相模線 ヘビー・ローテーション☆アゲイン⑦ 社家
2020-06-25
相模線の砂利採取は北限で恐らく相武台下までだと思われるが、それまでの途中駅でもかなり砂利採取からの輸送に対し貢献してきた事をこれまで紹介してきた。今回でこの「相模線 ベビーローテーション☆アゲイン」シリーズは千秋楽を迎えるが、最後に社家を紹介してみよう。
社家の駅舎は倉見同様に重厚なコンクリート製であるのは以前にも紹介して周知の通りであるが、ここ社家からも砂利線が分岐していた。
現在の社家駅風景は「グーグルマップ」より「ストリートビュー」にて拝借した。倉見の駅舎とほぼ同じ造りであるのは関東大震災の教訓からである事は先述通りである。
現在、砂利採取の貨物側線があった場所はマンションとなってしまい面影が全く無いが、私が小学生の頃くらいまではその側線が健在であったし、撤去されたあとの更地などを何度も見た事があるので非常に馴染みがある。だが、当然ながら砂利採取は終了していたはずなので広い構内をもて余していた感があった。
そんな社家の側線空間も、現在はマンションに変わり旅客駅としての社家に対しバックアップ的な存在になっている。つまり相模川付近まで伸びていた砂利線も併せてかつての面影は全くと言って良いほど無い。あるのは「あの側線跡にマンションが建つんだ~」と子供ながらに感じ、そして暫く月日が流れた後に「でっかいマンションだな~」と激変した車窓を眺めていた記憶である。

「地理院地図」の画像より1961年頃撮影の社家駅航空写真。社家から分岐する砂利線が大きく弧を描がき相模川へ伸びているのがわかる。大きなカーブの最中に列車の留置ができるくらいのスペースがある事がハッキリ確認できるが、既にこの頃は砂利採取は終了している。それにしてはハッキリとした痕跡が残っているのが素晴らしい。
もともと私は西寒川駅前在住であったので寒川以北の相模線沿線風景はそれほど頻度の高い回数で見たことは無かったが、高校生くらいから倉見に居を移したため、相模線以外でも寒川以北の風景を見る頻度が高くなった。
そんな中、当時は知らなかったが門沢橋~社家間にも相模川に向かう砂利側線が、というより恐らくナベトロ又は馬車鉄道のようなトロッコ路線であろう地味な貨物線があった。つい最近その存在を知るわけだが、現在は道路に転用されていたり住宅になっていたりで面影は無い。

そして社家の現在であるが、完全に昔の面影は無い。貨物側線だった場所にはマンションが建ち駅周囲は完全に激変した。
さて旅客駅としての社家であるが、先述のコンクリート製の駅舎の存在感は大であるが、付近に有馬高校がある事もあり学生の利用も少なくない。そのためスプリング式のポイントがある島式ホームには跨線橋が設置された。ただ、跨線橋が設置されたり駅舎がリニューアルされたりしてるのは相模線の各駅全体にいえるのたが、やはり砂利輸送にかわり旅客輸送が主体となり、その旅客も年々増加傾向であったのだからであろう。更には電化され若干ながらスピードもアップした。ただ、どうも複線化する勇気は無いようで、列車交換駅も非電化時代と変わらないためどうしてもそれ以上のスピードアップができないのが現実である。特に寒川~茅ヶ崎間は複線化しないともったいないくらい利用者が増えた。ちなみに現在の寒川の1日の乗降客は1万2千人位であるが、昭和50年代では7~8千人くらいであったのでほぼ倍近くくらいまで増えた。
寒川だけでなく他の相模線各駅も利用者が増え、社家も以前は400人くらいであったのが現在は4千人を超えるくらいにまで増えた。もう完全に砂利輸送時代のイメージはなくなっているであろう。
航空写真の比較でも完全に砂利線の形跡がゼロになっているのがわかるが、砂利輸送の設備はそれなりに広かったのもお分かりいただけると思うので、この社家も相当量の砂利が採取されていたのであろう。
上記の1961年頃の社家駅界隈を可動式で掲載してみた。地図を広域で見てみると相模川の川幅の変化がわかる。そしてかつての砂利採取場は高速道路になり水道局的な設備になってしまいかつての面影は殆んど無い。
相模線のかつての姿を航空写真で比較するという私自身初の試みであったが、今回はかなり収穫があり、そして相模線の砂利輸送の実態がハッキリと現実的な歴史として実感を得たイメージである。もちろん自家用車で現地に訪問できなくもないが、というより最近は転勤した関係から相武台下付近はほぼ毎日車で通ってるためちょっと寄り道‥みたいな事もできなくもないが、やはり今は「緊急事態宣言」の最中(記事執筆当時)であるためできる限り協力していかなければならない。逆にこうした時だからこそ新しい発見ができたのも正直なところである。
こうした中、私は仕事があり、そして健康状態が維持できている事は本当に幸せなんだと改めて実感しているが、とにかく早期に収束してほしい限りである。そしてこの経験を次回に必ず活かし、例えば国の対応や事務処理等のタイムラグをなくしスピーディーに行動するなどハッキリとした形で政府と国民がギブアンドテイクになれば日本の素晴らしさを世界にもっと知ってもらえる事になるであろう。

