Return to my しずてつ ~静岡市内、しない、ナツ~ プロローグ
2020-07-30
新型コロナウィルス感染拡大による自粛要請を受け外出、または県を跨ぐ移動について制限されていたが、ようやく自粛要請の解除を受けて初めて県外に取材に出た。だが再び感染が拡大し「第二波」とも受け取れる現象が出てきている。
解除直後の某月某日、会社からの意向で私は早めの夏期休暇を取得し、隣の静岡県に向かった。ただ、解除になったからといってコロナが完全に収束(終息)したわけではない。東京都知事などが連日のように口にしていた「withコロナ」、つまりこれから先はコロナと共存していかなければならないという環境の中で生活しなければならないということ事である。もちろん感染対策をしっかりやらないと自分はともかく、他の人に感染させないようにする事が大切な事であろう。

あまり関連性がないが、今回の旅ではこんな場所にも寄ってみた。静岡地区では清水~島田辺りで利用者が多いが、そのピンポイント区間列車で折り返し駅として活躍するのがここ奥津。本来なら清水で折り返し等の作業があったほうが効率が良いのであろうが、清水では折り返しの設備が無いためここ奥津まで列車がやって来る。駅前は静かな印象であったが、ちょっと歩いて国道に出てみるとかなりの賑わいを見せていた。
静岡といえば新幹線の駅が県内に5駅もあり全国最多であるが、特に浜名湖や伊豆、熱海、そして富士山と、名所や名物も何かと多い。
そんな静岡県の中心部である静岡市に目を向けると、市内では静岡鉄道がレールそしてバス路線共に網の目を張っている。今回、かねてから気になっていた静岡鉄道にスポットを充てじっくりと観察してみたい。とはいえ、私が幼少時代の時に活躍していた車両も新しい車両との入れ替えが進み、かつての車両は近い将来に全て現役から退く事が決定している。旧の車両を見れるのも最後のタイミングとなり、私もそれに合わせる形になったが、ある意味最初は意識していなかったのが、いざ行くと決まれば必ず旧車両を収めてやる!という頑なな決意の元での出航となった。
しかしながら今回の取材はコロナ対策により全てを車で行動。ホームには入らず全てを外部からの取材に徹底した。そのためホームの風景などの撮影はできなかったが、外側から見る事により、普段から定期的に利用している地元の皆様により近い気持ちになれた気がした。

今回はこの車両を写真に収める最後のチャンスと位置づけ果敢に挑んだ。割と巡り合うチャンスに恵まれかなりの数を収めるのに成功したが、更に後に紹介する長沼にある車両基地ではオリジナルカラーに出会えた!
さて今回の静岡鉄道であるが、2000年から2010年頃までは利用者的にはかなり苦戦していたとの報告があるが、急行を復活させた2011年頃からはやや上昇傾向にある。かつては終日急行列車も設定され速達的なアピールもあったが、JRが東静岡を設置する前後より、かなり下り坂になってきた印象である。だが、それより前に、実は上越新幹線が開業した1982年11月15日に国鉄がダイヤ改正した時期とやや関連性があるような気もする。というのも、当時の国鉄は「短編成、高頻度運転」というテーマで都市輸送力アップで増収を図ったのが丁度このダイヤ改正からであった。

最新の静鉄車両はこんな感じです!昭和人間の私にとって全く静鉄のイメージがつかない車両であるが、地元の方にとっては非常に頼もしい存在であろう。
例えば沼津~浜松間を例にすると、普通列車設定が沼津発浜松行きを30分間隔で8両編成の列車を設定してたとしよう。その列車を、例えば4両編成にして、切り離した4両編成の列車を興津~島田間に設定し沼津~浜松行の間にはめ込めば、静岡発着の列車が15分間隔で運転される事になる。こんなイメージでピンポイントで運転本数を増やして利便性をアピールした感じであったと思う。試験的に広島地区などで導入され、静岡地区は1984年より導入され「スルガシャトル」なる名称で新しい仲間も増えスタートした進化系が現在の形である静岡発10分ヘッド運転であろう。その辺りの国鉄~JRの動きにやや静鉄が影響を受けた印象も少なからずあろう。

昭和的な車両は姿を消すことが決定している。こちらも同じく新型車両。近い将来、こちらのモデルに全て入れ替わり、私がよく知る静岡鉄道的な車両はフェードアウトして「オリジナル」が見れなくなる日が遅かれ早かれやってくるのは寂しい限りであるが・・・
そんな静岡鉄道であるが、鉄道路線名は静岡清水線であり、文字通り完全に地域密着型で地元民の愛着を感じずにいられないので、思い切って全駅を巡ってみた。各々の駅の印象等はこれから綴っていこうと思うが、JR、コロナと厳しい戦いがこれからも続いて行く中、是非とも頑張っていただきたい思いである。

