風立ちぬ~今は秋OR冬?⑤
2020-12-10
石勝線の魅力はなんだろう?と自問自答しながら綴ってみたが、果たしてハッキリとした見解が記されていたであろうか。そして皆様に伝わったであろうか。多分どちらも満たされてはいなかったかも知れない。
ただ、ハッキリとわかることは炭坑路線が観光路線に変化した事。更に道東アクセスの役割をプラスし当時の最新設備を投資し飛躍し活躍してきた事。
ただ、沿線人口の減少やライバルである高速道路の出現で石勝線を取り巻く環境が大きく変わり、当初の思惑とは違った時代の流れを歩んでいる事も確かで、開業当時から駅や信号場の減少や格下げも目立ち北海道での鉄道経営の厳しさを改めて思いし知らされたイメージである。

夕張線の一部は特急列車が走るため改良された。開業当時、夕張線に特急列車が走る事自体強い衝撃を受けたが、現在ではその夕張線の一部であった駅も信号場等に格下げされてしまいJR北海道の厳しい現実がひしひしと伝わってくる。東追分もそのひとつだ。
それでも石勝線の新線区間はもともと人口希少地帯を走るのだから、ある程度の計算は出来ていたであろう。例えばオサワなどでわかるように駅としてではなく開業当初から信号場として現れているのは典型的な例であろうが、それでも計画当初は駅としての構想があったのだから、如何に石勝線が地元の悲願であったかお分かりであろう。
しかし、悲願が達成されよう頃にはそこに生活は無く、豊かな自然とのゴースト化した一部の集落が残るのみで、唯一、占冠が「大都会」としてリゾートと共に現在も活きているのはある意味奇跡と言っても良いくらい素晴らしい事である!そんな哀愁漂う石勝線が私は愛おしくてたまらないのであろう。

石勝線開業時には想像もしなかった建物が石勝線沿線に登場した!しかもバブル期には「リゾート」と呼ぶにふさわしい内容であったので私も憧れの存在であった。駅名も石勝高原から現駅名のトマムに改称されるほどその衝撃は凄かった。
二十歳くらいの頃、私は彼女とかとトマムのツインタワーやガレリアスイートに宿泊するのが密かな夢であった。二十代でその夢は果たせなかったが、そんな夢を抱いてしまう魅力がトマムにはある。そし2014年にはレンタカーで石勝線の各信号場と駅を巡ったが全てではなかった。
乗り潰しを主体として近年までライフワークだった名残からあまりリピートするという習慣や感覚が私には少ないように感じる中、再び三たびリピートしてきたのは石勝線のみである。
「もう、お腹いっぱい?」
いやいや、全然!私にはまだ知らない石勝線が無数にある。いや、あるはずだしもっと知りたい。石勝線の魅力について考えてみたが結論は出ない。いや、逆に完璧に魅力が全てわかってしまったら魅力が無くなってしまいそうな気がする。
魅力探しの旅…それは永遠に続きそうな気がする。だから石勝線の旅は面白いのかも知れない。

最後に鹿ノ谷であるが・・・全盛期は夕張鉄道との接続駅でもあった。広い構内が炭鉱時代の盛栄を無言で語りかけているが、現在はレールそのものがなくなってしまった。私的には新夕張~夕張はそのまま夕張線でもよかった気がするのだが、なぜ石勝線になったのか・・・その真意は如何に!

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村
鉄道全線完全制覇の旅
ただ、ハッキリとわかることは炭坑路線が観光路線に変化した事。更に道東アクセスの役割をプラスし当時の最新設備を投資し飛躍し活躍してきた事。
ただ、沿線人口の減少やライバルである高速道路の出現で石勝線を取り巻く環境が大きく変わり、当初の思惑とは違った時代の流れを歩んでいる事も確かで、開業当時から駅や信号場の減少や格下げも目立ち北海道での鉄道経営の厳しさを改めて思いし知らされたイメージである。

夕張線の一部は特急列車が走るため改良された。開業当時、夕張線に特急列車が走る事自体強い衝撃を受けたが、現在ではその夕張線の一部であった駅も信号場等に格下げされてしまいJR北海道の厳しい現実がひしひしと伝わってくる。東追分もそのひとつだ。
それでも石勝線の新線区間はもともと人口希少地帯を走るのだから、ある程度の計算は出来ていたであろう。例えばオサワなどでわかるように駅としてではなく開業当初から信号場として現れているのは典型的な例であろうが、それでも計画当初は駅としての構想があったのだから、如何に石勝線が地元の悲願であったかお分かりであろう。
しかし、悲願が達成されよう頃にはそこに生活は無く、豊かな自然とのゴースト化した一部の集落が残るのみで、唯一、占冠が「大都会」としてリゾートと共に現在も活きているのはある意味奇跡と言っても良いくらい素晴らしい事である!そんな哀愁漂う石勝線が私は愛おしくてたまらないのであろう。

石勝線開業時には想像もしなかった建物が石勝線沿線に登場した!しかもバブル期には「リゾート」と呼ぶにふさわしい内容であったので私も憧れの存在であった。駅名も石勝高原から現駅名のトマムに改称されるほどその衝撃は凄かった。
二十歳くらいの頃、私は彼女とかとトマムのツインタワーやガレリアスイートに宿泊するのが密かな夢であった。二十代でその夢は果たせなかったが、そんな夢を抱いてしまう魅力がトマムにはある。そし2014年にはレンタカーで石勝線の各信号場と駅を巡ったが全てではなかった。
乗り潰しを主体として近年までライフワークだった名残からあまりリピートするという習慣や感覚が私には少ないように感じる中、再び三たびリピートしてきたのは石勝線のみである。
「もう、お腹いっぱい?」
いやいや、全然!私にはまだ知らない石勝線が無数にある。いや、あるはずだしもっと知りたい。石勝線の魅力について考えてみたが結論は出ない。いや、逆に完璧に魅力が全てわかってしまったら魅力が無くなってしまいそうな気がする。
魅力探しの旅…それは永遠に続きそうな気がする。だから石勝線の旅は面白いのかも知れない。

最後に鹿ノ谷であるが・・・全盛期は夕張鉄道との接続駅でもあった。広い構内が炭鉱時代の盛栄を無言で語りかけているが、現在はレールそのものがなくなってしまった。私的には新夕張~夕張はそのまま夕張線でもよかった気がするのだが、なぜ石勝線になったのか・・・その真意は如何に!

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村
鉄道全線完全制覇の旅
スポンサーサイト
コメント
コメントの投稿
トラックバック
この記事へのトラックバックURL
http://4190koawazay.blog.fc2.com/tb.php/932-23822afb