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社家の駅舎は倉見同様に重厚なコンクリート製であるのは以前にも紹介して周知の通りであるが、ここ社家からも砂利線が分岐していた。
現在の社家駅風景は「グーグルマップ」より「ストリートビュー」にて拝借した。倉見の駅舎とほぼ同じ造りであるのは関東大震災の教訓からである事は先述通りである。
現在、砂利採取の貨物側線があった場所はマンションとなってしまい面影が全く無いが、私が小学生の頃くらいまではその側線が健在であったし、撤去されたあとの更地などを何度も見た事があるので非常に馴染みがある。だが、当然ながら砂利採取は終了していたはずなので広い構内をもて余していた感があった。
そんな社家の側線空間も、現在はマンションに変わり旅客駅としての社家に対しバックアップ的な存在になっている。つまり相模川付近まで伸びていた砂利線も併せてかつての面影は全くと言って良いほど無い。あるのは「あの側線跡にマンションが建つんだ~」と子供ながらに感じ、そして暫く月日が流れた後に「でっかいマンションだな~」と激変した車窓を眺めていた記憶である。

「地理院地図」の画像より1961年頃撮影の社家駅航空写真。社家から分岐する砂利線が大きく弧を描がき相模川へ伸びているのがわかる。大きなカーブの最中に列車の留置ができるくらいのスペースがある事がハッキリ確認できるが、既にこの頃は砂利採取は終了している。それにしてはハッキリとした痕跡が残っているのが素晴らしい。
もともと私は西寒川駅前在住であったので寒川以北の相模線沿線風景はそれほど頻度の高い回数で見たことは無かったが、高校生くらいから倉見に居を移したため、相模線以外でも寒川以北の風景を見る頻度が高くなった。
そんな中、当時は知らなかったが門沢橋~社家間にも相模川に向かう砂利側線が、というより恐らくナベトロ又は馬車鉄道のようなトロッコ路線であろう地味な貨物線があった。つい最近その存在を知るわけだが、現在は道路に転用されていたり住宅になっていたりで面影は無い。

そして社家の現在であるが、完全に昔の面影は無い。貨物側線だった場所にはマンションが建ち駅周囲は完全に激変した。
さて旅客駅としての社家であるが、先述のコンクリート製の駅舎の存在感は大であるが、付近に有馬高校がある事もあり学生の利用も少なくない。そのためスプリング式のポイントがある島式ホームには跨線橋が設置された。ただ、跨線橋が設置されたり駅舎がリニューアルされたりしてるのは相模線の各駅全体にいえるのたが、やはり砂利輸送にかわり旅客輸送が主体となり、その旅客も年々増加傾向であったのだからであろう。更には電化され若干ながらスピードもアップした。ただ、どうも複線化する勇気は無いようで、列車交換駅も非電化時代と変わらないためどうしてもそれ以上のスピードアップができないのが現実である。特に寒川~茅ヶ崎間は複線化しないともったいないくらい利用者が増えた。ちなみに現在の寒川の1日の乗降客は1万2千人位であるが、昭和50年代では7~8千人くらいであったのでほぼ倍近くくらいまで増えた。
寒川だけでなく他の相模線各駅も利用者が増え、社家も以前は400人くらいであったのが現在は4千人を超えるくらいにまで増えた。もう完全に砂利輸送時代のイメージはなくなっているであろう。
航空写真の比較でも完全に砂利線の形跡がゼロになっているのがわかるが、砂利輸送の設備はそれなりに広かったのもお分かりいただけると思うので、この社家も相当量の砂利が採取されていたのであろう。
上記の1961年頃の社家駅界隈を可動式で掲載してみた。地図を広域で見てみると相模川の川幅の変化がわかる。そしてかつての砂利採取場は高速道路になり水道局的な設備になってしまいかつての面影は殆んど無い。
相模線のかつての姿を航空写真で比較するという私自身初の試みであったが、今回はかなり収穫があり、そして相模線の砂利輸送の実態がハッキリと現実的な歴史として実感を得たイメージである。もちろん自家用車で現地に訪問できなくもないが、というより最近は転勤した関係から相武台下付近はほぼ毎日車で通ってるためちょっと寄り道‥みたいな事もできなくもないが、やはり今は「緊急事態宣言」の最中(記事執筆当時)であるためできる限り協力していかなければならない。逆にこうした時だからこそ新しい発見ができたのも正直なところである。
こうした中、私は仕事があり、そして健康状態が維持できている事は本当に幸せなんだと改めて実感しているが、とにかく早期に収束してほしい限りである。そしてこの経験を次回に必ず活かし、例えば国の対応や事務処理等のタイムラグをなくしスピーディーに行動するなどハッキリとした形で政府と国民がギブアンドテイクになれば日本の素晴らしさを世界にもっと知ってもらえる事になるであろう。

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