風立ちぬ~今は秋OR冬?①
2020-11-20
風立ちぬ~今は秋。今日から私は心の旅人・・・というよりこの記事がアップされる頃にはほぼ冬の域に足を踏み入れている事であろう。
ところで、私が日本で一番好きな鉄道路線は石勝線であり、しかも新夕張~新得間であることは再三に渡りこのブログにてお伝えしてきたが、この意見にどれだけの方が協賛、そして賛同してくれるであろうか。もちろん魅力的な鉄道路線は他にもたくさんあり、そして人気のある路線も少なくない。ただ「一番というと…」という声も少なくないであろう。
ではなぜ私がこれほどまでに石勝線に魅力を感じているのか、この章を通じて皆様に少しでもご理解いただけたら幸いである。

1983年10月訪問時の新夕張。紅葉山から新夕張に改称されて2年が経過しているが、訪問当時の私は新しい「夕張線」を実に肌で感じた気持ちであった。駅前を散策したところ、現在の道の駅の場所に旧・紅葉山のホームなどの残骸がしっかり残っていた。
さて、ここで石勝線についていろいろ述べていくが、細かい歴史や沿革についてはウィキやその他鉄道誌に記載されている内容をダラダラト復唱する気は毛頭ない。というよりその辺りはそちら方面にお任せして、ここでは私の個人的意見や実際に訪問して感じた事をメインに綴りたいと思う。
私が石勝線に最初に訪問したのはこのブログにて再三に渡り紹介している1983年10月の事であった。メインテーマである白糠線廃止情報を受けての乗り収めに参戦する事であったが、夕張線から改良された石勝線誕生は私にとってもの凄く斬新な出来事で、特に新夕張~新得間はなぜか物凄く興味をそそられた。また、炭坑路線であったローカル線に一躍特急列車が走るとは実に画期的で、更には楓の普通列車独立ホームや連なる信号場や超秘境を走るのに当時としては最新の鉄道技術を駆使し道東アクセスとして最大の貢献をするなど、当時発行の鉄道ジャーナルや鉄道ファンなどくまなく読みいつか訪問したいと目をギラギラさせていた。
特に占冠や石勝高原(現、トマム)には実際にホームに降りたい!と中学生ながらに思っていた。

紅葉山から劇的に変化した新夕張。2014年訪問時に撮影したものなので、移転開業から実に33年が経過していたのだが、老朽化が見え隠れする場面を目の当たりにすると、開業当時の華やかさが嘘のように思えるのは気のせいか・・・
実際に下車できたのは1994年1月にトマム、占冠に至っては開業から33年経った2014年に下車というよりレンタカーでの訪問が事実上初であった。33年と言えば生まれた娘が33歳になったという事になるが、それほどの年月が経った事になる。開業当時は最新技術であった鉄道設備も、この時訪れた時には既に老朽化の入口に入りかけていた印象であった、くらいの時間が経過した事になる。にも関わらず石勝線への思いは殆んど変化がないのは自分でも面白いと思う。もちろん石北本線や宗谷本線など魅力たっぷりの路線はあるし、芸備線や、もっと言えば廃止された清水港線なんて大好きな路線でもある。しかしながら石勝線はそれらより群を抜いて強烈に私にアピールしてくるのはなぜだろうか。そんな思いが6年前(2020年現在)、石勝線のレンタカーでの訪問に結びついてくるわけであるが、特に東オサワ信号場他、各信号場への訪問が実現した事は人生で最大の部類に入る嬉しさを感じた。

2014年訪問時の東オサワである。もちろんであるがレンタカーでの訪問で、ご覧の通り「野生」「ジャングル」の血が漂う。というより、1983年に初めて石勝線に訪れたのが中学三年であったのでこうした信号場への訪問はほぼ不可能であったのだから、こうして未知の世界への冒険ができるようになった自分が実に幸せを感じるとともに、そうした環境にいられる事への感謝の気持ちが沸いて来る!的な思いを感じる石勝線の存在は私にとってはかけがえのないものである。
ただ、自然界の法則に規則正しく則っているため、特に東オサワなどは詰所には上から蛇が降ってきたりしたので近寄れなかったし、中には目の前まで来ていたにもかかわらず、取材を断念した事もあった。それでも石勝線の驚異を肌で実感できただけでも貴重な体験であったし、更に再び挑戦しようと硬い決意をした場面もあった。
正直言って私は大自然よりも都会の風景を好むが、特にオサワ辺りはハッキリ言って「ジャングル」である。よくぞこの地に鉄道を敷設しようとし、そして実際に現場にて果敢に山を切り開き、トンネルを掘ろうと行動した先代はとても勇敢であり素晴らしいとつくづく思う。現在ほど重機や技術も発達していない時代によくこれだけの仕事を成し遂げた事実は素晴らしい。ただ、時代の波には逆らえず、信号場や駅の廃止や格下げもあり開業当時よりかなり姿が変わってきている。将来を見越した設計であったが、先代の思いとは違った方向に進んでしまうのはある意味辛い部分でもあろう。石勝線が、というより経営母体であるJR北海道自身の経営が危ぶまれている現在、今後の動向が非常に注目されよう。

