栄光の小田急ロマンスカーNSE
2020-07-25
今でこそ気軽に乗れるロマンスカーであるが、私が小学生時代にはかなり高嶺の花的イメージで、それこそ乗車には一万円くらいするのかと、なかなか近付けずにいた。たが、勇気を出して初めて乗車したロマンスカーがNSEであった。私が小学校低学年の時はよくひとりで東京や上野はもちろん、なぜか西方面に魅力を感じ、小田原、沼津、そして静岡とどんどん足を伸ばしていった。当時の静岡は高架化工事の真っ最中で、確か上りか下りのどちらかが完成していて、子供なりにすごいなと感じていた。
ただ、いくら西方面を攻めても新幹線と「湘南電車」しか見る事ができず、ある意味上野のような華やかさがないので何か物足りないような気がしていた。


所有のプラレール車両で失礼いたしま~す、的な思いであるが、そんなプラレール車両でも貴重となったNSE。私のロマンスカー史上では一番好きな車両である小田急の英雄である。
そんな中、小田原へ行った時は上野に寄った後、新宿よりロマンスカーに乗り小田原を目指したのであった。ただ、特急券の買い方とかわからず車内で購入した記憶である。そして売店で冷凍みかんを買いいざ小田原まで。
私の記憶だと確か1977年頃だったと思うが、当時は新宿~小田原間の停車駅が無かったイメージで、町田や本厚木などから乗車するという方法すら思い付かなかったが、私がこの時乗ったNSEも小田原までノンストップであった。
やがて女性のアテンダントらしき乗務員がやって来たので特急券の買い方や座席の位置などを確認した。ただ、当時は指定席の意味もあまりわからなかったのか、空席目立ち座席選び放題の車内で私は窓側に座った。
普段から国鉄しか利用していなかったので何もかもが新鮮で、国鉄では見かけない駅名標や車輌も珍しく、増して私鉄の特急列車に乗るのだからこれはすごいことであった。

画像はウィキより転用させていただいたNSE。やはり女性アテンダントが乗車していると「箱根に行くぞ!」という気合が入る。
というか、冒頭で私は「よくひとりで」と表現したが、これはどうやら珍しい事らしい。周りの友達とかに「よくひとりで行けるね」と言われた。その「ひとりで」とはひとりだと心細いとか迷子になったらどうするとかの意味ではなく、よく親がひとりで出かける事を許したものだなという事だ。もちろん迷子云々はあるだろうが、私にしてみたら日本の鉄道路線図は頭の中に入っていたし、駅名だって東海道線なら東京から順番に全駅言えた(当時)ので周りが思うほどの事件的なものではなかった。
とまぁ、こんな調子であるから私の親も放っておいたのといちいちついていくのが面倒だったのだろう。

私がNSEに初乗車した当時は「あさぎり」として活躍していたSSE。短絡線を経由し御殿場線に乗り入れる姿は素晴らしいであったろう。これも一度乗車してみたかった。(画像はウィキより)
さて、初のロマンスカーに乗り小田原で下車した私は東海道線のホームに向かった。普通なら箱根まで行ってしまうのだろうがやはりまだまだ子供だったのだろう。箱根よりも小田原の方が国鉄がいて安心だったのかもしれない。そして、狙って東海道線のホームではNSEと0系新幹線が上下でクロスする写真を収めた。本来なら皆様に披露したいところであるが、実は当時、いわゆるバカチョンカメラしか所有しておらず、望遠レンズによる撮影ではないので交点部分が非常に小さくスモールに写っているため非常に伝わりにくいのと、写真自体の所在が分からないためお見せすることができないのだ。ただ、私の記憶にはしっかりと脳裏に焼き付いているため、脳裏にある画像をプリントアウトする機械みたいなのをドラえもんに借りれば恐らく素敵な画像を紹介できる事であろう。
同じ頃に活躍したSSEは当時「あさぎり」として御殿場まで活躍していたが、私は見た事がない。いや、正確には見た事があるかも知れないのだが記憶にない。そしてLSEは近年まで活躍していたが、デビュー直前には東海道線で試運転を行っていて茅ヶ崎~平塚間の馬入橋付近で撮影したりしていたので親しみもあった。
だが、歴代ロマンスカーの中でどれかひとつ名車を挙げろといわれたらやはり私はNSEを真っ先に挙げたい。その理由は、私と同世代の方や昭和を知る方なら私の気持ちが一番分かるであろう。
ただ、いくら西方面を攻めても新幹線と「湘南電車」しか見る事ができず、ある意味上野のような華やかさがないので何か物足りないような気がしていた。


