広島。そこは素晴らしき鉄道ワンダーランドだった。④
2021-04-20
井原鉄道に乗り神辺に着き福塩線に乗り換えるのだが、実はまだ未制覇で初乗りのため一旦福山まで出なければならない。ただ今回は福山で折り返しても府中より先の接続がちゃんとあるのが素晴らしい。そして福山から府中までは電化区間であるから何気に都会的雰囲気を感じる。

井原鉄道でいよいよ神辺へ。これより福塩線で一旦福山まで出て折り返し府中方面へ向かう。
たが、この福塩線の福山から府中までの間はかつて神高鉄道であった。神高鉄道とは福塩線の部分の他に神辺から井原までの支線を持っていた。つまり旧・井笠鉄道の井原~神辺間と福塩線の福山から府中間は同じ神高鉄道が運営していたのだ!ただ、神高鉄道の経営難により自社の会社買収先を巡り互いに道を分けた訳だが、もし後の井笠鉄道の部分も国が買収していたら現在の展開はどうなっていただろうか。
そんな思いを胸に秘め福塩線を福山で折り返すのだが、福山から乗る列車は何とフルハウス!大盛況のまままさか府中までいくのだろうか…そして府中より先もまさか!の展開なのであろうか…流れる車窓が更に不安な思いを募らせる。

1983年に宇部で撮影したと思われる当時新鋭の105系。宇部線の旧型車両の置き換えとして活躍していた当時、同じ時期に電化開業した筑肥線の姪浜~西唐津で運転された103系1500番台とあまり見分けが付かなかった。
そういえば、ご覧の皆様に伝えるのを忘れていた事があった。この旅の日程は夏…つまり全国的に「青春」なのだ。皆が皆というわけでは勿論ないが、18を握りしめた「さすらい人」が、特にこうした「ローカル線」と呼ばれる地方鉄道に出没する可能性が非常に高くなる。つまり府中から先も同じ顔ぶれで三次まで列車にお世話になる確率が高いであろうわけだ。

画像はウィキペディアより、横尾にて列車交換中の105系。現在の福塩線・福山~府中間の主力車両だ。とは言え、国鉄時代の1981年より製造が始まって以来40年が経過している。JR西では既にフェードアウトが始まっているのでこの光景も見れるのは「今でしょう!」かも知れない。
数々の旅を重ねてきた私の予測は当たった。府中より先に進むためには座席の確保に命を掛けなければならない。そのため府中のひとつ手前の駅を過ぎたら座席を捨て下車の準備を整えたのだが「どうせ次で降りるのだから、今さら座席が空いても…」と周囲は感じたかも知れない。ある意味私は悪者になっていたのであろうか。沿線風景よりも座席確保。私は今持っている全ての力を出しながら府中駅のホームの先に待つ福塩線の気動車に向かった。
ただ、私の予測が「跨線橋を渡る」だったので、まさか跨線橋を使わずホームの先端に乗り換え列車が待っているとは思わなかった。私は編成の中央付近にいたため一目散にならざるを得なかった。プライドを捨て、全てを捨て、あの気動車のドアに向かい命をかけている自分がそこに居た。
などと、府中での乗り換えのためにかなりのスペースを割いてしまったが、結論として福山から三次までほぼ同じメンバーにての福塩線ご一行であった。

プロ野球ファンなら誰でも食いつきそうな駅名の「ムードメーカー」は、現役当時は基本ファーストの守備であったが、たまにサードに回ると俄然燃える。もちろんチーム優勝には何度も大きく貢献し人気も高かった。
塩町で芸備線と合流するが、福山側では両者がダブルクロスで処理されている。そして島式ホーム1本で旅客が扱われるため2番線の列車は予め行き先を確認しないとどえらい事になる。というより、地元の利用される方などは既に周知の事象として受け止めていらっしゃるであろうがため行き先を間違えて乗車するということはまず皆無であろう。ただ、私のような首都圏に在住すると、行き先をあまり意識しないで来た列車に乗車してしまう癖があったりする。特に時間が無い時にはそんな場面に遭遇してしまう場合が多い。ある意味塩町はそうしたイリュージョン的な何かが潜んだ、もしかしたらマリック的なハンドパワーよりトリッキーな駅かも知れない。

