お馴染みもしものコーナー。もしも今の私が昔の時刻表を使って旅計画を立案したら。1984年ダイヤ改正版 九州編①
2021-02-05
さて前回に引き続き、今度は九州バージョンを立案してみた。今回の九州に関しても1983年の東北旅行から帰郷して間もなく構想していたのでいずれはの思いがあったのだが実現できなかった。
九州に関しても周知の通りエネルギー革命以前は、特に北九州で鉄道が石炭輸送に大きく貢献しており、現在でもその名残をとどめる箇所が少なくない。
しかしながらその多くが廃止され、北海道ほどではないか鉄道空白地帯が出来上がってしまった。1984年は、その空白地帯に鉄道がまだ健在であった最後の時代であろう。ただ残念なのが、1984年のダイヤ改正で夜行普通列車「ながさき」が廃止されたり室木線の車両がPCからDCに変更されたりと、近代化、合理化の波がしっかりと押し寄せてきた印象でもあった。

こちらは1983年3月に訪問した当時の鹿児島交通・南多布施。背景でお分かりのように素敵な駅舎が存在していた。残念ながら下車はできなかったが、駅舎の重みが車内からでも充分に伝わってきた。
今回の1984年ダイヤ改正当時、私は中学3年~高校生になったばかりであるが、そんな成長著しい中の旅を想定して立案してみた。当時は私の好きな日田彦山線の呼野はまだスイッチバックが健在であり、そして赤字日本一にも輝いた添田線など、訪問してみたい箇所が多数存在した。もちろんそれら全てを制覇する立案であるが、前回と同じ条件として宿は全て夜行列車であるのと、国鉄以外の私鉄路線も全て込みでチャレンジしてみた。
結局のところ当時の呼野には訪問できなかったが、近年に同じく好きであった採銅所とともに呼野の訪問に成功している。だが、スイッチバックは既になくなり勾配上のホームだけが取り残された形となっていたが、スイッチバック時代のホーム等はまだ健在であったので面影を確認する事に成功しただけでもおおきな収穫であったと思う。

こちらの呼野は2016年に訪問。既にスイッチバックは使用停止になり残骸だけが残っていた。そして駅舎も取り壊されリニューアルの最中でもあった。
そして、1983年には鹿児島交通の廃止が3月31日にエックスデーと噂されたが、延期されしばらく営業していたが、その後水害にあい、1984年の3月に廃止されてしまった。今回の立案では最後の鹿児島交通も含まれているのである意味貴重な立案となったのだが、復旧されなかったのは非常に残念な思いである。
では次回のアップで今の私が立案した九州鉄道路線制覇の旅を公開してみよう。

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続きを読むをクリックすると、1984年に立案した当時の九州制覇計画が貼り付けてある。結局北海道計画とともに御蔵入りになってしまったが、もし実行していたら北海道とともに人生最大の旅になった事は間違いない。

こちらが中学時代に立案した九州制覇計画である。やはりポイントは夜行列車の使い方で、夜行列車の同士の上りと下りによる乗り換えを極力避けている事であろう。これには今の私も大賛成で、やはり深夜の上りと下りの夜行列車同士の乗り換えは実演した結果想像以上にハードな経験をしているので今回のこのような立案となっているのであろう。
そして最後の帰郷時に宮崎から寝台特急「富士」を使うあたりがなかなか渋い行程であるが、行きは大垣夜行を使った普通列車のみの行程となっていた。もし実行していたら1978年以来の乗車となっていたのだが、いずれにせよ、前回と同じく国鉄のみの制覇となっており路面電車や西鉄等の私鉄は含まれないため少々もったいないという面もある。しかしながら国鉄のみの制覇でも充分に貴重な体験になっていたに違いない。

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九州に関しても周知の通りエネルギー革命以前は、特に北九州で鉄道が石炭輸送に大きく貢献しており、現在でもその名残をとどめる箇所が少なくない。
しかしながらその多くが廃止され、北海道ほどではないか鉄道空白地帯が出来上がってしまった。1984年は、その空白地帯に鉄道がまだ健在であった最後の時代であろう。ただ残念なのが、1984年のダイヤ改正で夜行普通列車「ながさき」が廃止されたり室木線の車両がPCからDCに変更されたりと、近代化、合理化の波がしっかりと押し寄せてきた印象でもあった。

こちらは1983年3月に訪問した当時の鹿児島交通・南多布施。背景でお分かりのように素敵な駅舎が存在していた。残念ながら下車はできなかったが、駅舎の重みが車内からでも充分に伝わってきた。
今回の1984年ダイヤ改正当時、私は中学3年~高校生になったばかりであるが、そんな成長著しい中の旅を想定して立案してみた。当時は私の好きな日田彦山線の呼野はまだスイッチバックが健在であり、そして赤字日本一にも輝いた添田線など、訪問してみたい箇所が多数存在した。もちろんそれら全てを制覇する立案であるが、前回と同じ条件として宿は全て夜行列車であるのと、国鉄以外の私鉄路線も全て込みでチャレンジしてみた。
結局のところ当時の呼野には訪問できなかったが、近年に同じく好きであった採銅所とともに呼野の訪問に成功している。だが、スイッチバックは既になくなり勾配上のホームだけが取り残された形となっていたが、スイッチバック時代のホーム等はまだ健在であったので面影を確認する事に成功しただけでもおおきな収穫であったと思う。

こちらの呼野は2016年に訪問。既にスイッチバックは使用停止になり残骸だけが残っていた。そして駅舎も取り壊されリニューアルの最中でもあった。
そして、1983年には鹿児島交通の廃止が3月31日にエックスデーと噂されたが、延期されしばらく営業していたが、その後水害にあい、1984年の3月に廃止されてしまった。今回の立案では最後の鹿児島交通も含まれているのである意味貴重な立案となったのだが、復旧されなかったのは非常に残念な思いである。
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そして最後の帰郷時に宮崎から寝台特急「富士」を使うあたりがなかなか渋い行程であるが、行きは大垣夜行を使った普通列車のみの行程となっていた。もし実行していたら1978年以来の乗車となっていたのだが、いずれにせよ、前回と同じく国鉄のみの制覇となっており路面電車や西鉄等の私鉄は含まれないため少々もったいないという面もある。しかしながら国鉄のみの制覇でも充分に貴重な体験になっていたに違いない。

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