瀬音ゆかしき杜の都 ⑤
2021-01-05
阿武隈急行線はもともと東北本線のバイパス的な意味合いで計画されたのは周知の通りであるが。正直、まさか全通されるとは思わなかった。しかも福島交通と同じホームから出てるとは!訪問当時はその理由について全くわからなかったが、お陰で懐かしい部分も込み上げてきて嬉しい誤算でもあった。

強力に大きいサイズでウィキペディアより転用させていただいた福島交通に譲渡された元東急5000系。1988年に飯坂温泉に合宿による自動車免許取得のため一ヶ月弱滞在した時に大活躍していた。滞在先は飯坂温泉で教習所が泉にあったため、送迎バスのある時間帯意外に教習所に行くには「福交」が欠かせなかった。たまに医王寺前とかでオーバーランする場面も・・・
と言うのも、実は1988年に飯坂温泉に合宿免許取得に向け26日間滞在したからであった。20日間の予定だったので約一週間近くのオーバーであったが、その代わりに得るものや思い出、そして仲間たちなど多くの「利益」を産むことになったのは大きな収穫であった。思い出せばキリがないが、送迎バスに乗り遅れた場合は飯坂温泉から教習所のある泉まで、元東急の「青ガエル」5000系で向かったものだ。時には医王寺前でオーバーランしたりとなかなかスリリングであったが、そんな昔を思い出させるホームは昔と変わらぬ佇まいであった。いっそ福島交通の寄り道も本気で考えたが、今回は杜の都が私を待っている‥そんなプレッシャーもあり泣く泣く見送った。だが、阿武隈急行に乗ってみると、途中までは当然同じ線路を通るので瞬時にして18歳当時の自分に戻ったイメージになってしまった。
暫くすると、当然ながら福島交通と別れを告げるが、考えてみたら阿武隈急行、福島交通共に電化されているのが素晴らしい。もしかしたら将来的に長野電鉄のように首都圏で活躍した電車などが第二の人生を送る場面が見られるかも知れない。

1983年訪問時の丸森は土砂降りの雨であった。このあと利府に向かい、更に折り返して白石へ・・・仙台を中心に行ったり来たりの工程は夜行列車に乗るための時間調整であった。だが、まさか丸森の駅名標の空白部分に駅名が書かれる事になるとは当時全く思わなかった。
さて、新しく開業した丸森~福島間は私にしてみたら当然ながら初乗りであり新鮮である。「塔のへつり」や「あぶくま」など、如何にも三セクらしいネーミングの駅が軒を連ねる。が、丸森から槻木までは1983年以来の訪問のため懐かしい。特に国鉄時代は棒線駅であった丸森や角田は見違えるほど立派な駅になった。
丸森や角田は将来的な準備であった列車交換のための線路用地など見られたが、まさか本当に現在になってその用地が活かされるとは思わなかった。「赤字ローカル線」「廃止路線」などの項目に常に顔を出していた記憶で、1983年訪問時は土砂降りの雨プラス既に日も暮れており、沿線風景など全く確認できなかった。ただ今回は明るい時間帯の訪問のためしっかりと町並みを拝見できよう。
東北本線のバイパスとなるはずだった丸森線は三セクという形に変われど、新しい何かを私に教えてくれているような沿線風景をみせてくれているようであった。

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強力に大きいサイズでウィキペディアより転用させていただいた福島交通に譲渡された元東急5000系。1988年に飯坂温泉に合宿による自動車免許取得のため一ヶ月弱滞在した時に大活躍していた。滞在先は飯坂温泉で教習所が泉にあったため、送迎バスのある時間帯意外に教習所に行くには「福交」が欠かせなかった。たまに医王寺前とかでオーバーランする場面も・・・
と言うのも、実は1988年に飯坂温泉に合宿免許取得に向け26日間滞在したからであった。20日間の予定だったので約一週間近くのオーバーであったが、その代わりに得るものや思い出、そして仲間たちなど多くの「利益」を産むことになったのは大きな収穫であった。思い出せばキリがないが、送迎バスに乗り遅れた場合は飯坂温泉から教習所のある泉まで、元東急の「青ガエル」5000系で向かったものだ。時には医王寺前でオーバーランしたりとなかなかスリリングであったが、そんな昔を思い出させるホームは昔と変わらぬ佇まいであった。いっそ福島交通の寄り道も本気で考えたが、今回は杜の都が私を待っている‥そんなプレッシャーもあり泣く泣く見送った。だが、阿武隈急行に乗ってみると、途中までは当然同じ線路を通るので瞬時にして18歳当時の自分に戻ったイメージになってしまった。
暫くすると、当然ながら福島交通と別れを告げるが、考えてみたら阿武隈急行、福島交通共に電化されているのが素晴らしい。もしかしたら将来的に長野電鉄のように首都圏で活躍した電車などが第二の人生を送る場面が見られるかも知れない。

1983年訪問時の丸森は土砂降りの雨であった。このあと利府に向かい、更に折り返して白石へ・・・仙台を中心に行ったり来たりの工程は夜行列車に乗るための時間調整であった。だが、まさか丸森の駅名標の空白部分に駅名が書かれる事になるとは当時全く思わなかった。
さて、新しく開業した丸森~福島間は私にしてみたら当然ながら初乗りであり新鮮である。「塔のへつり」や「あぶくま」など、如何にも三セクらしいネーミングの駅が軒を連ねる。が、丸森から槻木までは1983年以来の訪問のため懐かしい。特に国鉄時代は棒線駅であった丸森や角田は見違えるほど立派な駅になった。
丸森や角田は将来的な準備であった列車交換のための線路用地など見られたが、まさか本当に現在になってその用地が活かされるとは思わなかった。「赤字ローカル線」「廃止路線」などの項目に常に顔を出していた記憶で、1983年訪問時は土砂降りの雨プラス既に日も暮れており、沿線風景など全く確認できなかった。ただ今回は明るい時間帯の訪問のためしっかりと町並みを拝見できよう。
東北本線のバイパスとなるはずだった丸森線は三セクという形に変われど、新しい何かを私に教えてくれているような沿線風景をみせてくれているようであった。

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