お馴染みもしものコーナー。もしも今の私が昔の時刻表を使って旅計画を立案したら。 1984年ダイヤ改正版北海道編③
2021-01-30
さて、今回のアップで予告通り1984年バージョンの北海道計画の立案をしてみた。
先述通り、宿は全て夜行列車で駅寝は無し!使用する切符は「北海道ワイド周遊券」のため周遊区間内に限り特急・急行列車の自由席に限りワイドのみで乗車可能である。つまり北海道内は特急・急行料金は無しで乗れるわけだ!しかも当時は夜行列車の宝庫であるので非常にやり易い。その反面、枝線制覇の際には運転本数が少ないのと接続の関係があるため、場合によっては乗る列車をあらかじめ決めておいてから計画を遡って立案しなければならないという、いわばパズルを解くむつかしさも兼ね備えている。そのためもちろんやりがいはあろうが、実際にこの立案で当時にタイムマシンで移動し実行できるのか・・・的な部分もあろう。いや、当時の私ならまだ「ガラスの」十代であったから体力的には問題なかったに違いない。
いずれにしても、この約2週間の旅をあなたならどう捉えるであろうか?
「やってみたい?」
「やってみたい!」

ポイントとなるのは中湧別~湧別間の名寄本線(湧別支線)制覇の際、中湧別の待ち合わせ時間を使って「徒歩で四号線訪問」である!「四号線」とは、湧別~中湧別間にあった仮乗降場(JR化とともに駅に昇格)で、全国版の時刻表には掲載されていない関係から、私の好きだった天北線の「飛行場前」とともに謎めいたお気に入りの駅であった。中湧別から3キロほどの地点にあるのと、1984年当時は高校生であったので歩いても余裕で行けた事であろう。ちなみに相模線・寒川支線の寒川~西寒川間が1.5キロのため、この区間を往復した距離と同じ計算となると、私なりにこの区間の所要時間が自然と頭に浮かんでくる。もちろん四号線から再び徒歩で中湧別に戻る事はなく、四号線から湧別行きに乗車し、折り返して中湧別に向かえば「制覇」となるので私は喜んで四号線に足を運んだ事であろう。
一応四号線の所属は名寄本線であるが、運転系統的には湧網線と一体化しており、完全に湧網線の一部と考えて良さそうだ。いや、もう完全に湧網線であろう。

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続きを読むをクリックすると1984年当時に私が立案した北海道計画が貼ってある。1983年に東北の旅を終え密かに次の構想があったのだが、恐らく1983年の年末~1984年年始頃にダイヤ改正号を引っさげて立案に挑んだものである。同時期に九州の計画も立案しており、恐らく費用だけ何とかなれが本気で旅に出た事であろう。

という事で、こちらが1984年頃に立案した北海道計画である。恐らく最後の中学生時代の年末か年始であったはずであるが、夜行列車同士の深夜の乗り換えを完全に避けていて、しかも計画後半は宿に泊まる設定になっていた。中学卒業を控え、我ながら成長を見せているなと感じてしまう。しかも宿のポイントとして、なんと瀬棚線の今金を宿泊の地に選定している辺り、なかなかヤルな的な思いである。こんな職人技、どこで学んだのだろうか?下手したら、今の私よりも遥かに優れているのかも知れない。
ただ、残念なのは計画に路面電車や地下鉄、更に三菱鉱業大夕張線なども制覇に組み込んで無かった事はちょっともったいない立案であった。とはいえ、この計画を実行していたら人生最大の旅となった事であろう。
先述通り、宿は全て夜行列車で駅寝は無し!使用する切符は「北海道ワイド周遊券」のため周遊区間内に限り特急・急行列車の自由席に限りワイドのみで乗車可能である。つまり北海道内は特急・急行料金は無しで乗れるわけだ!しかも当時は夜行列車の宝庫であるので非常にやり易い。その反面、枝線制覇の際には運転本数が少ないのと接続の関係があるため、場合によっては乗る列車をあらかじめ決めておいてから計画を遡って立案しなければならないという、いわばパズルを解くむつかしさも兼ね備えている。そのためもちろんやりがいはあろうが、実際にこの立案で当時にタイムマシンで移動し実行できるのか・・・的な部分もあろう。いや、当時の私ならまだ「ガラスの」十代であったから体力的には問題なかったに違いない。
いずれにしても、この約2週間の旅をあなたならどう捉えるであろうか?
「やってみたい?」
「やってみたい!」

ポイントとなるのは中湧別~湧別間の名寄本線(湧別支線)制覇の際、中湧別の待ち合わせ時間を使って「徒歩で四号線訪問」である!「四号線」とは、湧別~中湧別間にあった仮乗降場(JR化とともに駅に昇格)で、全国版の時刻表には掲載されていない関係から、私の好きだった天北線の「飛行場前」とともに謎めいたお気に入りの駅であった。中湧別から3キロほどの地点にあるのと、1984年当時は高校生であったので歩いても余裕で行けた事であろう。ちなみに相模線・寒川支線の寒川~西寒川間が1.5キロのため、この区間を往復した距離と同じ計算となると、私なりにこの区間の所要時間が自然と頭に浮かんでくる。もちろん四号線から再び徒歩で中湧別に戻る事はなく、四号線から湧別行きに乗車し、折り返して中湧別に向かえば「制覇」となるので私は喜んで四号線に足を運んだ事であろう。
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という事で、こちらが1984年頃に立案した北海道計画である。恐らく最後の中学生時代の年末か年始であったはずであるが、夜行列車同士の深夜の乗り換えを完全に避けていて、しかも計画後半は宿に泊まる設定になっていた。中学卒業を控え、我ながら成長を見せているなと感じてしまう。しかも宿のポイントとして、なんと瀬棚線の今金を宿泊の地に選定している辺り、なかなかヤルな的な思いである。こんな職人技、どこで学んだのだろうか?下手したら、今の私よりも遥かに優れているのかも知れない。
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