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解除直後の某月某日、会社からの意向で私は早めの夏期休暇を取得し、隣の静岡県に向かった。ただ、解除になったからといってコロナが完全に収束(終息)したわけではない。東京都知事などが連日のように口にしていた「withコロナ」、つまりこれから先はコロナと共存していかなければならないという環境の中で生活しなければならないということ事である。もちろん感染対策をしっかりやらないと自分はともかく、他の人に感染させないようにする事が大切な事であろう。

あまり関連性がないが、今回の旅ではこんな場所にも寄ってみた。静岡地区では清水~島田辺りで利用者が多いが、そのピンポイント区間列車で折り返し駅として活躍するのがここ奥津。本来なら清水で折り返し等の作業があったほうが効率が良いのであろうが、清水では折り返しの設備が無いためここ奥津まで列車がやって来る。駅前は静かな印象であったが、ちょっと歩いて国道に出てみるとかなりの賑わいを見せていた。
静岡といえば新幹線の駅が県内に5駅もあり全国最多であるが、特に浜名湖や伊豆、熱海、そして富士山と、名所や名物も何かと多い。
そんな静岡県の中心部である静岡市に目を向けると、市内では静岡鉄道がレールそしてバス路線共に網の目を張っている。今回、かねてから気になっていた静岡鉄道にスポットを充てじっくりと観察してみたい。とはいえ、私が幼少時代の時に活躍していた車両も新しい車両との入れ替えが進み、かつての車両は近い将来に全て現役から退く事が決定している。旧の車両を見れるのも最後のタイミングとなり、私もそれに合わせる形になったが、ある意味最初は意識していなかったのが、いざ行くと決まれば必ず旧車両を収めてやる!という頑なな決意の元での出航となった。
しかしながら今回の取材はコロナ対策により全てを車で行動。ホームには入らず全てを外部からの取材に徹底した。そのためホームの風景などの撮影はできなかったが、外側から見る事により、普段から定期的に利用している地元の皆様により近い気持ちになれた気がした。

今回はこの車両を写真に収める最後のチャンスと位置づけ果敢に挑んだ。割と巡り合うチャンスに恵まれかなりの数を収めるのに成功したが、更に後に紹介する長沼にある車両基地ではオリジナルカラーに出会えた!
さて今回の静岡鉄道であるが、2000年から2010年頃までは利用者的にはかなり苦戦していたとの報告があるが、急行を復活させた2011年頃からはやや上昇傾向にある。かつては終日急行列車も設定され速達的なアピールもあったが、JRが東静岡を設置する前後より、かなり下り坂になってきた印象である。だが、それより前に、実は上越新幹線が開業した1982年11月15日に国鉄がダイヤ改正した時期とやや関連性があるような気もする。というのも、当時の国鉄は「短編成、高頻度運転」というテーマで都市輸送力アップで増収を図ったのが丁度このダイヤ改正からであった。

最新の静鉄車両はこんな感じです!昭和人間の私にとって全く静鉄のイメージがつかない車両であるが、地元の方にとっては非常に頼もしい存在であろう。
例えば沼津~浜松間を例にすると、普通列車設定が沼津発浜松行きを30分間隔で8両編成の列車を設定してたとしよう。その列車を、例えば4両編成にして、切り離した4両編成の列車を興津~島田間に設定し沼津~浜松行の間にはめ込めば、静岡発着の列車が15分間隔で運転される事になる。こんなイメージでピンポイントで運転本数を増やして利便性をアピールした感じであったと思う。試験的に広島地区などで導入され、静岡地区は1984年より導入され「スルガシャトル」なる名称で新しい仲間も増えスタートした進化系が現在の形である静岡発10分ヘッド運転であろう。その辺りの国鉄~JRの動きにやや静鉄が影響を受けた印象も少なからずあろう。

昭和的な車両は姿を消すことが決定している。こちらも同じく新型車両。近い将来、こちらのモデルに全て入れ替わり、私がよく知る静岡鉄道的な車両はフェードアウトして「オリジナル」が見れなくなる日が遅かれ早かれやってくるのは寂しい限りであるが・・・
そんな静岡鉄道であるが、鉄道路線名は静岡清水線であり、文字通り完全に地域密着型で地元民の愛着を感じずにいられないので、思い切って全駅を巡ってみた。各々の駅の印象等はこれから綴っていこうと思うが、JR、コロナと厳しい戦いがこれからも続いて行く中、是非とも頑張っていただきたい思いである。

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