夏色の相模鉄道② かしわ台
2020-07-05
前回アップした海老名の章でも述べたが、ここかしわ台は相鉄の中では比較的新しい駅である。それまであった大塚本町を廃止しかしわ台とさがみ野に分散させた形にしてかしわ台に車両基地を作った。車両基地ができる前はとんでもない山の中で、正直言って「出る」環境であったろう。
ただ、元々の大塚本町の利用者にも不便の無いようかつての大塚本町駅舎はかしわ台駅東口として、ホームは連絡通路として近年まで使用されてきた。しかしながら駅舎は改築されかつての駅舎は姿をけしたものの、現在も「かしわ台駅」として利用されている。


今回も「地理院地図」にお世話になった。現在と1961年頃のかしわ台比較。かしわ台付近の本線は車両基地の中に消え、改めてルート変更された部分に新たに駅を設置しているのがわかる。特にご覧になってお分かりと思うが、現在のかしわ台駅設置前は一面大自然であった。写真では平面であるが、実際にはかなり立体的で段差が多く、駅設置や車両基地の設置にもかなりの苦労が伺えるであろう。
さて、ここかしわ台であるが、実は私の親戚宅の最寄り駅であり幼少期は再三に渡り訪問していた。ちょうどかしわ台が開業して間もないくらいからで、それまで住んでいた横浜は戸部の団地を離れかしわ台に一軒家を購入したのだ。私も引っ越しの手伝いに行ったりしたが、当時のかしわ台駅界隈はかなり発展途上で、しかも山を開拓して宅地化したため坂が非常に多い。親戚宅もかなりの急坂を登るため車だとひっくり返りそうな、いわばひとりバックドロップ状態にもなりかねないくらいの角度である。体感であるが、恐らく大井川鐵道のアブト区間よりも
ウン百パーミル急である。しかしながらその頂点にある親戚宅の窓からはかしわ台駅がハッキリと見えるので、幼少期はずっと窓を眺めていたものだ。周りから見たらなんて大人しい子供なのだろうと誤解されていたかも知れない。
だがそこから見る風景は、かしわ台の横全景とわいわないがかなりのパノラマ度で、それこそ旧大塚本町のホーム見えるが、幼少時はそこを自転車置場か何かと思っていた。しかしながら、その「自転車置場」からかしわ台駅まではかなりの距離があり、大塚本町をかしわ台としての再利用は苦渋の決断であったと思う。だが、そうして大塚本町の利用者の事もちゃんと考える辺り、会社としての姿勢は評価されよう。
現在と1961年頃との比較を可動式の地図で示してみた。ご覧の通り、地形的制約と将来的な見解が浅かった事からバスロータリー等のスペースが無いのがわかる。現在も駅前はやや狭さを否定できず、更にバスロータリー等のスペースが無い事から、特に朝のラッシュ時等は不便を感じる場面も少なくない。
そんなかしわ台の駅界隈も宅地化が進みスーパー銭湯やスーパーマーケットなどが進出しいくらか賑やかになったものの、地形的制約から駅前はロータリーなどのスペースはなく、バスなどの交通機関でのアプローチはかなり不便を強いられ安全面でも不安な材料を抱えている。
私が、引っ越し直後の親戚宅へ訪問時では先述通りの発展途上であったので現在の姿が想像できなかったが、それ以来の現在、もちろん住宅や商業施設が劇的に増えたものの、イメージ的には昔と変わらぬままの印象である。
ただ、将来的にも他社からの乗り入れが増えて車両基地もキャパ不足気味になるのではと心配材料もあるが、多分その辺りも相鉄は計算しているであろう。
ただ、個人的な意見としては、相模線の入谷付近にはまだ土地に余裕があるので、たとえば相鉄厚木線を使い相模国分から分岐して入谷に直接向かうルートを作るか、JR海老名の手前付近で分岐させ一旦厚木まで行き、戻る形で入谷に向かうかになると思う。ただ、手間はかかるものの土地はそれなりにあるので有効であろう。でもなければ、湘南台よりの延伸により慶應義塾大学付近に駅ができるのであれば、まだまだ土地に余裕があるので思いきってこの慶應義塾大学付近新駅に車両基地を併設するという手もある。いずれにしてもこれは私の勝手な想像であって、実際には法律的な制約や経済的なやりくりもあるので現実的かどうかは不明であるが、ひとつの案としては有効であろうかも知れない。