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ところで、私が日本で一番好きな鉄道路線は石勝線であり、しかも新夕張~新得間であることは再三に渡りこのブログにてお伝えしてきたが、この意見にどれだけの方が協賛、そして賛同してくれるであろうか。もちろん魅力的な鉄道路線は他にもたくさんあり、そして人気のある路線も少なくない。ただ「一番というと…」という声も少なくないであろう。
ではなぜ私がこれほどまでに石勝線に魅力を感じているのか、この章を通じて皆様に少しでもご理解いただけたら幸いである。

1983年10月訪問時の新夕張。紅葉山から新夕張に改称されて2年が経過しているが、訪問当時の私は新しい「夕張線」を実に肌で感じた気持ちであった。駅前を散策したところ、現在の道の駅の場所に旧・紅葉山のホームなどの残骸がしっかり残っていた。
さて、ここで石勝線についていろいろ述べていくが、細かい歴史や沿革についてはウィキやその他鉄道誌に記載されている内容をダラダラト復唱する気は毛頭ない。というよりその辺りはそちら方面にお任せして、ここでは私の個人的意見や実際に訪問して感じた事をメインに綴りたいと思う。
私が石勝線に最初に訪問したのはこのブログにて再三に渡り紹介している1983年10月の事であった。メインテーマである白糠線廃止情報を受けての乗り収めに参戦する事であったが、夕張線から改良された石勝線誕生は私にとってもの凄く斬新な出来事で、特に新夕張~新得間はなぜか物凄く興味をそそられた。また、炭坑路線であったローカル線に一躍特急列車が走るとは実に画期的で、更には楓の普通列車独立ホームや連なる信号場や超秘境を走るのに当時としては最新の鉄道技術を駆使し道東アクセスとして最大の貢献をするなど、当時発行の鉄道ジャーナルや鉄道ファンなどくまなく読みいつか訪問したいと目をギラギラさせていた。
特に占冠や石勝高原(現、トマム)には実際にホームに降りたい!と中学生ながらに思っていた。

紅葉山から劇的に変化した新夕張。2014年訪問時に撮影したものなので、移転開業から実に33年が経過していたのだが、老朽化が見え隠れする場面を目の当たりにすると、開業当時の華やかさが嘘のように思えるのは気のせいか・・・
実際に下車できたのは1994年1月にトマム、占冠に至っては開業から33年経った2014年に下車というよりレンタカーでの訪問が事実上初であった。33年と言えば生まれた娘が33歳になったという事になるが、それほどの年月が経った事になる。開業当時は最新技術であった鉄道設備も、この時訪れた時には既に老朽化の入口に入りかけていた印象であった、くらいの時間が経過した事になる。にも関わらず石勝線への思いは殆んど変化がないのは自分でも面白いと思う。もちろん石北本線や宗谷本線など魅力たっぷりの路線はあるし、芸備線や、もっと言えば廃止された清水港線なんて大好きな路線でもある。しかしながら石勝線はそれらより群を抜いて強烈に私にアピールしてくるのはなぜだろうか。そんな思いが6年前(2020年現在)、石勝線のレンタカーでの訪問に結びついてくるわけであるが、特に東オサワ信号場他、各信号場への訪問が実現した事は人生で最大の部類に入る嬉しさを感じた。

2014年訪問時の東オサワである。もちろんであるがレンタカーでの訪問で、ご覧の通り「野生」「ジャングル」の血が漂う。というより、1983年に初めて石勝線に訪れたのが中学三年であったのでこうした信号場への訪問はほぼ不可能であったのだから、こうして未知の世界への冒険ができるようになった自分が実に幸せを感じるとともに、そうした環境にいられる事への感謝の気持ちが沸いて来る!的な思いを感じる石勝線の存在は私にとってはかけがえのないものである。
ただ、自然界の法則に規則正しく則っているため、特に東オサワなどは詰所には上から蛇が降ってきたりしたので近寄れなかったし、中には目の前まで来ていたにもかかわらず、取材を断念した事もあった。それでも石勝線の驚異を肌で実感できただけでも貴重な体験であったし、更に再び挑戦しようと硬い決意をした場面もあった。
正直言って私は大自然よりも都会の風景を好むが、特にオサワ辺りはハッキリ言って「ジャングル」である。よくぞこの地に鉄道を敷設しようとし、そして実際に現場にて果敢に山を切り開き、トンネルを掘ろうと行動した先代はとても勇敢であり素晴らしいとつくづく思う。現在ほど重機や技術も発達していない時代によくこれだけの仕事を成し遂げた事実は素晴らしい。ただ、時代の波には逆らえず、信号場や駅の廃止や格下げもあり開業当時よりかなり姿が変わってきている。将来を見越した設計であったが、先代の思いとは違った方向に進んでしまうのはある意味辛い部分でもあろう。石勝線が、というより経営母体であるJR北海道自身の経営が危ぶまれている現在、今後の動向が非常に注目されよう。

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