所有のプラレール車両で失礼いたしま~す、的な思いであるが、そんなプラレール車両でも貴重となったNSE。私のロマンスカー史上では一番好きな車両である小田急の英雄である。
そんな中、小田原へ行った時は上野に寄った後、新宿よりロマンスカーに乗り小田原を目指したのであった。ただ、特急券の買い方とかわからず車内で購入した記憶である。そして売店で冷凍みかんを買いいざ小田原まで。
私の記憶だと確か1977年頃だったと思うが、当時は新宿~小田原間の停車駅が無かったイメージで、町田や本厚木などから乗車するという方法すら思い付かなかったが、私がこの時乗ったNSEも小田原までノンストップであった。
やがて女性のアテンダントらしき乗務員がやって来たので特急券の買い方や座席の位置などを確認した。ただ、当時は指定席の意味もあまりわからなかったのか、空席目立ち座席選び放題の車内で私は窓側に座った。
普段から国鉄しか利用していなかったので何もかもが新鮮で、国鉄では見かけない駅名標や車輌も珍しく、増して私鉄の特急列車に乗るのだからこれはすごいことであった。

画像はウィキより転用させていただいたNSE。やはり女性アテンダントが乗車していると「箱根に行くぞ!」という気合が入る。
というか、冒頭で私は「よくひとりで」と表現したが、これはどうやら珍しい事らしい。周りの友達とかに「よくひとりで行けるね」と言われた。その「ひとりで」とはひとりだと心細いとか迷子になったらどうするとかの意味ではなく、よく親がひとりで出かける事を許したものだなという事だ。もちろん迷子云々はあるだろうが、私にしてみたら日本の鉄道路線図は頭の中に入っていたし、駅名だって東海道線なら東京から順番に全駅言えた(当時)ので周りが思うほどの事件的なものではなかった。
とまぁ、こんな調子であるから私の親も放っておいたのといちいちついていくのが面倒だったのだろう。

私がNSEに初乗車した当時は「あさぎり」として活躍していたSSE。短絡線を経由し御殿場線に乗り入れる姿は素晴らしいであったろう。これも一度乗車してみたかった。(画像はウィキより)
さて、初のロマンスカーに乗り小田原で下車した私は東海道線のホームに向かった。普通なら箱根まで行ってしまうのだろうがやはりまだまだ子供だったのだろう。箱根よりも小田原の方が国鉄がいて安心だったのかもしれない。そして、狙って東海道線のホームではNSEと0系新幹線が上下でクロスする写真を収めた。本来なら皆様に披露したいところであるが、実は当時、いわゆるバカチョンカメラしか所有しておらず、望遠レンズによる撮影ではないので交点部分が非常に小さくスモールに写っているため非常に伝わりにくいのと、写真自体の所在が分からないためお見せすることができないのだ。ただ、私の記憶にはしっかりと脳裏に焼き付いているため、脳裏にある画像をプリントアウトする機械みたいなのをドラえもんに借りれば恐らく素敵な画像を紹介できる事であろう。
同じ頃に活躍したSSEは当時「あさぎり」として御殿場まで活躍していたが、私は見た事がない。いや、正確には見た事があるかも知れないのだが記憶にない。そしてLSEは近年まで活躍していたが、デビュー直前には東海道線で試運転を行っていて茅ヶ崎~平塚間の馬入橋付近で撮影したりしていたので親しみもあった。
だが、歴代ロマンスカーの中でどれかひとつ名車を挙げろといわれたらやはり私はNSEを真っ先に挙げたい。その理由は、私と同世代の方や昭和を知る方なら私の気持ちが一番分かるであろう。
スポンサーサイト
コメント
コメントの投稿
トラックバック
この記事へのトラックバックURL
http://4190koawazay.blog.fc2.com/tb.php/907-224722cb