ただ、元々の大塚本町の利用者にも不便の無いようかつての大塚本町駅舎はかしわ台駅東口として、ホームは連絡通路として近年まで使用されてきた。しかしながら駅舎は改築されかつての駅舎は姿をけしたものの、現在も「かしわ台駅」として利用されている。


今回も「地理院地図」にお世話になった。現在と1961年頃のかしわ台比較。かしわ台付近の本線は車両基地の中に消え、改めてルート変更された部分に新たに駅を設置しているのがわかる。特にご覧になってお分かりと思うが、現在のかしわ台駅設置前は一面大自然であった。写真では平面であるが、実際にはかなり立体的で段差が多く、駅設置や車両基地の設置にもかなりの苦労が伺えるであろう。
さて、ここかしわ台であるが、実は私の親戚宅の最寄り駅であり幼少期は再三に渡り訪問していた。ちょうどかしわ台が開業して間もないくらいからで、それまで住んでいた横浜は戸部の団地を離れかしわ台に一軒家を購入したのだ。私も引っ越しの手伝いに行ったりしたが、当時のかしわ台駅界隈はかなり発展途上で、しかも山を開拓して宅地化したため坂が非常に多い。親戚宅もかなりの急坂を登るため車だとひっくり返りそうな、いわばひとりバックドロップ状態にもなりかねないくらいの角度である。体感であるが、恐らく大井川鐵道のアブト区間よりも
ウン百パーミル急である。しかしながらその頂点にある親戚宅の窓からはかしわ台駅がハッキリと見えるので、幼少期はずっと窓を眺めていたものだ。周りから見たらなんて大人しい子供なのだろうと誤解されていたかも知れない。
だがそこから見る風景は、かしわ台の横全景とわいわないがかなりのパノラマ度で、それこそ旧大塚本町のホーム見えるが、幼少時はそこを自転車置場か何かと思っていた。しかしながら、その「自転車置場」からかしわ台駅まではかなりの距離があり、大塚本町をかしわ台としての再利用は苦渋の決断であったと思う。だが、そうして大塚本町の利用者の事もちゃんと考える辺り、会社としての姿勢は評価されよう。
現在と1961年頃との比較を可動式の地図で示してみた。ご覧の通り、地形的制約と将来的な見解が浅かった事からバスロータリー等のスペースが無いのがわかる。現在も駅前はやや狭さを否定できず、更にバスロータリー等のスペースが無い事から、特に朝のラッシュ時等は不便を感じる場面も少なくない。
そんなかしわ台の駅界隈も宅地化が進みスーパー銭湯やスーパーマーケットなどが進出しいくらか賑やかになったものの、地形的制約から駅前はロータリーなどのスペースはなく、バスなどの交通機関でのアプローチはかなり不便を強いられ安全面でも不安な材料を抱えている。
私が、引っ越し直後の親戚宅へ訪問時では先述通りの発展途上であったので現在の姿が想像できなかったが、それ以来の現在、もちろん住宅や商業施設が劇的に増えたものの、イメージ的には昔と変わらぬままの印象である。
ただ、将来的にも他社からの乗り入れが増えて車両基地もキャパ不足気味になるのではと心配材料もあるが、多分その辺りも相鉄は計算しているであろう。
ただ、個人的な意見としては、相模線の入谷付近にはまだ土地に余裕があるので、たとえば相鉄厚木線を使い相模国分から分岐して入谷に直接向かうルートを作るか、JR海老名の手前付近で分岐させ一旦厚木まで行き、戻る形で入谷に向かうかになると思う。ただ、手間はかかるものの土地はそれなりにあるので有効であろう。でもなければ、湘南台よりの延伸により慶應義塾大学付近に駅ができるのであれば、まだまだ土地に余裕があるので思いきってこの慶應義塾大学付近新駅に車両基地を併設するという手もある。いずれにしてもこれは私の勝手な想像であって、実際には法律的な制約や経済的なやりくりもあるので現実的かどうかは不明であるが、ひとつの案としては有効であろうかも知れない。
スポンサーサイト
コメント
コメントの投稿
トラックバック
この記事へのトラックバックURL
http://4190koawazay.blog.fc2.com/tb.php/903-c24fc6c2