅の北側にセメント工場への引き込み線もあった。セメント工場から貨物を積んだ列車は一旦厚木駅構内に入線し、スイッチバックの形で進行方向を変え相鉄厚木線を介して横浜方面へと運転されていた。西横浜辺りから国鉄に乗り入れ東海道貨物線を経由したと思われるが、晩年は西横浜の短絡線が廃止され相模線を介して茅ヶ崎経由で横浜方面への輸送に変更されていた。
相模線と相鉄線は切っても切れない縁でもあるのだが、かつては貨物輸送が非常に重要だった事が非常に伝わってくる。関東大震災の復興でレンガの材料となる砂利を輸送する事で大きく潤ってきた相模鉄道~相模線であるが、電化され205系が走る現在、特に若い世代がその面影を感じるのが難しい作業となっているであろう。私でさえかつてキハ10やキハ20が主力だった時代が信じられないくらい発展目覚しい相模線の各駅と沿線である。
厚木界隈の比較を「地理院地図」で見てみたい。1961年頃(上)と現在であるが、上の画像では小田急短絡線と相模工業への引き込み線がハッキリと確認できる。

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小田急短絡線の現在をグーグルマップで表現させていただいた。団地の通路が小田急から斜めに弧を描くようにカーブしている点に面影を感じる。ただ、ここに住んでおられる方の中にこの場所がかつて短絡線だった歴史を知る方がいたら是非お会いして話を伺ってみたい。
また、相模線側ではその短絡線の分岐点の手前で相模川へ伸びる砂利輸送引き込み線が分岐されていて、かつての相模興業の正門より侵入する形を取っていた。そのため短絡線から直接引き込み線に侵入する事ができない構造となっていたが、この短絡線と砂利線とは密接な関係が無いので直通の必要性は無かったが、本当に分岐点が紙一重なので少々勿体無いイメージも個人的にした。




厚木駅界隈を拡大してみた。上から1961年頃、1974年頃、1988年頃、現在の順番であるが、先述通り、小田急のホームが若干移動しているのがハッキリわかる。そして小田急短絡線や相模工業への砂利引き込み線も、現役時代の原型をほぼとどめながら現在に至っているのも感じる事ができる。
私が幼少の頃はその引き込み線をハッキリと見ていたが、既に使用されていなかったと思われ、やがて気づかぬうちに撤去され砂利輸送の盛栄は完全に過去に葬られていた。
その引き込み線の名残は現在でもハッキリと確認できる。某祭典場の駐車場であるが、相模線から胃袋のような形で膨らみ弧を描いて旧相模興業手前で収束している。つまり引き込み線途中で列車交換ができたという事である。更に旧相模興業内の砂利採取場は広い!相当量の砂利採取量があったであろう。
相模工業砂利引き込み線の現在をグーグルマップで覗いてみた。某祭典場の駐車場にハッキリとその名残を感じる事ができる。
更に厚木の重要性を知る事として、1970年代~1990年代頃駅の北側にセメント工場への引き込み線もあった。セメント工場から貨物を積んだ列車は一旦厚木駅構内に入線し、スイッチバックの形で進行方向を変え相鉄厚木線を介して横浜方面へと運転されていた。西横浜辺りから国鉄に乗り入れ東海道貨物線を経由したと思われるが、晩年は西横浜の短絡線が廃止され相模線を介して茅ヶ崎経由で横浜方面への輸送に変更されていた。
相模線と相鉄線は切っても切れない縁でもあるのだが、かつては貨物輸送が非常に重要だった事が非常に伝わってくる。関東大震災の復興でレンガの材料となる砂利を輸送する事で大きく潤ってきた相模鉄道~相模線であるが、電化され205系が走る現在、特に若い世代がその面影を感じるのが難しい作業となっているであろう。私でさえかつてキハ10やキハ20が主力だった時代が信じられないくらい発展目覚しい相模線の各駅と沿線である。
厚木界隈の比較を「地理院地図」で見てみたい。1961年頃(上)と現在であるが、上の画像では小田急短絡線と相模工業への引き込み線がハッキリと確認できる。

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