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井原鉄道でいよいよ神辺へ。これより福塩線で一旦福山まで出て折り返し府中方面へ向かう。
たが、この福塩線の福山から府中までの間はかつて神高鉄道であった。神高鉄道とは福塩線の部分の他に神辺から井原までの支線を持っていた。つまり旧・井笠鉄道の井原~神辺間と福塩線の福山から府中間は同じ神高鉄道が運営していたのだ!ただ、神高鉄道の経営難により自社の会社買収先を巡り互いに道を分けた訳だが、もし後の井笠鉄道の部分も国が買収していたら現在の展開はどうなっていただろうか。
そんな思いを胸に秘め福塩線を福山で折り返すのだが、福山から乗る列車は何とフルハウス!大盛況のまままさか府中までいくのだろうか…そして府中より先もまさか!の展開なのであろうか…流れる車窓が更に不安な思いを募らせる。

1983年に宇部で撮影したと思われる当時新鋭の105系。宇部線の旧型車両の置き換えとして活躍していた当時、同じ時期に電化開業した筑肥線の姪浜~西唐津で運転された103系1500番台とあまり見分けが付かなかった。
そういえば、ご覧の皆様に伝えるのを忘れていた事があった。この旅の日程は夏…つまり全国的に「青春」なのだ。皆が皆というわけでは勿論ないが、18を握りしめた「さすらい人」が、特にこうした「ローカル線」と呼ばれる地方鉄道に出没する可能性が非常に高くなる。つまり府中から先も同じ顔ぶれで三次まで列車にお世話になる確率が高いであろうわけだ。

画像はウィキペディアより、横尾にて列車交換中の105系。現在の福塩線・福山~府中間の主力車両だ。とは言え、国鉄時代の1981年より製造が始まって以来40年が経過している。JR西では既にフェードアウトが始まっているのでこの光景も見れるのは「今でしょう!」かも知れない。
数々の旅を重ねてきた私の予測は当たった。府中より先に進むためには座席の確保に命を掛けなければならない。そのため府中のひとつ手前の駅を過ぎたら座席を捨て下車の準備を整えたのだが「どうせ次で降りるのだから、今さら座席が空いても…」と周囲は感じたかも知れない。ある意味私は悪者になっていたのであろうか。沿線風景よりも座席確保。私は今持っている全ての力を出しながら府中駅のホームの先に待つ福塩線の気動車に向かった。
ただ、私の予測が「跨線橋を渡る」だったので、まさか跨線橋を使わずホームの先端に乗り換え列車が待っているとは思わなかった。私は編成の中央付近にいたため一目散にならざるを得なかった。プライドを捨て、全てを捨て、あの気動車のドアに向かい命をかけている自分がそこに居た。
などと、府中での乗り換えのためにかなりのスペースを割いてしまったが、結論として福山から三次までほぼ同じメンバーにての福塩線ご一行であった。

プロ野球ファンなら誰でも食いつきそうな駅名の「ムードメーカー」は、現役当時は基本ファーストの守備であったが、たまにサードに回ると俄然燃える。もちろんチーム優勝には何度も大きく貢献し人気も高かった。
塩町で芸備線と合流するが、福山側では両者がダブルクロスで処理されている。そして島式ホーム1本で旅客が扱われるため2番線の列車は予め行き先を確認しないとどえらい事になる。というより、地元の利用される方などは既に周知の事象として受け止めていらっしゃるであろうがため行き先を間違えて乗車するということはまず皆無であろう。ただ、私のような首都圏に在住すると、行き先をあまり意識しないで来た列車に乗車してしまう癖があったりする。特に時間が無い時にはそんな場面に遭遇してしまう場合が多い。ある意味塩町はそうしたイリュージョン的な何かが潜んだ、もしかしたらマリック的なハンドパワーよりトリッキーな駅かも知れない。

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